全国の中小企業支援センター支援事例集7


人生を賭けた脱サラ、そば屋で一国一城の主をめざす
佐賀地域中小企業支援センター(佐賀商工会議所)


 まったく商売を知らなかった私たちにとって、支援センターは大きな支えでした。妻が参加した「創業塾」は経営を知る大きな手がかりになり、その後の創業交流会での講義も実践的で役立ちました。また開業準備段階でも、資金調達その他で支援していただきました。
 開業後も当店のことを宣伝していただき、わざわざ食べに来ていただいています。本当に心から感謝し、みなさんのお気持ちに応えるためにも、日々努力して、おいしいそばを出しつづけていこうと思っています。



■恵まれたサラリーマン生活を捨て人生の後半戦を「そば」に賭ける


独立を決意したのは、「自分で商売をやりたい」という思いが日増しに膨れ上がり、もう自分を抑えきれなくなったからだ。会社の業績が悪かったわけではない。会社員として出世の道が閉ざされていたわけでもない。会社の業績は順調、副島氏も将来を嘱望される存在であった。それでも創業の夢は捨てられなかった。
 勤務の合い間に、何をもって人生の後半戦を築いていこうかと調査を開始。約1年をかけて「そば」に辿り着いた。飲食店に絞り込んだのは、ガス販売の仕事を通して業界の事情に明るかったから。そのなかで、そばを選択した最大の理由は、健康によいという点だった。老いも若きも男も女も、すべての人の身体によいもの、つまり「健康」こそが時代のキーワードだと判断したのである。
 そばを一生の仕事にしようと決心したものの、まったくの素人。まずは調理の基本を身につけようと調理師学校に1年間通い、調理士免許を取得。そのかたわら東京の蕎麦スクールにも通い、そばの基本を学んだ。

■理想を追い求めた過大な事業計画


 こうして調理技術の習得ということで独立への第一歩を踏み出した副島氏だったが、創業するとなれば、経営についても学ぶ必要性がある。サラリーマンとして頑張ってはきたが、経営についての知識は不足している。そこで「創業塾」に夫婦で参加した。妻のみどりさんも勤め人であったが、どういう形態になろうと妻の協力なくして店は成り立たない。そこで夫婦2人での参加を決めた。ここから当センターとの付き合いがはじまったのである。
 そば修行は、東京のスクールを出ただけでは独自性が出ない、もっと納得できるそばを打ちたいと、探し当てた2つ目の修行先が出雲の地「そば処神門」。ここの主人は、副島氏と同じ脱サラ組で、仕事に対する姿勢や生き方に大いに共感したのだった。
 佐賀市の北側に隣接する大和町に石井桶(いしいび)という、祝祭日には多くの家族連れで賑わう市民公園がある。夫婦はこの地で勝負することを決心する。そこは家族連れが集う健康的な場所であり、それは夫婦がめざしていた「健康を提供する」コンセプトにぴったりだった。そこに、ゆったりと憩える場を提供したいという思いから、古い農村の民家を彷彿とさせる建物を建てたいと思いはじめる。器もできれば地元有田のよいものを使いたい。しかしそんな理想を実現するにはいくつかの障害があった。
 それは資金不足の一語に集約されるのだが、それにしても当初の計画を大きく上回る資金が必要なことが徐々にわかってきた。事業資金はどう切り詰めても、締めて2000万円。夫婦は数年前に自宅を新築、しかも一人娘は大学進学を目前にしており、これからお金が必要である。

■フィールドワークもいとわない想いを共有した支援がスタート


 「創業塾」受講後も、夫婦で何度も当センターに来られた。いく度も顔を合わせ、細かい事情がわかるにつれて、センターとしては事業資金が大き過ぎるので何とか削るところはないのかと動き出した。まずは夫婦がそこまでこだわる出店地の問題である。あの場所にこだわるから事業資金が過剰になるのである。立地条件は決して抜群ではない。インターチェンジにつながる路線沿いではあるが、メイン道路の1本外側にある川沿いの側道である。いってみれば、地元の人たちがメイン道路の渋滞を避けて使う田舎道である。
 至近距離にショッピングセンターがあり、そこに人は集まるものの、この場所の認知度は低い。否定的な条件がいくつも浮かぶ。
 しかし、よいのである。何しろ憩うのである。なんともいえず心が安らぐ。右のほうに山並みもほどよく見える。 あまり認知されていない場所というのは、かえってよいのではないか。贔屓客をジワジワ増やしていくには絶好のロケーションではないか。
 こうした考えから、「ここでやる!」という夫婦の想いにセンター側も添うことを決心する。少しでも経費を削る工夫ができるようにと、中古厨房設備を扱う専門店に渡りをつけ、交渉に同行したこともある。 最も注力したのは創業計画書の作成支援である。事業資金の借入に関しては、佐賀県の起業家支援(独立開業資金)に狙いを定める。提出書類に関しては、所轄の地元商工会が徹底協力。ついに1000万円の借入を実現した。自己資金は1000万円である。この自己資金については、夫婦とセンターのあいだで何度かのやり取りがあった。実はみどり夫人は安定した職場に永年勤務しており、ある程度の収入を得ていた。したがって、常識的に考えれば、夫人は勤務を継続し、土日に店の手伝いに入るという形がベストであろう。この形のほうが、先々運転資金が必要になった場合に有利なのは明らかであるし、万が一、店が立ち行かなくなった時の収入源にもある。しかし自己資金の不足を補うには、夫人の退職金の一部を補填せざるを得ない。さまざまな角度から検討した結果、退職することを決意。
 常識的には無謀とも思える独立開業であったが、とにかく「そば」で新たな人生を切り拓くのだという強い意思で次々と困難を乗り越えていった。
 平成14年12月創業。慣れない仕事で毎日がパニックだったが、夫婦ニ人三脚で頑張り、何とか年内の目標をぎりぎり達成。しかしここで予想だにしていなかった出来事に襲われる。夫人が1月に体調を崩し入院。幸いなことに大事には至らず2月に復帰。そこからは快進撃がはじまる。
 春の訪れとともに石井桶公園に多くの市民が訪れ、「そば処いち」を知り、馴染みになっていく。そして1年を経過したこの時点で、当初の計画を上回る業績をあげている。
 夫婦揃っての「創業塾」受講、その後毎月センター主催で実施している「創業交流」への出席。そのなかで知り合った創業を志す仲間たち。これらが土台となって現在がある。
 開業後も、そばや出汁の研究は怠らない。土日は晴れて大学生となった一人娘も帰省し、店の手伝いに入る。三人家族の歩みがつづく。





商店街に新しい風を!
広島地域中小企業支援センター(広島商工会議所)

支援センターに毎週通わせていただき、何もわからない私達に一から教えて下さいました。
 開業してからもお店に来られ、気にかけていただいており、温かいお心遣いにとても感謝しております。応援してくれる人がいると思うとパワーがでます。


■学生時代の仲間2人でオリジナル雑貨店を開く

 オリジナル雑貨販売店を経営するお二人は同じ芸術系の専門学校に在籍して感性を磨きあった仲間で、互いの作品が大好きという間柄。「一緒に作品をつくりたい、自分たちの感性でつくった作品を商品として世に出し、消費者に手づくりの温かみを伝えたい」といった思いで意気投合し、開業を決意した。
 ちょうど、「ひろしまベンチャー助成金」(地域のチャレンジ精神旺盛な起業家等を応援し、地域経済の活性化を図るため、昨年、広島銀行が実施)の募集がはじまっていたことから、それに応募すべく本格的に自分たちの事業プラン作成に着手。芸術専門学校の学生や他のクリエイターの作品も一緒に紹介し、"学生がアートマネジメント体験を実践できる店舗づくり"を提案してみごとヤングベンチャー賞(銀賞)を受賞した。その後、自分たちの事業プランを実現化するため、当支援センターにてより具体的な事業プランの作成、開業資金借入相談、開業時の届出など開業に向けて必須となる事項を1つひとつ詰めていき、平成15年4月28日、専門学校に近い商店街の一角に店を構えた。

■事業プランの作成から開業前の支援がはじまる

 お二人が当支援センターに相談に来られたのは、開業の約半年前。事業プランもまだまだ荒削りの状態で、開業するまでの課題として、(1)具体的な事業プランの作成、(2)店舗開設場所の決定、(3)開業資金の調達、(4)開業形態の選択、(5)開業にあたっての各種届出など開業までの課題も多く、まずは開業の流れと厳しさを認識いただくことが大事であると判断し、創業者向けセミナーをお二人で受講していただき、その後、時間をかけて課題項目1つひとつを整理していった。
 (1)具体的な事業プランの作成については、自店を取り巻く経営環境の分析、競合他社と比較しての自店の強みの確認、材料・商品などの仕入先の確保、年間売上計画の作成、開業に必要な資金と調達の方法、プロモーションなど課題を与え、それに対し、お二人の考えで対処、結果について聴き取りをし、再度アドバイスを与え、双方が納得のいく形で事業プランを練っていった。(2)店舗開設場所の決定については、在学中から作品の委託販売、デザインなどを手がけた経験から独自のネットワークを築かれていたため、さまざまな人からアドバイスをいただけたことと、商店街の方からも出店を勧められたこともあり、スムーズに話が進み、(3)開業資金の調達については、借入希望金額が割と小額であったことと、綿密な事業プランを提示できたことから、希望金額を金融機関から調達することができた。また、(4)開業形態の選択、(5)開業にあたっての各種届出については、当支援センター委嘱の専門相談員から共同経営に関するアドバイスを受けるとともに、実際に本人たちと届出機関を訪問するなどして開業に備えた。
 今回の支援のポイントとしては、時間をかけて相談者とコミュニケーションを図ることによって相談者の事業に対する考え方を吸収できたことと、実際に本人たちとともに店舗選びを検討したり、届出機関を訪問したりしたことから素直に本人たちから頼られる存在になったことである。



■2人がめざすお店づくりインキュベーション機能も
自己満足に陥らず金銭感覚を磨いてビジネスとして成り立つ事業にするという固い決意と、小銭のように地域や消費者とよいご縁をいただき、コツコツ稼いでいけるように、というお二人の切なる願いが込められている。「これまでと違いクリエイターとしてだけでなく、販売員、経営者としての役割も加わり気苦労も多いですが、日々の営業での出来事が日々自分たちを経営者としても、1人の人間としても成長させてくれます」という二人。
 今後二人がめざす店づくりとは、来店されるお客様と直接触れ合って「zeni」ファンを確立していくこと、お客様からいただいた意見を学生やクリエイターにフィードバックして作品づくりに活かし、お客様のニーズに応えられる商品を提供していくこと、学生や若手クリエイターの感性を磨くインキュベーション機能(卵を育て孵化する機能)をもった店として存在し、できればそこから巣立っていく学生やクリエイターがその周辺にさまざまな店を開き、若者が互いに頑張って運営していくエリアを築いて、新しい広島のイメージをここから発信していくことなどで、お二人の店から新しい風を巻き起こしたいと夢は膨らんでいる。

■商店街の一角に店を構え新風を巻き起こす

 懐かしい雰囲気の漂う商店街の一角に店を構えられた稲田氏と橋本氏。自店が起点となり、商店街の活性化、さらには若者が互いに運営していくエリアを築き、新しい広島のイメージを全国に向けて発信していきたいというお二人の構想は着々と進展している。同地区内に出店している同世代の他の女性経営者とともに「的場開発の会」を組織し、連携イベントなどの内容などについて会合を開き、スタンプラリーや新作発表会など定期的にイベントを開催。少しずつではあるが、若者も街に集まってきており、街の雰囲気が変わってきている。「的場開発の会」のメンバーはそれぞれオリジナル雑貨店を経営しており、周りにない自分だけのものを求める若者に大きな支持を受けており、今後も自分たちの商品・やり方を理解していただけるお客様を増やしていくため、新たな商品・新たな企画の立案に奮闘している。彼女たちの今後の希望は、業種にかかわらず若者が経営する店が同地区内にもう少し増えて、それらの店と連携を図りながら、商店街さらにはエリア全体の活性化に寄与することである。






大豆丸ごととうふの店の事業プラン作成を支援
富山南中小企業支援センター(富山商工会議所)

 「オカラのでない大豆丸ごととうふ」 は現在、世界規模で叫ばれている環境問題を考えた優良な製品・健康食品であり、食品製造・販売を通して社会に大きく貢献できると確信しています。
 しかし、この信念だけでは、事業が成り立つわけではなく、経営知識や経験の少ない者にとっての起業化は困難でしたが、事業計画(利益計画、販売計画等)の立案、資金調達、PR方法等で支援センターから親切に支援いただき、開業することができました。
 この事業を発展させるためにも、今後起こるであろう諸問題の解決に、支援センターのさらなる協力を期待しています。


■一生の仕事をみつけようと脱サラして創業を決断

 あるとき知人の話から、某食品会社が開発したオカラのでない 「大豆まるごととうふ」 なるものの存在を知り、調査したところ、考案者も本人と同様サラリーマンを定年前に退職し、この仕事をはじめたという。また、このオカラのでないとうふは、廃棄物がわずかで環境にも非常に優しい食品であり、しかも大豆のもつ栄養素を損なうことがない健康食品ともいえる。
 製造はほとんど機械化されているようで、体力のいる仕事ではない。これからは環境保全を考えて物づくりする時代であり、本豆腐の製造・販売はこの時代の要請にも合致していると判断した。定年まで2〜3年はあったが、家族の協力もあり、退職を決断する支障にはならなかった。

■すべて自分だけが頼り助言に基づいて計画を進める

 平成15年3月に円満退職し、創業の準備にとりかかったが、さて何からはじめたらよいのか、どういう方法がよいのか、五里霧中の状態であった。偶然にも公的機関から、富山商工会議所にある富山南中小企業支援センターの存在を知り、躊躇なく相談に出向いた。当センターでは本人の意向を充分に聴取し、資金の調達、業界の状況、経営上の問題、開業に向けての諸手続きについてさまざまな情報やノウハウを提供した。 特に、サラリーマン時代とは大きく異なり、すべて自分だけが頼りであることを理解してもらい、助言に基づいて徐々に計画を進行していった。事業プランの作成は、融資を受ける際にも、開業後の企業経営にも重要な影響を及ぼすので、製造原価、諸経費や損益分岐点の把握、販売先等を念入りに支援した。
 また、経営知識の修得と創業経験者の講話聴取に適している、当センターで企画した「創業塾」の受講を勧め、延べ10回、合計30時間のセミナーを修了したことが経営知識の増強となり、開業への自信となった。

■本人のイメージを現実的な起業プランへと高めていく

 まず、「オカラのでないとうふ」の製造所や販売店を視察し、併せて先輩企業の見学を実施して本人の有するイメージを現実的具体性のあるプランへと修正していった。
 1)開業資金として退職金の一部と、富山県が新たに募集を開始した「創業・ベンチャースタートアップ支援事業」の助成金制度に応募すると同時に、国民生活金融公庫の「新創業融資制度」等の諸融資制度や富山市の「創業者支援資金」制度を利用する。
 2)とうふの製造方法は本豆腐の考案者である「ファミリー食品」のシステムをそのまま使用するほうが無難である。
 3)スタッフはパートのみとし、1〜2名を富山パートバンク等を通じて雇用する。
 4)製造所と販売店舗は一体として賃借し、場所の選定にあたっては、賃借料と販売利便性を総合的に判断する。むしろ本豆腐の製造に特別な排水処理施設が不要で周囲の環境阻害にならないことを念頭に置く。
 5)PRにはチラシやタウン情報誌を利用し、地道に粘り強く口コミ効果を狙う。
以上のような内容に整理し、諸施策の実現に向け、随時支援を行うことにした。

■プラン実行の施策とそのための支援策

 1)開業に向けての必要資格である「食品衛生責任者」の講習(月1回で1カ月前に申し込み要)を受け、施設の設置検査を受ける。
 2)資金は自己資金と富山県の上記補助金に加え、残額を国民金融公庫の「食品貸付」による融資を受けた。これに必要な開業計画書の作成には製造原価の精算のほかに、経費の見積もりや販売先の設定(営業対象)等に注力した。
 3)店舗は市内の中心部に運よく適当な空店舗がみつかり、これを一部改装して使用することになった。
 4)商品としてとうふの外に豆乳を加えた。これらの製造設備はファミリー食品の紹介で主要設備を専門メーカーから購入し、付帯の備品等は自前で準備した。
 5)PRに必要なチラシ(A4判)を準備した。チラシはカラーで「オカラのでない大豆丸ごととうふ」であって大豆特有のコクと旨味が食感できる新商品であることを強調した。
 6)当支援センターでは、「とっぺ屋本舗」をマスコミに紹介し、本豆腐の存在と知名度の強化を図った。地方新聞に「脱サラし豆腐店開業」という見出しで、廃棄物を出さず大豆の旨味がそのまま食感できる、環境に優しいとうふといった内容が写真入りで大きく紹介され、商品のイメージアップとなって、高級料理店、ホテルや一般家庭への浸透が期待できた。
いずれも試行錯誤の連続だったが、本人としてはこれからの時代要請に適う仕事であること、一生つづけられるという思いが支えとなった。

■開業時の売上目標をほぼ達成し新しい販売先へもアプローチ

 屋号「とっぺ屋本舗」で開業後、順調に滑りだし、開業時の目標であった豆腐140丁、豆乳60本の売上がほぼ達成できる見通しになった。さらなるPRとして、当センターで地方のケーブルテレビ局を紹介し、出演を予定しており、併せて2枚折りの小パンフレットを発行する等、本豆腐の拡販に向けた対策を実行しつつある。
 特にケーブルテレビの番組は1日5分間ずつ5回の放映が1週間にわたって行われ、その効果が期待できる。また、支援センターの助言をもとに、さらなる販売先として計画書にも盛り込んだ病院、老人ホームに話をもちかけている。また、難しい問題が予想されるにしても宅配によるセット販売をめざし、準備をはじめている。
 いずれにしても開業から操業へと突っ走っているので、時期をみて経営状況の分析、評価を行う等、立ち止まって見直す機会をつくることを考えている。このように創業予定者や創業間もない中小企業者にとって、中小企業支援センターは大いに利用価値のある存在である。







「信頼」をキーワードに、デジタル社会のスパイス的存在をめざす
諏訪地域中小企業支援センター(諏訪商工会議所)


 創業設立時に支援センターから創業設立等のノウハウ、運転資金調達方法、会計事務所の紹介、県のインキュベーター施設借用手続きなどあらゆる場面で相談させていただき、予想以上にスムーズな会社創業設立を実現することができました。苦手分野の課題などを支援センターに相談することで、本業に注力できたのは本当に助かりました。
 今後はいくつか出はじめている経営課題についても支援センターに相談させていただき、専門家の派遣をお願いしながら問題解決を図っていこうと考えております。


 

■独立創業は学生時代からの夢総合的な支援で実現


長野県諏訪地域中小企業支援センターの総合的な支援を受け、2001年7月に長野県諏訪市に会社を創業設立された。 2011年の地上波デジタル放送化でニーズの高まる、液晶・プラズマの検査装置、製造装置に関わる制御・通信ソフトウェア開発を主軸にしたビジネスを展開し、順調な滑り出しをみせたIT企業である。
 須藤社長は、大学時代から独立したエンジニアになることを夢みていた。大学卒業後は大阪の大手企業に就職したが、大手企業の体質が自分には向かないと判断して退職、数回の転職を経験して2001年7月、デジタル・スパイスを設立した。
 須藤社長は、エンジニアリング会社在職中に「自分は技術はわかるが、会社設立のノウハウや資金調達方法などはまったく知識がない」と支援センターの門を叩いた。
 支援センターが主催した「創業塾」や「セミナー」にもいくどか足を運び、すでに起業している経営者の生の声や専門家による会社設立のノウハウ、会計税務のやり方、マーケティングの基本等を学び経営に活かされている。また、いまでは須藤社長が自らの創業体験談を「創業塾」の講師として講演もされている。

■得意分野を絞って独立ファブレス企業主義


 会社の創業は、エンジニアと社長の2名でスタートした。2011年の地上波デジタル放送に向けて、液晶・プラズマ関連の設備投資が加速すると世の中の動きを分析し、ファブレス経営に主眼を置いた社長は、液晶の検査装置、プラズマ検査装置の画像処理、制御ソフト、通信ソフト開発に着手した。少なくとも向こう5年間はこの分野の仕事が増えると見込み、デジタル化、IT化のなかでのビジネス展開を模索してのスタートであった。
 開業してすぐに須藤社長から支援センターに相談がもちかけられた。「仕事の受注は順調になってきたが、その仕事をやるための運転資金が厳しい、融資相談を受けたい」「メーカーとの基本取引契約書を締結したいが内容をチェックできる専門家がいない」など支援センターの支援と紹介により、国民生活金融公庫から1000万の融資を受けた。また、メーカーとの取引に際して発生する各種契約書の内容チェックにおいても、支援センターの支援と専門家の紹介を受けた。
 その後においても、今日まで必要に応じて、支援センター、専門家、専門機関等の活用が図られている。 このように、不得意の分野、課題等に対して、支援センター、専門家、専門機関等をタイムリーに効果的に活用し、対処してきている。

■R&D部門を設立し商品開発に力を注ぐ


 創業して間もない2001年9月には、長野県岡谷市にある県のインキュベーター施設「長野県岡谷創業支援センター」の入居の相談を受けた。創業間もない会社にとって固定費の削減は会社経営の大きな改善策の1つであった。
 2002年4月1日に「長野県岡谷創業支援センター」に入居。液晶・プラズマの検査装置と工場のホストコンピューターをつなぐ「SECS通信ドライバー」の商品化に向けた開発をスタートさせ、2002年中に一部完成し、各メーカーへ売り込みを開始した。2003年8月には神奈川県相模原市のキャロットシステムズとRF-ID(非接触で認識・通信を行う個体認識技術)とICタグ(LED付)を利用し検索するシステムを協同開発し、商品化に向けて調整段階に入っている。須藤社長からは特許に関しての相談が支援センターに寄せられるようになってきた。
 メーカーからの開発業務受注中心だけでは、景気の良し悪しに左右されてしまう。また現在の液晶市場の活況が永遠につづかないという須藤社長の先をみた投資だと判断する。

■将来の夢は株式公開を果たし若手経営者を育成すること


 「遠回りしてでも夢はあきらめなければ必ず実現する。」と社長はいう。 社長の夢は、株式公開という大きなハードルに挑戦し、公開できたならキャピタルゲインを使って、資金調達に苦しんでいる、やる気のある若手経営者を育成することである。 会社が成長するにしたがって、管理体制、資金調達、製造物責任等さまざまな経営課題が出てくることも考えられるといっている。
 今後も支援センター、専門家、専門機関を利用し、ぜひとも大きな夢の実現をしてもらいたいものと願っている。
(コーディネーター 五味 朝臣)






木炭と天然水を融合させた霧状室内浄化商品の開発
県北地域中小企業支援センター(秋田県商工会連合会)
経済状態の悪い現在、「食べ物などと違って金足の遅い事業に手を出すのは自殺行為」という反対を押し切って業界に飛び込みました。製造から販売までを視野に入れ、しかも、つくること・売ることがズブの素人なのでわからないことばかりでした。そんな折に、支援センターからいただいたご指導はたいへんな力でした。力添えがなければ事業家として踏み出すことができなかったと思い感謝しています。とはいえ、いまは山の登り口にたどりついた程度、本当の感謝は事業が成功してから申し上げます。



■天然素材から生まれた自然との調和を実感する商品


家庭の事情から25年間勤務した高校教師の職場を退職、その後の生活基盤は自然との関わりがある仕事に求めることにした。新しい事業を模索し、木炭・軽石・セメントの粉末を木酢液で混ぜ合わせた水盤をつくる技法を完成させ、さらに製品がすべて手づくりである特性を活かし、水盤に霧発生装置・発光ダイオ−ドを付帯した「自然との調和、いやし・健康保持・オブジェとしての造形美」をテ−マとした製品に仕上げた。
 この間約1年、試作品を地元観光施設に展示するなかで、栃木県の葬儀用品問屋との受注契約が成立、さらに販路拡大の可能性が出はじめたことから平成14年12月に個人で開業、本格的な生産準備に着手した。

■新たな生産拠点を確保し生産体制の確立に取り組む


 試作は自宅空地のプレハブ作業場で行っていたが、本格稼動には作業効率・衛生面で問題があり、新作業場への移転が必要で、賃借建物の改築費及び当面の運転資金約650万円の資金が必要となった。
 自己資金は製品開発に注ぎ込んだ関係から、新たな資金は全額借入金に頼らざるを得ず、その資金調達のため当センタ−への支援依頼となった。
 開発された製品は初めて市場に出るものであり、販売市場も手探り状況での事業化で不安はあったが、製品の特異性と本人の新事業に対する情熱・誠実さ、両親の所有資産等から、資金調達の可能性は十分あると判断し、全面的に支援することとした。

■資金調達をめざして具体的な支援を開始


(1)事業計画書作成支援
 計画書作成は本人がまったく未経験の分野であったため、具体的な作業は当センタ−からの提案で進め、融資申し込み・補助金申請に係る事業計画書作成では数回にわたって協議を重ねた。
(2)融資条件整備のアドバイス
 融資については不動産担保が有利と判断し、担保条件の説明・抵当権設定に対する両親の説  得など細かな点でのアドバイスを行った。
(3)専門家派遣
 初めて市場に出る製品であるため、販路拡大には宣伝方法が重要なポイントであった。製品の種類が多く、販売活動での製品運搬には限界があったため、宣伝手段として自社作成のパンフレットを使用していたが、全国に向けた宣伝の必要性から秋田市での個展開催・国際ギフトショー出展を機に、全国向け宣伝用パンフレットの作成を決め、専門家(アートデザイナー)を派遣した。

■資金調達の進捗と営業活動の成果


(1)資金調達
 融資は国民生活金融公庫に650万円の申し込み、一部在庫資金が認められなかったが500万円の融資実行を受けた。助成金については、県の支援機関に出向き補助金申請について協議、指導を受けたが、申請条件が満たされず断念した。
(2)営業活動による成果
 本人の積極的な営業活動や展示会への出店行動等により本事業に対する出資者が現れ、平成15年7月法人設立、新たな資金調達の道が開かれたほか、大手デパ−トによる展示即売会が予定されていることや、シックハウス対策として住宅建築業者からの注文が出るなど、製品に対する評価が広まっている。
 しかし、市場での製品認知度が低いことや販路が確立されていない状況から、売上高は目標を大幅に下まわっており、現状を打開するには相当の時間が必要と判断されるもので、引きつづき必要に応じた支援を行う。





企業組合の組織化と資金確保・助成制度活用による創業支援
北央地域中小企業支援センター(北海道中小企業団体中央会)

 これまで取り組んできた木炭製造技術をもとに、新たに産業廃棄物の処理事業に進出するにあたり、個人では制度上難しく、資金手当て等についても問題を抱えていました。そのころ中央会の支援センターと出会い、アドバイスをいただきながら進めて行くことにより、法人化から資金調達までの立ち上げがとてもスムーズにできました。現在は事業を開始したばかりですが、中央会がなければこのような事業の立ち上げはなかったと思っております。
 今後は、より積極的な事業展開を活発に進めていくうえで、身近な「知恵袋」としてさまざまなアドバイスをいただけたら、と考えております。


■講習会や移動相談会で起業の気運を高めていく

 過去最悪の失業率を記録し、他県と同様に開業率が低下している北海道では、新事業・新産業などの創業による経済の活性化と雇用の場の創出が急務となっている。
 そのような北海道地域で、十勝管内は一部に農産加工や農業機械などの集積はあるものの、畑作を主とした一次産業を中心に発展しており、創業や起業につながる案件は多くはなかった。このため講習会や移動相談会の開催を通じて創業、起業の気運を醸成するとともにPR活動を通じて、地域中小企業支援センターの利用促進に努めてきたところである。

■炭化技術を用いて建築廃材から炭化物をリサイクル

 そのようななか、木炭・木酢液の製造販売を通じて修得した炭化技術を用いて、建築廃材などを炭化処理による処分を行い、副産物としての炭化物をリサイクルすることを事業化しようとする個人から相談を受けた。 畳や木くずなどの建築廃材は、産業廃棄物として埋め立てるには、容積が大きく既存の埋め立て処分場の使用年数が短いことから、産業廃棄物処理業者も処理方法に頭を痛めていた。
   従来から取り組んでいた、木炭製造の技術により畳の炭化処理を行ったところ、充分にリサイクル可能な状況の処理を施すことが可能であることが確認できた。
 しかし、これまで個人営業で事業を進めてきたことから、事業の拡大をめざした法人化への知識がなかった。また、産業廃棄物の許可を法人として取得しなければならないことや炭窯新設の資金調達などの面で不安を抱えていた。

■企業組合を設立し創業資金の調達をめざす

 本件は、個人創業から十数年来の木炭製造に携わってきた代表理事が、確固たる炭化技術の習得と安定的な顧客の獲得がなされているうえで、新たに畳や木くずなど、建築廃材の産業廃棄物処理業への事業展開に伴う創業・経営革新の事例となっている。
 支援にあたっては、企業組合の設立、産業廃棄物処理の許可、資金調達手続きを同時進行し、相談当初より関係機関と調整しながら検討を進め、必要に応じて相談者に同行して関係機関との折衝にも当たった。
 最初の相談から約8カ月間、毎月のように相談を受け入れ、煩雑な事務手続きを相談者とともに詳細にわたって進め、行政機関の許認可の取得、金融機関(商工組合中央金庫と中央会の連携による新設組合に対する貸付制度)からの円滑な創業資金の調達を取り付けることが可能となった。さらに、北海道からの雇用の助成金の給付を受けることができたことも大きなプラスとなった。

■酪農地域の牧草ロールも将来的には対象に

 設立後間もないため、事業成果は顕在化していないが、畳・木くずの受け入れの引き合いは相当増加しており、近い将来には十勝管内のみならず北海道全体にこの事業化が周知されることに伴い、多量に排出される畳の受け入れを行っていくものと考えられる。さらには、将来的に酪農地域で排出される牧草ロールなども対象としていくことを考えており、環境保全とリサイクルの両面から地域社会に貢献することができると考えている。



自社ブランドを構築して製造卸からの脱却と製造小売への転換を図る
広島市中小企業支援センター(財団法人 広島市産業振興センター)

お客様に本当に喜んでいただける商品づくりができるようになりました。
 無添加、手づくり、原材料のこだわりと、私たちが長年夢みた本物の朝生和菓子をご提供できる喜びは格別のものがあります。


■直営店を出店して製造販売体制を確立する

 当社は昭和39年創業の和菓子・餅の製造卸業者である。市内のスーパーに自社製造の商品を直接卸しているが、パンメーカーや他県からの参入など競争が激化するうえに、取引条件も厳しくなり、販売単価が下落して売上高が伸びても利益が出にくい状況がつづいている。また、よりよい商品をお客様に提供したいという会社の理念が達成しにくい状況になってきた。その打開策として、直営店を出店して製造販売体制を確立し、他社との差別化を図る自社ブランドをつくり、収益の改善を図ることを検討していた。
 直営1号店の開店や運営について、計4名の専門家を派遣し、事業計画の策定、新店舗のコンセプト、開店準備作業、販売促進の考え方、ホームページの活用、商標登録などについて検討・実施している。

■店舗コンセプトの設定とその実践を支援

 直営店を成功させるには、わくわくする商品・サービス、お店の雰囲気とアイデアが必須であり、そのためには、(1)商品力、(2)接客力、(3)集客力、(4)店舗演出力の4つの力が必要である。そして、店舗コンセプトを明確にしないと、これら4つの方向性は見出せない。検討の結果、直営店の店舗コンセプトは、「本物志向・高品質の和菓子を手頃な価格で提供することにより、他社との差別化を図る」とした。

1.商品力(商品企画・構成・価格)について
 お客様の立場からの発想による新商品を出し、和紙の手づくり値札や、竹の皮の敷紙など和を全面に出した渋いものにした。また、材料などのこだわりを記載した「もみじ庵のしおり」をつくり、必ず商品に添えている。
 当初、主要商品としていた祝い餅などは、季節変動が大きいという問題があったため、手づくりで商品に「こだわり」をもたせることもでき、年中多彩なバリエーションが組めるおはぎと炭火で焼いた団子を主要商品とし、会社のお茶菓子用や贈答用として、詰め合わせも用意した。
 商品価格は、製造原価から考えるだけでなく、適正利益を確保でき、お客様に納得していただけるようにした。

2.接客力について
 親しみのあるだけでなく、顧客志向のキメ細かい接客を心がけるようにしている。

3.集客力について
 出店地区の事情を分析・検討した結果、祝い事や家族連れの利用促進のため、定休日は火曜日とし、開店時間は9時から、閉店時間は勤め帰りの人も対象と考えて19時とした。実際、最も売れる時間帯は11時から15時となっている。
 主要顧客は、近隣のOLと主婦層を想定し、周辺の女性がわいわい集まる店づくりを行い、口コミによる固定客化を図ることとした。店舗レイアウトを工夫して4人のグループが2組入る「食べるスペース」を提供した。実際は、顧客は老若男女を問わず、サラリーマンが意外と多く、その客単価は非常に高い。

4.店舗演出力〜おしゃれな雰囲気の店づくり
 店舗演出については店長自ら行い、主要顧客層が和の雰囲気へのあこがれをもっていると考え、暖簾を用意するなど「和」の雰囲気を全面に出した。また、大きいショーケースは多量の商品が必要となるため、小さいものにして店内を広く活用できるようにした。さらに和菓子に興味をもってもらうため和菓子に合う陶器・雑貨を店長自ら買いつけ、店内で販売し、照明を工夫して陶器を照らすことで店のインテリアとしても活用している。
 こうして、直営店「和菓子処もみじ庵」の1号店を、広島市中区の元和菓子販売店の店舗(20坪)を取得し、平成14年3月に開店。1号店は、売上・利益とも順調に推移している。


■直営2号店の支援で実施した3年間の月次経営シミュレーション

 1号店の実績が好調に推移していることから、当社は直営2号店の出店を計画。しかし、直営1号店が自己資金を中心に実施されたものに対し、直営2号店は銀行借り入れで行うとともに、賃借料などの運営条件が厳しいことから、事業計画の策定のなかで、既存事業(製造卸)と新事業(直営店)をふまえた、今後3年間のキャッシュフローベースの月次経営シミュレーションを行い、そのなかで、2号店の必要売上高を算出した。そして、2号店の出店地区の事情を分析・検討し、必要売上高を満たすための店舗コンセプトを構築した。
 こうして計4名の専門家を派遣し、直営店「和菓子処もみじ庵」の2号店を、平成15年11月に開店。2号店も目標売上高を達成している。


■高収益な直営店の展開と既存事業の効率化に期待

 直営店自体の収益性は良好であり、年々厳しくなる製造卸の体質から脱却するきっかけとなった。しかし、自己資金で行った1号店と違い、2号店は銀行借り入れを活用していることもあり、会社全体の収益改善に貢献するものにはまだ至っていない。
 引きつづき、限られた経営資源のなかにおいて、店長につづく「能力とやる気」のあるスタッフの育成及びお客様に飽きられないための新商品・新企画への取り組みを行うことによる高収益な直営店の展開と、物流を含む既存事業(製造卸)の効率化の両立を期待するところである。









企業体質の変革と中期経営計画策定支援による新分野進出
大阪市中小企業支援センター(財団法人 大阪市都市型産業振興センター)


 「人の力は借りてみるもんや!」
 産創館にお世話になって感じたことです。
 ギブアンドテイクではなく、テイクアンドテイクで借りられるのですから。
 民間のコンサルを利用したことがありますが、大きな出費をしたからと期待してしまいます。実は自分たちが変わらなくてはならないのに、できないのを指導が悪いと逃げてしまう。見返りを求めない行政の支援は、参考にするもしないも自分次第です。会社は自分で育てる。それを後押ししてくれるのが産創館です。


■社長就任後に環境変化マーケティングの重要性を痛感

生産拠点の中国進出を果たした同社にとって、経営の舵取りを行う経営者が交代するということは、大きな岐路に立っていたといっても過言ではない。
 もともと開発部門を統括していた社長にとって、会社全般をマネジメントすることは初めてのことである。営業の立場も理解しないまま、「なぜ、こんなに素晴らしい製品をもっと売ってこないんだ」と首をかしげることが多かったと当時を振り返る。
 代表取締役が直面したのは、同社を取り巻く環境の変化である。家電メーカーの生産拠点の海外移転が加速するとともに、長引く景気低迷により国内家電需要は減少の一途をたどっていた。このような状況から、永吉社長はマーケティングの重要性を痛感することになる。

■ワークショップに参加し自らの意識改革を図る

 就任当時、社長にとって最大の課題は、経営者としての「自分自身の意識改革」であった。
 そこで、社長は大阪市の中小企業支援センターである大阪産業創造館が開催していた経営課題解決支援プログラム「売って儲けるワークショップ」への参加を決意した。このプログラムは、商品や製品を売るための方法を徹底的に考え、議論し、実行する3カ月間の短期集中企業再建プログラムである。それを実践するためには、会社自体がいわば「儲かる会社」へ企業体質を変革することが求められる。その前提となるのが経営者自身の意識改革であった。
 このワークショップに参加して永吉社長自身も、(1)着地点(目標)を設定して物事を考える、(2)マーケティング的な発想をする、などを自覚するようになり、これらの意識の変化が、その後の同社の経営革新を後押しすることとなった。
 以前は「営業のことはわからない」といっていた社長であるが、ワークショップ修了後は「全従業員が一丸となった営業活動」を会社の方針として掲げた。そして、社長自身が営業マンに同行して顧客を訪問するとともに、事務職の従業員にも休眠客の電話フォローを行わせるなど、マーケティング志向の企業へと脱皮していった。



■中期経営計画の策定でコンサル出前一丁」を活用

 3カ月間の「売って儲けるワークショップ」を終えた永吉社長が次に取り組んだ課題は「中期経営計画の策定」である。それまでは売上の数値計画のみで、全社的な視点からの計画立案は行っていなかった。また、社長自身に会社として進むべき方向は見えているものの、それが漠然としたものにとどまっているという状況だった。そのため、社長の想いが全従業員にうまく伝わらないままになっていたのだ。
 新商品のカフレス(継ぎ手のいらない一体成型のホース)で、さらなる飛躍を狙う同社の戦略を中期経営計画として整理するにあたり、永吉社長は大阪産業創造館の専門家派遣事業「コンサル出前一丁」の支援を受けた。経営計画の策定は、(1)第三者にも説得力のある経営計画とする、(2)計画推進にあたって全従業員の参画意識を醸成するため、策定作業の段階から主要な従業員を巻き込む、(3)内容は具体的な行動計画を落とし込んだものにする、という3点に留意しながら、専門家のアドバイスのもとに進められた。

■新市場開拓を果たしたのち従来ビジネスからの脱皮を図る

 これらの支援を受けた同社は、これまでの家電市場に加え、カフレスという新製品により建材市場という新たな分野の開拓に成功した。
 同社の「量産品は中国の現地法人に生産をシフトし、付加価値の高い製品を国内工場で生産する」という戦略は、この新市場開拓により現実のものとなった。
 従来は配管工事の建材として用いられることが多かったパイプの代替品として、新製品のカフレスを建材市場に積極的に提案したことが新市場開拓の決め手となった。カフレスはパイプによる配管よりも免震性に優れているということが建材市場で認められたからである。
 新市場開拓を果たした同社は、それまでの「ホーステクノミスト(ホースの技術集団という意の造語)」というドメインアイデンティティを「ホールテクノミスト(whole:すべての)」へと改め、合成樹脂製の螺旋ホース製造業からの脱皮を図っている。
 同社の成功にはさまざまな要因が作用しているが、永吉社長が大きく意識改革を遂げたことや、明確な戦略を打ち出したことが大きな成功要因である。
 最後に、永吉社長から「最初は行政機関のコンサルティングに期待していなかったが、今後は大いに活用したい」と意欲的に語っていただけたことは、支援機関としての大きな励みとなっている。






金型のリユースと六価クローム・フリーにより環境にやさしい循環社会に貢献する
京都市中小企業支援センター(財団法人 京都市中小企業支援センター)



 当社が開発したTOP処理技術により、離型という極めて難しい技術的な問題を克服することができました。またリユースの際に、低コストや有害物質の六価クロームの排除による省資源化など、他社にない特徴をつけることで、環境保全も含め地域社会の活性化に寄与できるものと確信しております。
 平成15年3月に受けた「オスカー認定」が新規事業に強い追い風となっており、さらに支援センターの方々からの経営面・技術面の的確なアドバイスを受け、事業が順調に展開しています。心から感謝申し上げます。



■表面処理の課題に着目し「TOP処理」の技術を確立


独立し、コーティング装置等の販売代理店として設立された企業である。
 社長は表面処理の重要課題は下地処理にあると着目し、マイクロ・ブラスト装置のメディア(微粒子の粉体)開発に成功して、他社にはみられない「TOP処理」の技術を確立した。これは、金型の表面にメッキ、コーティングなどの表面処理をする前に「TOP処理」という特殊な下地処理をすることで「滑り性」が格段に向上するものである。また、表面処理(コーティング)後に「TOP処理」をすることにより、「離型性」が大きく向上する。

【TOP処理の特徴】
(1)コーティング皮膜の剥離
 TiN、CrN、TiCN、DCL皮膜、各セラミック・コーティングの
 剥離、複合メッキの剥離
(2)表面の不純物の除去
 放電加工表面の白層除去、研磨加工トレース内のカエリ除去、
 金型デポジット除去
(3)表面状態の改良
 マイクロクラック閉塞、金属表面の緻密化
(4)金型の品質向上
 ゴム・プラスチック金型の離型性、流動性向上。
 冷間鍛造用パンチ、ダイの破損防止
(5)精密部品の微細バリの除去
 時計用ギアー、放電電極
(6)摺動抵抗の軽減
 金型のスライドピン、エジェクターピンのかじり防止
(7)酸化皮膜の除去
 各種鋼材の熱処理の酸化皮膜除去、放電電極の酸化皮膜除去
(8)処理条件
  大きさ:400×500×300 mm
  材 質:金属 すべてOK
  特 徴:常温処理 歪みなし

 これらの特徴をもつ「TOP処理」により、従来不可能とされてきた金型・機械部品のリサイクルが可能となる。また短納期(1泊2日体制)で型の再製作のタイムラグが解消され、イニシャルコストの軽減を可能にした。


■オスカー認定を受けたことで会社と技術の認知度が一気に増す

 
 「TOP処理」という画期的な処理方法を開発した二九社長は、マネジメント体制の確立という次なるステージアップの方法を模索していた。そんな折、旧知である京都市中小企業支援センターのプロジェクトマネージャーにある会合で偶然に再会した。その際、京都市中小企業支援センターが実施・推進し、ビジネスプランの実現可能性を評価する「企業価値創出(バリュークリエーション)支援制度」への応募を勧められた。応募したところ、平成15年3月に実現可能性が極めて高い企業として「オスカー認定」を受けることとなった。この認定を受けたことが新聞等のメディアに紹介され、また京都市中小企業支援センターが発行する情報紙「インフォメーションからすま」でも当社の技術を紹介され、全国各社からの問い合わせが殺到するなど、当社の販売戦略に大きく貢献することとなった。
 さらに平成15年4月、当社主催の「新技術・新製品発表会」並びに「オスカー賞受賞記念発表会」に、支援機関である京都市中小企業支援センターの総務経営支援部長をはじめ、経営・技術各マネージャーが出席したことで、従来の協力会社はもとより新規顧客に対しても計り知れない信頼を得ることができ、新製品の評価が一層強まった。「オスカー認定」企業に対する支援策のフォローアップ支援として、ビジネスプラン達成のため、戦略の検討や増産体制に伴う新規協力会社の斡旋・紹介など的確な経営アドバイスを行うことで、当該企業の事業展開の構想の具体化に弾みがついた。


■錠剤成型の杵(きね)と半導体金型への取組み


 「TOP処理」の開発に成功した当社は、マーケティングにより、TOP処理とコーティングの技術を錠剤成型の杵と半導体金型の離型性にターゲットを絞ることが事業展開を確実なものにすると判断した。その結果、有害物質のなかの1つ、六価クロームを使わない表面処理の代替・コーティングが離型性により優れた効果をもたらすことがわかった。
 現在、製薬の打錠成型および半導体の金型分野に大手企業との契約も取り交わしたところである。今後、この「TOP処理」の技術を他の分野にも応用活用していくことが期待されている。





偶然から生まれた技術で画期的製品を開発
名古屋市中小企業支援センター(財団法人 名古屋都市産業振興公社)

 私たちはサラリーマンや教員などが集まってつくった会社です。 当然のごとく資本などは十分にあるはずもなく、公的な借り入れも行ってきましたが、担保がないとテーブルにも載せていただけない金融機関ばかりで、友人知人などから私的に借り入れて開発を行ってきました。そういったなかで支援センターからA評価をいただき、新たな借り入れを行なうことができ、九死に一生を得たようなありがたい支援をしていただきました。また、私たちは経営ということに関しては皆素人で、そういう点においても支援センターのマネージャーの皆様にはたくさんのことを教えていただき、あるいは親身になって相談に乗っていただき、ずいぶんお世話になりました。


■従来に比べよりクリーンなマイナスイオン発生方式

 優然の製品「快適空気システム『憩』」は微弱なX線を利用した空気浄化装置である。このX線などが照射された空間は電離され、これを弱プラズマ環境と称し、他に身近なものとしては炎などが挙げられる。
 当社では、X線の照射によってつくられた弱プラズマ環境下にマイナスに荷電させた電極を置き、X線によって電離された範囲のすべてをマイナスに偏らせる、という技術を開発した。一般的なマイナスイオン発生方法として知られているのは、コロナ放電という方法であるが、窒素酸化物やオゾン等を必ず生成するという弊害を併せもつ。また、水が硬いものに衝突するときにマイナスイオンを生成するというレナード効果という方法もあるが、ミストが蒸発した段階で湿度を高めるという弊害をもっている。

■ユーザーからの声で予期せぬ機能にたどり着く

 以上のようなことから、当センター事業可能性評価委員会では、当社のマイナスイオン発生は、よりクリーンな発生方法であると評価した。
 佐久間盛敏社長の話では、「快適空気システム『憩』」は、最初から空気浄化装置という機能をめざした商品ではなかった。
 佐久間社長は知り合いの高校教員に「静電気を除去する方法はないだろうか」という相談を持ちかけ、そのときに教えられたのが、X線による除電方法であった。帯電物にX線を照射するとあっという間に除電されることに驚き、これを商品化することを考えた。最初に導入したのは当時、静電気が大きな問題となっていたパチンコ店で、「面白いから買って試してやろう」ということで2台納入した。後日そのパチンコ店から「あの機械は空気を綺麗にしている」ということを聞かされ、佐久間社長は、最初、何かの偶然だろうと考えたが、パチンコ台のガラスやモニターテレビの汚れが明らかに少なくなっていた。当初はマイナスイオンにそういった力があるのかと思い、ある特別養護老人ホームに持ち込んで試してみたが、一向に効果は現れなかった。いろいろと試行錯誤を重ねたうえで出した結論は、マイナスイオンだけでは集塵効果はなく、電気集塵機があることによって初めてその効果が現れることがわかってきた。こうして現在の「快適空気システム『憩』」の原型が形成され、パチンコホールのタバコの煙にとどまらず、高齢者施設などのような、ほこりはあまりないが臭いで困っている所にも導入されるようになった。

■公的資金を活用しながら特許の取得を進める

 十分な資金をもっていない当社では、なかなか自力での開発がままならず、公的資金を活用した。開発期間中に中小企業創造活動促進法の愛知県知事の認定を受け、ここでは基礎的な研究を行った。また、科学技術振興事業団の独創的研究成果育成事業のモデル化企業として、具体的なガス体の吸着や若干ではあるが空中浮遊菌の研究を行った。それぞれ補助金あるいは委託事業費を受給して理論的研究を進め、アメリカと日本での特許を取得するに至った。
 これ以外にも公的な開発支援体制は種々あるが、結果的には資金的に安定している中企業が対象であるという観が強く、当社のような財政基盤の貧弱な企業は研究内容の前段階である財務評価で落とされてしまい、本質的なベンチャー企業が利用することはたいへん困難であることが多い。こうした制度が本質的な意味でのベンチャー企業が活用できるために、制度の抜本的な改革が望まれるところである。

■収益性を高めるために支援事業を積極的に利用

 試行錯誤を繰り返しながら、当社の「快適空気システム『憩』」の完成度も次第に高くなり、それに比例して納入実績も次第にあがっていった。経営的にはまだまだ未熟であり、なかなか損益分岐点を越えることはできないが、有限会社から株式会社に組織変更し、これまでの製品開発、技術開発を優先せざるを得ない体制から脱皮し、技術開発と売上、利益のバランスも考えた経営姿勢に移行する時期が訪れてきた。
 このような時期に、ちょうど平成13年4月にスタートしたばかりの名古屋市新事業支援センターを来訪された。当センターは、知名度・信頼度のアップのために、当センター事業可能性評価委員会によるビジネスプランの評価を受けることをアドバイスし、まず事業可能性評価委員会による事業評価を受けられた。そこで、製品としての将来性及びその独創的な技術力により、A評価と認定した。この高い評価に基づき、名古屋市の制度融資である「新製品・新技術開発導入支援資金融資」を利用して、融資を受けることもできた。さらに、平成14年度には、主に販売提携先などを獲得するためのアドバイスを行い、当センター主催のビジネスプラン発表会で事業計画を発表し、また、プロジェクトマネージャーのアドバイスで、産学交流テクノフロンティアなどへの出展、当センター主催のプレゼンテーション研修の受講など、PR活動を積極的に行うようになった。これまでに当センターでの相談回数は20回を超えるなど、経営者が気軽に相談できる支援機関として、事業展開の節目節目に積極的に利用されている。
 創業以来、地道に努力を重ね、独自の技術に基づき開発してきた製品と、支援センターのアドバイスによる積極的な企業並びに製品のPRが功を奏し、平成15年には全国的な営業網を有する大阪二部上場企業との提携にも成功し、今後の一層の発展、飛躍をめざしているところである。








高張力鋼の水中溶断技術の開発
千葉市中小企業支援センター(財団法人 千葉市産業振興財団)

油圧解体機の製造を業容の柱として、大手を含む競合他社を凌駕する製品を市場に提供してきました。従って、技術開発は最重要課題であり、それを達成する手段としての産・学・官の連携による共同研究は重要視しております。現在までに国のSBIRをはじめ県産業振興センターの支援で共同研究も行っております。
 今回は市産業振興財団の専門家派遣事業で、耐摩耗鋼及び高張力鋼の水素ガスによる溶断技術を完成させ、実戦力として役立たせることができました。
 また、これをきっかけに市産業振興財団とは、当社が抱える溶接を中心とする課題等を気軽に相談するなど、利用する機会が高まり、大変ありがたく思っております。


■技術力に裏づけられたリーダーカンパニー

 坂戸工作所は、油圧解体機の分野において大手企業を含めた競合会社のなかで、技術開発を経営基盤の最重点項目に置き、リーダーカンパニーとしての地位を確保している。 その発端は赤軍派による浅間山荘事件にある。家屋を破壊するため剛球をぶつけていたシーンが、現在でも多くの人々に鮮明に記憶されているが、現社長はこれを契機に油圧解体機の開発に取り組んできた。その製品群は、歴史的な大事件であるベルリンの壁の解体、阪神・淡路大地震、ニューヨークの世界貿易センタービルのテロ事件など多くの復旧工事に活躍している。
 油圧解体機の主たる市場と目されているものは、大都市圏の老朽化が進んだビルの解体である。バブル崩壊後の市場は低迷しているが、将来的にはビル解体の増加で、解体機需要の伸びが期待できる。企業を存続させ、さらなる発展を図るためには、市場ニーズを先取りした製品開発が必要である。最近では、鉄筋コンクリート構造物(RC)の解体の際、コンクリートと鉄筋の分別・回収を容易にするため、小型、軽量で強力な電磁石を開発し解体機に搭載している。また、SRC構造物の解体をガス切断を用いずに機械的に行う装置の開発に着手し、製品化に成功した。同社における製品開発の基本方針は非常に明確であり、競合大手メーカーに対し差別化できる製品を先んじて市場に提供することである。
 具体的には、この方針に沿って次のような目標を立てている。
(1) 10年使用しても主要部が壊れない
(2) 競合製品により10%以上軽い
(3) そして30%以上高能率である
頑丈で軽量、高性能な機械をつくるためには、できるだけ小さなエネルギーで大きく破壊する方法を見出すことは勿論であるが、構造部材に高強度鋼を採用することも必要であった。

■基板技術の向上をめざし課題解決に取り組む

 油圧解体機を構成するのは刃部と構造部で、いずれも合金元素を多く含み、焼入れ・低温焼戻し処理を行った鋼板である。同社ではこの種の鋼材をスウェーデンから輸入することを決めていた。その理由は、国内メーカーに比べて曲げ加工性が良好で、価格的にも魅力があったからである。また、自社消費だけではなく、輸入材を注文寸法に小切りして外販するため、代理店契約を結び、工場の増設計画も進めていた。
 通常のアセチレンガス及びプロパンガスを用いる溶断方法では、熱影響による軟化域が大きく、これを削除するには多大な工数を要する。また、軟化域が残存した場合は構造物の局部的形状との兼ね合いで、亀裂発生の起点にもなりうる。
 以上のことから、軟化域を最小に抑え、かつ、安価な溶断技術を開発することが急務の課題となっていた。  この課題を解決するにあたり、千葉市産業振興財団に相談があった。その理由として、同社では、�同財団が活発に企業訪問を行って交流が盛んであったこと、�マネージャーの人脈が豊富で課題解決に適した専門家の紹介を期待できること、�この分野を専門とするマネージャーがおり、適切な指導が期待できたこと、など3点を挙げている。

■現状にあった溶断方法を求め一体となって技術開発にあたる

 同社からの相談に対し、当財団ではマネージャーを中心に、この分野に精通した専門家を選定するとともに、この専門家と連携し、同社と一体となって技術開発に取り組んだ。
主な経過は次のとおりである。 
鋼板の切断方法のなかには、熱影響による軟化を発生しない方法としてウォータージェットがあり、またレーザー切断も軟化巾を少なくすることは可能であるが、経済性、対象板厚から両方法とも採用を断念した。 そこで注目したのが、国内でも関心を集めていた水の電気分解によって発生した水素を燃焼ガスとして用いる溶断方法である。特徴としては、水素ガスによる火炎は集中性に優れ、プロパンやアセチレンに比べて輻射熱が少なくガスの燃焼速度も速いため、熱影響部が狭く溶断速度も向上する。さらに、切断面の粗度も良好である。以上の知見をもとに、水素ガスを発生させるイタリー製のジェネレーターの導入を決定した。
だが、大気中の溶断では、この方法でも目標とする軟化巾には至らなかった。次の段階として、入力された熱を急速に奪うことを試み、水中溶断を実施したところ、設定した目標値を達成できる見極めがついた。また、鋼板表面側は水中とはいえ、ガス圧の影響で水が追いやられ、水冷効果が損なわれるため、裏面側はほとんど軟化域が生じないのに比べ、若干の軟化域が残った。構造体製作の際、裏面を選択的に摩耗が激しい面に使用することが有効な手段である。
溶断条件としては、鋼板の水面からの深さ、火口位置、溶断速度等が重要であるので、これらの適正値を設定した。現在は自動切断装置と組み合わせて、生産に寄与している。

■明確なコンセプトと適任人材の派遣

 成功要因の第1は研究開発に対するコンセプトが明確であり、本課題の目標も具現化されていたことにある。第2は派遣された専門家及びマネージャーが、数年前一緒に水の電気分解で発生した水素ガスによる溶断研究しており、ジェネレーターも購入し実験に供していたので、充分な知見を有していたことも大きな要因と考えられる。



文具のキオスクからセレクトショップへ 8坪の文具店の挑戦
仙台市中小企業支援センター(財団法人 仙台市産業振興事業団)



 支援センターの事業に参加し、One to Oneマーケティングのノウハウを手とり足とり教えていただき、これからの進む道が明確になりました。
 小さな店でもコンサルティングを受けられ、リニューアルまでできたのは、支援センターの協力があってこそだと思っております。



■圧巻! 店の狭さを感じさせないこだわり文具のオンパレード


 万年筆専門店として、昭和24年に 仙台市の中心商店街である一番町4丁目に創業した。長年、法令様式から手提げ袋、クリップなどを取り揃える小さな事務用品文具店として営業してきたが、平成15年9月に全面改装。売り場面積はそのままで、商品やサービスを一新した。「ギフト&コミュニケーション」をコンセプトに季節のカードや遊び心あふれる文具など、ワンランク上の素敵な日常を予感させる商品を取り揃えたセレクトショップに生まれ変わった。ガラス張りの明るい店内は若い女性たちでにぎわっている。
 文具業界では近年、大型化・24時間化・翌日配送サービスなど競争激化の一途をたどり、中小文具店の多くは苦しい経営を強いられている。他方、一歩堂は平成13年から増収をつづけており、高級万年筆のオークションや手づくりの紙ボックスを積み上げた巨大なクリスマスツリー(仙台市の「せんだいディスプレイコンテスト2003審査員特別賞」受賞)のディスプレイなど、来るたびに新しい発見がある楽しさを演出している。

■前代未聞の公開型支援事業マーケティングの効果を徐々に理解


 このような一歩堂もつい数年前までは年率数%のペースで売上が減少しつづけ、社長は店の方向性をどうすべきか考えあぐねていた。かつて売上の5割を占めていた伝票や領収書など近隣飲食街の業務用需要が、バブル崩壊、飲食売上の減少、大手安売り文具店の台頭により減少し、ついに売上の3割までに落ち込み、回復が見込めなかったからである。
 そんななか、中心商店街に1つの動きがあった。東京資本の激しい出店攻勢に地元商店が太刀打ちできないことに危機感を強めた有志6商店が、平成11年度に「One to One マーケティング研究会」を結成し、一歩堂もメンバーとして参加した。研究会ではお客様1人ひとりとの関係性を重視したOne to Oneマーケティングを商店の生き残り策と考えて勉強会を重ね、平成12年度には仙台市の協力の下、コンサルタントのサポートによりお店に来る人の属性調査を行って、顧客意識の把握と改善課題を抽出した。
 当初は「業種的に低単価の当店では効果が得られないのでは」と疑心暗鬼だった芳賀社長であったが、来店者 アンケート調査結果をみて、他店との差別化を明確にする必要があると認識するに至った。
平成13年度、支援センターはOne to One マーケティング研究会6店をモデルに、コンサルタントのサポートの下、実際に各店舗で顧客マーケティングを実行・検証して、結果を公表する「中小企業マーケティング実態調査事業」を実施した。
 一歩堂では、業務用需要に代わって売上を伸ばしている個人需要に目を向け、季節ごとに編集したテーマ商品が繰り広げられるオン・シーズン型の文具セレクトショップに挑戦した。店内レイアウトの変更、クリスマスカードのドアノック案内、年賀状印刷DMの設計の工夫など、支出を最小限に抑えながらも手間暇かけた販売促進によって、来店客数・客単価ともに前年比伸長し、12月の売上は前年比112%を達成した。
 結果報告会では事業の経過と結果について6店主の感想を取り混ぜながら公表し、参加した約140名の中小企業の方々にマーケティングの重要性を訴えた。

■自信を与えてくれたのは一歩一歩積み上げたノウハウ


 平成14年度、支援センターではコンサルティング支援をさらにパワーアップさせた「杜の都有望企業サポート事業」を実施した。One to One マーケティング研究会から一歩堂を含む2店と新規参加店1店、合計3店をモデルにしたこの事業では、13年度よりも参加店の主体性を重視した支援体制とし、店主自らが企画を立案、コンサルタントは実行をナビゲートすることによって、ノウハウを体得させることを目標とした。
 一歩堂ではDM等で既存客の囲い込みに引きつづき取り組むと同時に、季節編集型店として定着することを狙って、新商品・サービスの開発、店頭POPやレイアウトに代表される店舗提案力の強化に力点を置き、作戦に取り組んだ。その結果、クリスマスカードとカレンダーが完売になるなど、前年よりさらに売上が増加した。今後のターゲット客や訴求商品を把握することもでき、店のめざすべき道が明確になった。
 支援センターでは、事業の経過をホームページで公開。3店が集まってコンサルティングを受ける場の合同会議も公開し、また報告会を開催して多くの中小企業者の方々へマーケティング実践を習得する機会の拡大に努めた。報告会で、店を支える芳賀社長の妻えり子氏は、「当店のように予算も人手もない小さな店でもアイデア次第で顧客名簿を取り、DM等で商品を訴求することで、売上アップにつながる。個人店舗でコンサルタントに依頼するのは難しくても、このような事業に参加すれば手助けしてもらえて自店の道を明確にできる。不景気だからとあきらめないでぜひ一歩踏み出してほしい」と述べ、参加者を勇気づけた。
 通例、支援事業終了後にその成果を活用する例が少ないなか、一歩堂は自らの経験を再生の礎とし、その後も芳賀社長夫妻・社員一丸となって店のモデルの再構築を敢行している。女性客を中心にした新規顧客を取り込む一方、馴染み客の期待を裏切らない品揃えとサービスに気を配る。「この努力を本物にしたい。私たちはこの街で商売をつづける勇気を得ました」と力強く述べる一歩堂は、いまも前進しつづけている。









競争力のある製造業のローコスト体制を自動化で支援する
北九州市中小企業支援センター(財団法人 北九州産業学術推進機構)


 平成11年に50歳で創業し、当初は会社設立に関して、何からどのようにしたらよいかわからない状況でした。「創業塾」卒業後も資金調達方法や各種助成金申請、資本政策、内部規程の整備など、当センターにサポートしていただいた。このような各種支援がなかったら、いまのオーネストはなかったと感謝しています。



■50歳で大企業を脱サラ企業向けプロバイダー会社を設立


 常識を打ち破る独自の手法でビジネスを展開する社長は、50歳過ぎに大手企業をあえて辞め、1999年にオーネストを設立した。現在は、年商3億円と急成長を遂げているベンチャー企業である。
 経営理念は「お客様の満足度を得ることがすべてに優先する」である。業務内容は、"産業系コンピュータシステム構築専門のプロバイダー"であり、その原点は、新日鉄や横河電機でシステム構築に携わってきた社長自身の経験である。この経験と人脈を活かし大手企業の業務上の問題点を解決し、高品質で最適な産業用コンピュータシステムを提供する。ポイントとなるのは「提案・見積もりから、試運転調整、メンテナンスまで一貫したエンジニアリングサービス」と「適切な価格」である。また当社は、従業員それぞれの技術実績が評価されるしくみをとっており、その月にいい仕事をしたなら月単位の加給もするなど、明確な成果主義を採用している。
 この"産業系のコンピュータシステム構築"は、さまざまな業種業態への対応や多種多様なユーザーのコンピュータ機種に対応しなければならない。そのため、新規に産業系システム構築を業務とするビジネスへの参入はたいへん困難であるとわかっていた。大村社長は業務分析し自問自答した結果、あえてこの業界を選択したのである。

【社長の自問自答】
・ 日本の製造業は加工産業で成り立っている。
・ 産業が強くなければ国は成り立たない。
・ 生産コストを下げ、自動化して製造業が強くならなければならない。
・ 自動化にはコンピュータがいる。

Q: ところが、なぜ、日本の労働生産性は欧米に比べて低いのだろう?
A: 自動化が進んでいないからである!
一流鉄鋼メーカーや自動車メーカーは自動化が進んでいても、中堅以下の企業ではあまり自動化は進んでいないのが実情である。その理由はコンピュータシステムが高すぎるから投資する気にならない!あるいは小手先の自動化で終わっているのが実態である。

Q: では、システムはなぜ高いのか?
A: 営業費などの間接費にある!
間接費は会社の肥大化に伴って膨れ上がる。コンピュータシステムのコストが高い原因はここに大きく起因する。

A: では、間接費を抑え、効率的にシステムを構築できる技術力を有すれば、安くシステムを提供できる。


 社長は自問自答と前述の経営理念(お客様の満足度を得ることがすべてに優先する!)に従い、間接費削減のために思い切って当社の営業部門をアウトソーシング(すべて商社や機械メーカーに任せる)することにした。このアウトソーシングにより、「システムを構築して自動化したいが資金がない」というユーザーの希望が商社や機械メーカーから商談として飛び込んでくる。これも大村社長の人脈と経験の蓄積、さらに価格対応力によるものである。これが当社の一番の強みになっている。

■自社製品の開発は、すでに20商品を超える


 自社製品も、システム開発の経験と技術の蓄積から、独自で安価な商品が生まれてくる。
 例えば、あるプロジェクト(システム)を構築する段階で他にも使えるソフトがあると、一般的にはこれをデフォルメして他の業界にも応用して使えるように商品化する。この結果、さらに原価を下げることが可能になるという仕組みである。IT関連業界では、このような仕組みで商品化されるシステムは多く、さまざまな現場で稼動している。
 例えば、以下のようなシステムである。
○水処理プラントに最適な"プロセス監視制御システム「マスコット」"
( 上下水道・汚泥・工場排水等の処理並びに監視システムで北九州市長賞を獲得)
○「緊急発報くん逃がさんぞ!!」
(無人化された水処理場などでの緊急時の際、トラブル情報を自動的に担当者の携帯電話などに連絡し対処する)
 このような自社の開発ノウハウを活かして商品化したシステムはすでに20を超えている。
 しかし当社は、これらの商品を大々的にPRしたり、一般ユーザーに販売する考えはない。
 "一般的な営業活動をすると、営業組織・間接費が必要になり、コストの削減ができなくなる。商品説明するのはエージェントに任せる"と ターゲット及び役割分担を明確にしている。

■マネジメント体制を構築するため支援センターの事業を利用


 社長は、北九州市が起業者を対象に行ってきた「創業塾」(現在は実践企業塾に名称を変更)の卒業生であり、講師として知り合った中小企業支援センターのサブマネージャーを通じて、日頃から資金調達や経営について相談するため当センターを利用してきた。
 創業6年目であるが、図に示すように着実に業績を伸ばしており、当初数名だった従業員も35名に増員してきた。しかし、このような急成長に社内の体制整備が追いつかない状況となってきた。社長は、当センター、サブマネージャーと相談のうえ、まずは「社内規程の整備」について専門家派遣(社会保険労務士)によるアドバイスでこの課題を解決した。また、今後の「資本政策を含む経営計画の策定」については、"5年後の10期目には、株式上場をめざす"ことを前提に公認会計士のアドバイスを受けたところである。
 今後も、成長に応じて内部体制をさらに充実するとともに、中長期の経営計画を着実に進め、北九州発ベンチャー企業として国内外に大きく飛躍する可能性を秘めている。(SM増田幸一)