全国の中小企業支援センター支援事例集2
建設業から異業種に参入するなかで、中小企業の弱いところは総合的な機動力がないことです。弊社は(財)にいがた産業創造機構と知り合うことで技術・マーケティング・販売戦略に関する適切な指導を受けることができました。1中小企業の力だけではできないことも、行政との連携プレイにより実を結びました。当然、お客様方の受け入れ方も違います。このような後ろ盾が大きな信用度につながり、弊社として「美味しくて健康に良い食材」の提供を行えるようになりました。 | |||||
県内の有望な支援先として同社を当機構へ紹介。その後、当機構職員が同社を訪問し、新規事業としてはじめようとしていたハナビラタケ(商品名「越後花びら茸」)の生産・販売等の課題を聞き取りしたのが支援のきっかけである。
もともと建設業を営む同社は、食品の製造・販売のノウハウに乏しく、当該事業を進めていくにはマーケット分析を踏まえた戦略の構築、工場の生産性向上が解決すべき最優先課題となっていた。 また、地域では中堅建設業者として実績を積み上げてきた同社が、食品部門を手がけるということで、自らつくり上げた社名のイメージから受ける、商品と企業アイデンティティのギャップの問題があり、当該部門のPR戦略を行っていくことが必要であると考えられた。
もともとハナビラタケは人工栽培が不可能といわれていた絶滅危惧種的なキノコである。海抜1000メートル程度の標高において、カラマツなど針葉樹の根元に生えており、免疫抵抗力を高めるβ−グルカンという成分を大量に含んでいる。現在では、乾燥して粉末状にしたものが健康食品として流通し、100グラム2万〜3万円で取引されている。
同社はハナビラタケの人工栽培に成功している数少ない企業の1つで、同社の「越後花びら茸」の食感はシャキシャキとしており、美味しい食材に仕上がっている。
(1)市場可能性の分析
県内ホテルの料理長クラスなどを対象にヒアリングを行い、生鮮食材としての市場性について調査を重ねた。
結果は、どのヒアリングも好感触であり、機能性、保存性、通年性、調理性、調理応用性について、ほかのキノコへの優位性を確認できたほか、とにかく「おいしい」という市場の声を拾えたことが収穫であった。
今後の方向性としては、生鮮食材として非常に有望であるが、単価及び稀少性が高いため、「食の高級量販店」への流通が適当と判断された。
(2)生産工程改善
本年度、当該事業が当機構で実施する「ゆめ・わざ・ものづくり支援補助金」で採択された。生産工程、研究開発で使用する生産設備・機器導入に必要な経費の一部を補助することで、研究開発の加速度を上げたほか、資金繰りの面でも支援を行った。
(3)流通とのマッチング
当機構で実施する「流通開発ラボラトリー」で流通の専門家(バイヤー)からアドバイスを得て、結果としてアドバイスを行った東京の高級食品スーパーでの取り扱いが決まった。
(4)広告宣伝戦略
前述のとおり、商品と企業アイデンティティのギャップを埋めるため、当機構の総合支援グループ広報チームが中心となって、マスコミに対して積極的にPRを図っており、これまで地元紙などに数回取り上げられている。
上記の 生鮮食材としては、新潟県内ホテルや東京のレストラン、東京の食品スーパーに卸しており、健康食品(粉末・カプセル)としては、直販ならびに上越新幹線の車内販売カタログに掲載されている。現在、年間生産6トンであるが、建設中の新工場稼動後は40トンの生産を見込んでいる。
「越後花びら茸」の認知度を向上するためには、県内のみならず、全国へ向けた情報発信が必要となる。各種イベントへの参加はもちろん、高級飲食店への商材提供による話題づくりなども今後の課題となる。
また、新分野である当該部門に対して集中的に人材、資金を投下し、有望な食材として期待されるハナビラダケにいち早く取り組む同社の先駆者利益と、成長は大いに期待できるものである。
究極の健康食品への挑戦
長野県中小企業支援センター(財団法人 長野県中小企業振興公社)
■知人からの情報をヒントに研究を重ねて新分野へ進出
昭和60年(1985年)の設立以来、畜産家向けに飼料の生産・販売を手がけてきたが、平成7年(1995年)から畜産衰退などで経営状況が悪化した。塚原菊一社長が新分野進出を模索していたところ、知人から「米は玄米でも芽が出る」という情報を得て、発芽玄米の研究と商品化に着手した。 農水省中国農業試験場、農水省食品総合試験場との共同研究により、発芽で有効栄養成分に大きな変化が現れることが明らかになり、平成9年(1997年)には長野県と共同研究で「発芽玄米を利用した味噌の試醸」に成功し、平成10年(1998年)には「玄米麹及び玄米麹味噌の製造方法」の特許を共同出願した。 平成11年(1999年)には農水省食品総合研究所の指導により、一般消費者向けに発芽玄米を提供していくことを目的として「安全性と炊飯性に優れた発芽玄米」の研究成果を特許出願した。 その後、技術を商品生産に耐え得るレベルにまで研究を進め、生産工場を設置して生産活動 を本格化させた。この製品の比較優位性は需要開拓戦略で最大の武器であることから、今後はさらなる需要の開拓と、発芽玄米の利用度を高めるための応用技術の開発が求められている。 ■新製品で消費拡大を図り店頭公開をめざす
発芽玄米は「栄養に優れ、美味しい」という新しいコンセプトのコメ食品であり、これまでパック詰めした形態で生産・販売を行ってきた。しかし消費拡大を図るためには、消費者ニーズを捉えた新製品の早期開発が大きな課題となり、発芽玄米の物質特性による加工面での問題を克服していく必要があった。 需要開拓の方法としては家庭用、業務用、加工用についてそれぞれ用途別の製品開発を進め、同時に発芽玄米の有効成分に着目した新製品の開発などが求められた。それらの方法で売上を伸ばし、企業として店頭公開を果たすことを目標に掲げた。 生産面においては、自動化の遅れている生産ラインの整備、資金やマーケティング面でのレベル向上、先駆的メーカーとしてさらに知名度の向上を図っていく必要があった。 ■創造法の認定をきっかけに資金調達は進んでいった
新製品の研究開発費や工場建設費など多額の投資をつづけた結果、長期にわたって累積赤字を抱え、早急に資金調達を行う必要があった。平成12年(2000年)に創造法の認定を取得し、県信用保証協会の保証枠8000万円を獲得。これは結果的に、八十二銀行グループの八十二キャピタルから出資を受けることにもつながった。 また今後は、生産ラインの改良や現工場の移転計画で多額の移転費用を要することから、同年に当センターの商品化・事業化可能性評価事業でAランクの認定を受け、大型融資の実現に向けて折衝中である。 平成10年(1998年)度の売上高は0.5億円だったが、平成11年(1999年)度は7億円(前年度の1400%)、平成15年(2003年)度は19億円(平成10年(1998年)度の3800%)と急伸しており、今後も大幅な売上増が期待されている。 また従業員数も平成10年(1998年)度は5名だったのが、平成15年(2003年)度は65名と大幅に増加しており、地域の雇用促進、産業の活性化に大きく貢献している。 ■健康への効果が認められ社会的にも期待が寄せられる
コメの消費拡大は国の大きな国策でもあり、玄米をわずかに発芽させた「発芽玄米」の市場は、健康志向の高まりもあって急速に拡大している。生産販売する企業は全国に約50社あり、業界全体の売上は本格展開からわずか3年で150億円に達するという成長ぶりである。発芽玄米は主食を通して健康への効果が高められることから、社会的に大きな期待が寄せられている。 こうしたなかで、農村の復興とコメの見直し 普及を基本理念とする当社は、いち早く発芽玄米の研究に着手し、パイオニア企業として国、県、大学との共同研究を進めて14件を超える特許技術を開発し、業界の牽引役となっている。 販売も地産地消の実践から県産のコシヒカリを主として使用し、首都圏のスーパー向けには 銘柄を決めて約20種類の原料を使い、細かな 需要に対応している。製造方法はウェットタイプを採用しているが、高温殺菌で安全性を確保し、炊飯時に水に浸す必要がなく、美味しく炊けるなど他社との差別化も徹底されており、商品としての高い評価が得られている。 旧工場からの移転についても、上田市所有の土地に移り、生産ラインの拡充を図ることができた。 課題であった資金調達の面でも、商品化・事業化可能性評価事業のAランク認定により、ベンチャー・キャピタルによる資金調達に成功している。 今後、新たに工場増設の必要があり、そのため増設費用の調達など資金面での課題が大きくなると予想されるが、引きつづき支援を継続していきたいと考えている。 |
創業以来、特殊成型技術(六面—体型)による受注生産を行ってきましたが、平成9年より埋設可能な(目に見えない)セキュリティ用センサーの開発に着手、平成12年、開発商品が完成の時より現在に至るまで「工業所有権の取扱や製品の商品化及び販路開拓」ほかさまざまな課題に対して支援をいただきました。小規模事業者にとって先行きの見通しに苦慮しておりました折、財団法人やまなし産業支援機構の懇切丁寧かつ適切なご指導により着実に事業の伸展を図ることができ、衷心より感謝しています。 | |||||
同社は、昭和52年に個人創業し電気機器大手企業からスピーカーの完成品組立、コンピュータ部品、外装品等の受注製造を行ってきた。しかし同社の細田哲郎社長は、常日頃より親企業からの受注生産のみでは、先行きの仕事量確保は難しいと考えており、オンリーワン商品の開発に夢を抱きつづけてきた。そして、それまでに蓄積した電子技術、樹脂成形技術を基に、目に見えないセキュリティシステムの開発に着手した。プラスチックの特殊成形技術を活かして、独自に研究した検知用電極板を複数内蔵する物体検出装置が静止体及び移動体の判別が可能であることを解明し、事業化の方法を探っていた。
平成12年2月、社長が開発商品のサンプルを持参しこの製品の事業化の可能性について、財団内に設置された県中小企業支援センターに相談に訪れた。そこで事業可能性評価委員会事業を紹介し、委員会での審議評価を受けることを勧めた。
間もなく開催された事業可能性評価委員会で、他に例をみない技術の先端性と事業意欲が認められて事業の可能性を評価された。
事業可能性評価委員会より指摘を受けた問題点は、開発した装置の工業所有権の確認と新分野の販路開拓方法であった。特許権の明確化については、専門家(弁理士)の相談支援を行った結果、特許権利者として自信を深め、製品の試作完成に邁進する日々から商品化の目途がついてきた。
新分野への挑戦であり経営改善に取り組む企業として、中小企業経営革新計画の承認申請書の提出を指導し、経営革新計画について県知事の承認を受けた。平成13年に、財団法人やまなし産業支援機構のコーディネータを派遣して事業内容の具体化について、販路開拓方法や経営改善に関するアドバイスを行った。また、平成14年には開発製品の販売促進のために、ビジネスアドバイザー派遣による販路開拓支援を行った。屋外地中埋設が可能なセンサーの開発も進み、大手不動産会社と開発提携し、建築物に設置可能なセキュリティシステムとして、企業、戸建て用の装置を商品化し、国宝建造物にも採用されるようになった。
さらに、商品開発に意欲的な同社は、平成14年に、介護ベッド用センサーシステムの開発を行っている。このセンサーシステムは、被介護者が介護用ベッドの上で半身を起こすなどの姿勢動作を識別し、ベッドからの離脱時のみを検出して通報する商品である。従来のベッドセンサーは、荷重差を識別できないために、ベッドでの動作や他人や見舞いの荷物などの置き忘れによって誤作動が発生しやすい難点がある。開発した商品は誤作動がなく、薄型で柔軟性に優れ、設置も移動も簡単で、他社のセンサーに比較して低価格であることから、もう1つの事業の柱となることが期待される。
平成14年12月には、株式会社細田として法人化、セキュリティ機器の開発製造販売に徹する企業として経営革新を進めている。これは、同社が高い技術コアを有し、商品開発に対する意欲が高いためであり、事業の発展段階に応じた専門家等のアドバイスを受け入れ、事業の方向性を探り確実に実践したことの成果である。
中小企業の問題点は、開発した商品の販売力であるといわれている。同社が工場の量産体制や販売組織の検討をはじめていたところ、大手不動産会社がセキュリティシステムの特許内容に興味を示し、開発促進から量的生産等の提携を希望してきた。さらに大手自動車会社も試用を希望することとなった。このように信頼を広げていった要因は、商品開発と同時に常に市場開発において、顧客第一主義を貫いた点である。セキュリティシステム・介護システムごとの情報を、企業、ユーザー別に内容を精査して、営業戦略の方向性を見出し、それに基づいて個々の商談を推進している。また、「2003中小企業ビジネスフェアIN Tokyo」に出展し、さらなる販路開拓を期している。
事業計画に沿って、中小企業が抱える経営課題について専門家の助言や提供情報等を活かし、得意の分野に特化して商品開発・販路開拓を進め、着実に夢を実現しようとしている。
「ピンチをチャンスに!」 決然と一歩前進に1年を精進努力してくれた社員諸君を私は誇りに思う。デフレ不況の渦中にあった弊社は最悪の経営状態であったが、しずおか産業創造機構、主力取引先の地元信金、そして派遣されたアドバイザーの皆さんとの良縁で弊社社員は心を1つにして、ここまで改革できた。私も「感激・感動・感謝」の三感王になれた。まだまだ発展途上である。 | |||||
当社は近年まで、高い溶接技術と大型機械加工機を活用し、主に造船・工作機械・移動体通信業界等へ製品を提供してきた地場の優良企業であった。しかし同業界の海外展開による市場衰退、加工単価値下げ要求の激化により、平成13年度から売上が激減し、経営状況が悪化した。非常に強い危機感を抱いた経営陣は、当支援センターと主要取引金融機関である地元信用金庫と相談し、専門家派遣制度を利用することとした。
当社は造船業界で培った高い溶接技術・機械加工技術そして広い人脈を有していたが、経営体質が古くさまざまな課題が存在していた。
主な課題は、以下の4点である。
(1)経営陣の経営改革意識が共有化されていない。特に自社の強み・弱みの理解が共有化されていない。
(2)経営計画がない。経営方針はあるが、ビジョン・今後の事業領域が不明確であり、具体的な経営計画がない。売上の見通しも甘く把握されていない。
(3)作業者は各人の技術能力は高いが、個人プレーによるムラ・ムリ・ムダが多い。
(4)工場内の5Sが悪い。製缶作業が主ということもあるが、工場内が雑然としていた。特に、ムダ取り・改善意欲は感じられなかった。
ただ、個人個人の改革意欲・技術レベルは高く、これが1つにまとまれば相当な改革ができる可能性は強く感じた。
当社の強みを引き出すために、トップダウンとボトムアップの双方から支援していった。トップダウンとしては、
(1)まず経営陣の意識改革としてSWOT分析を行い、自社の強みを認識し共有化した。これにより、各経営陣の思いが統一され、進むべき方向が明確になってきた。
(2)次に経営方針・経営ビジョンの共有化。自社の強みを活かせるような経営方針・ビジョンを再構築した。
(3)経営戦略の策定。重要成功要因を抽出し、基本的な経営戦略の立案、各部門別の経営計画の構築を行い、実施することを明確にした。
(4)経営革新的な戦略内容を強化し、中小企業経営革新支援法承認へ挑戦した。
人的資源を有効に活用し、当社最大の強みである大型機械加工機を増設して、売上・利益の大幅アップを狙う計画である。
ボトムアップ対策としては、
(1)5S活動を全社的に展開することにより、グループ活動を活性化して改善意欲を高めた。この活動は、経営者の理解も深く、徹底的に行われた。
(2)工場パトロールによる改善能力の向上。工場長を中心に現場パトロールを定期的に行い、ムダ・改善点の発見能力を向上させた。
(3)製缶作業・機械加工作業での多能工化を図った。
以上のように、工場の根っこ改革としての、5S活動と、経営陣の思いを活かした経営戦略の構築、実行を短期間に平行して進めていったことが最大のポイントである。
当社は、わずか1年間で、売上及び利益を回復させ、経営危機の回避を成し遂げた(グラフ参照)。また、平成15年秋に中小企業経営革新法の承認も取得した。成功要因としては、
(1)経営者の経営革新に対する熱意・素直さ・根気が非常に高く、革新活動を継続させていったことが最大である。特に、アドバイザーの助言が100%受け入れられ、信頼関係が強く構築できた点は特筆できる。
(2)自社の強みを共有化でき、強みに基づいた経営戦略が立てられ実行されたこと。
(3)経営陣はじめ社員全員の、潜在能力・やる気を引き出せたこと。やる気になれば人の力はすばらしいことを実証できた。
(4)人的ネットワークの広さ・加工技術の高さも、売上の増加・革新計画の推進に大きく寄与した。
(5)社内コミュニケーションが大きく改善され、自由に発言できる雰囲気が構築できたことも、根っこの改革では重要であった。
経営者と社員がアドバイザーと同じ方向を向いて経営革新に取り組んだ好事例である。経営革新法の承認も取得され、今後ますますの躍進が期待される企業である。
みえ発”手づくり市民文化の全国発信を、経営革新で実現!
三重県中小企業支援センター(財団法人 三重県産業支援センター)
■創業は1896年 時代とともに事業を広げる
初代は、お寺さん。書に優れており、近隣の商家から表札書きを依頼された。上手に加え、町の人々にも親しまれる温厚至誠の人物であったため、「書いていただいた看板を掲げると、信用が増したような」と喜ばれることが常となり、ついに1896年、金星堂を興こすに至った。事業は「桑名の看板は、金星堂」といわれるほど順調に進展した。時代とともに、看板に加えて広告業に、また三重交通の広告やバス停を手がけたことから旅行業へも進出した。 ■バブル崩壊の影響から個人向けビジネスへと展開
しかし、バブルが音を立てて弾けた。固く本業に徹していたため、直接の影響は被らなかったものの、小笠原社長には、「お客様は、3Kを引き締めにかかるぞ」との不安が走った。その不安は急速に現実のものとなり、事実、企業各社は、交際費、交通費、広告費の削減をはじめた。 しかし、絶やさぬ笑顔で「悪いことは、全部忘れ、よいことしか覚えないことにしているの」というほどプラス思考の小笠原社長は、この難局を、「組織がダメなら個人がいるじゃない」と、新しいビジネスを立ち上げるチャンスと捉えた。 ■多様な中高年層には"手づくり"で対応するしかない
同時に、国家的問題となりはじめた少子高齢化社会を考えたとき、自分のこれからを見据えて「生きてきた証」を求めるとともに、夢を実現させようとしている、つまり「自己実現」に向かって模索している多くの中高年がいることを知った。「その夢を実現するお手伝いができないか」と考えた小笠原社長は、「多様な中高年層に対応していくには"手づくり"しかない」と確信し、"手づくり屋"のアイデアを胸に、相談先を探していた。 「"手づくり屋"のアイデアをおもちになって相談に来られたとき、業績向上をめざし新しいサービスの提供を計画することは経営革新支援法に該当すると考え、この制度の説明をしました。3〜5年の計画期間で付加価値額が9〜15%伸びることを目標に、新たな事業活動に挑戦していただく制度であること、承認を受けると研究開発補助金や低金利での融資を申し込む資格ができることなど、『ウン、ウン』とうなずきながら熱心に聞いていただきました。補助金や融資の話にも興味をもっていただきましたが、この支援制度の主旨は、計画を立案することによる実効性向上にあることをよく理解され、『まずは現状を第三者的な視点でしっかり分析し、課題を明確にしなければなりません。そのような支援制度はありませんか?』と、こちらが説明する前に聞かれてしまいました。そこで専門家派遣制度には経営革新に関係する制度と、経営支援、IT化支援などの制度があることを説明、現状分析のためには経営支援の専門家を、その後"手づくり屋"成功のためにたいへん重要となった情報発信のためのIT専門家派遣をお勧めしました」 専門家と現状分析を行った結果、小笠原社長は、企業をお客様としてきた金星堂が、ニーズだけでなく時間や生活習慣が百人百様の個人を対象とするには柔軟性に富んだ別組織を立ち上げるほうがよいと判断し、当センター派遣専門家の指導の下、"手づくり屋"計画をブラッシュアップ、経営革新を申請され、平成15年8月に県知事の承認を受けられた。 現在は、ホームページ等を充実するためにIT専門家の支援で検討を進めている。また、当センターとしても、承認された経営革新計画に沿った事業の円滑な実施のために、継続的にプロジェクトマネージャー、サブマネージャー等からアドバイスを行っているところである。 ■倉庫を改造した店舗で手づくり品を販売
街道に面する格子窓から、あんどんの灯がもれ、かつての宿場町の一軒を彷彿とさせる"手づくり屋"に入ると、意欲のある主婦や定年退職者が作成した、ベンチ、テーブルなどの木工製品、ちりめん細工、陶芸品など、趣味の手づくり品が価格をつけられて販売されている。木の枝のドアノブ、現代風にアレンジした格子窓や土壁、"手づくり屋"は、金星堂の倉庫を、文字通り手づくりで改造した店舗である。川合延雄店長は手づくり相談員であり画家であり、2級ヘルパーの資格をもつ。「自分史を残したい、趣味の作品を発表したいという方々の夢のお手伝いができれば」と話す。 ■全国的に反響を呼び社会貢献にも取り組む
「しっかりした計画を立てて成功でした。おかげさまで、来店数は予想をはるかかに上回っています。皆様の夢が叶うと同時に、私の夢も叶いそうです」 新聞等のマスコミにも多数取り上げられ、桑名市だけでなく全国的に反響を呼んでいる。また、ビジネスだけでなく、ユネスコ協会の「バングラディシュ支援チャリティー展示・バザー」を開催するなど、社会貢献の面でも活発に取り組んでいる。 |
新時代の畳にチャレンジ!
福井県中小企業支援センター(財団法人 福井県産業支援センター)
■市場縮小と輸入製品で厳しさが増す畳業界
近年、畳業界はどんどん低迷していて、天然畳の全国年間出荷量は10年前の6000万帖から現在の3000万帖とほぼ半減している。 畳業界は零細企業が中心で、大手ゼネコンに値切られて、いかに安く売るしか考えてなく、品質やユーザーのニーズは二の次となっていた。現在、全国の畳の7〜8割は中国産のイ草を使っていて、コスト競争のなかで、純国産のイ草の畳は5000円〜6万円するのに、中国産では安いもので1000円もしない状況だった。ただ、国産に比べて中国産の畳は、風合いや肌触りが違い、表面に照かりがあるなど、ユーザーのニーズから離れた品質の劣るものだった。 また、日本の住宅環境の変化により、畳が消費者ニーズに合わなくなってきていることもある。気密性も高く、ダニ・カビの問題や、マンションでは畳も干せないといった問題が出てきて、従来の畳では対応できなくなっていた。 ■天然畳に近い良質の化学畳に挑戦する
ダイヤロンはもともと「ふじい畳店」という普通の畳屋だったが、そのような畳業界の環境のなかで、「畳の文化をなくすわけにいかない!」という思いから、現社長の藤井忠氏が脱サラして家業に戻り、スタートした会社である。 まず藤井氏は、これまでと同じような消費者ニーズに合わなくなってしまった畳をつくるのではなく、消費者ニーズにあったものを安くつくれば売れるはずだと考えた。 安物臭いビニールの畳表でさえ数千万畳分も売れていたことを考えれば、化学畳でも本物に近い良質のものを工業製品として安くつくれば絶対に売れると思い、化学畳の技術開発に力を入れた。最良の原材料の開発に踏み切り、化学材料メーカーとの提携により、製品化することができた。 こうした取り組みを進めるにあたって、資金的な問題も生まれてきた。そこで、平成12年「創造的事業活動促進法」の認定を受け、無事、融資を受けることができた。認定までには、福井県や当支援センターの前身である福井県産業振興財団も助言を行った。 しかし、化学畳をはじめたころは、同業者からは、「そんなものは畳じゃない」といわれ、新しいものは受け入れてもらえなかった。そこで、独自の販売ルートの確立をめざすこととなった。 藤井社長は、化学畳の特性を考え、最も必要とされるのは、「旅館業界」だとの思いから、旅館に飛び込みで営業をかけたが、なかなか相手にもしてもらえなかった。ある時、営業マンらしき人が逆に旅館から歓待されているのを不思議に思い、何の営業マンか、本人が戻ってくるのを待って確かめた。結果は、「旅行会社」の営業マンだった。なるほど、旅館に客を呼んでくれる旅行会社なら旅館の人の対応も違うと納得し、営業方法を旅行会社の商社部門とのタイアップに切り替えることにした。 ■製品に違う価値を付加し関連業界への進出をめざす
その後、当社は、販売ルートも確立し、毎年、順調に売上を伸ばしつづけ、また、新たな事業展開をめざすようになった。1つの製品にまた違う価値を付加することで関連の業界に攻め込むようにしているとのことである。旅館からホテルやレストランへ、さらに保育園や老人ホームなど。全国規模の展示会にも積極的に出展し、アピールしてきた。東京ビックサイトで行われる「国際ホテル・レストランショー」にも、毎年出展しており、出展の際には、当支援センターの「ベンチャープラザ等出展支援事業」による補助金も活用してきた。 そうした展開のなかで、畳についても床暖房や遠赤外線機能などの機能についてのニーズを感じることができたそうである。 そこで、今度は、床暖房の機能をもつ畳の事業化にあたり、経営革新支援法の承認を受けることとなった。経営革新支援法についても、当支援センターが助言を行っている。 今後は、床暖房から電気関係の仕様へと手を広げたことから、電力会社系列にも代理店となってもらい、その販路を活用している。 ■明確な開発ポリシーと将来の市場を見据えたモノづくり
「消費者ニーズに合わないものを無理に売るべきじゃない、消費者ニーズに合ったものを安くつくれば売れるはずである」と、あくまでも畳業界ではなくて、ユーザーに向けて製品を発信するべきだと考えている。市場ニーズを知り、お客様に必要とされるものを提供し、よりよいものを提案することが、当社のポリシーとのことである。 「自分は何を創ろうとしているのか、それは何をするためのものか、それをするためには何をどう創るのが一番いいのか」を常に考え、次の世代の人々にも使ってもらえる"モノづくり"をめざしている。強いていうなら、そんなチャレンジ精神こそ"ベンチャー魂"であり、"ベンチャー魂"を発揮することで、今後もより消費者ニーズに合った、当社製品を提供していきたいとの思いをもっているとのことである。当社は、今後、さらなる成長が期待される。 |
当社は造園業界、建設業界、公共事業ともに今日の経済不況のなかにあって売上高の確保に苦戦しています。経営革新を推進するため、全社員が参加した"SWOT分析・環境分析"を実施し、経営課題を抽出して重要成功要因を決定したことは、経営の方向性を決定するうえでたいへん参考となりました。 また、屋上緑化部門に進出する経営革新を内容とする法の認定や補助金を頂きましたが、具体的にどのように戦略を立て行動すべきか、ひょうご中小企業活性化センターさまにコンサルしていただいたことは、事業推進するうえでたいへん役立ちました。 |
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1966年に造園業をはじめた。71年5月に法人組織化し、「神戸グリーン造園」を設立。95年に、現在の「グリーンスター株式会社」へ社名変更、エクステリア事業、ガーデニング事業、屋上緑化事業と常に時代の一歩先を進んだ事業を展開している。当社の経営理念は、「花と緑のある、美しく、快適な生活環境の実現に貢献する」である。
近年都市部においては、土地利用の高度化による緑地の減少、消費エネルギーの増大に伴う廃熱量の増加などによって、都市周辺部に比べて局所的に気温が高くなっている。
屋上緑化には、このようなヒートアイランド現象を緩和させる効果、冷暖房費の節減による省エネ効果、建物の長寿命化、都市型洪水の防止効果などの都市環境を改善する効果があり、社会的貢献度は大きい。
当社は、兵庫県庁2号館の屋上緑化コンペで最優秀に選ばれるなど、優れた設計力と技術力をもっており、各地で屋上緑化条例が制定される事業は追い風。また、農家に屋上緑化に必要なセダムを植生委託し、新産業分野を生み出している。
このたびの兵庫県庁2号館の屋上庭園設計コンペにはゼネコンなど35社が応募。「天地の苑」と名づけたグリーンスターのプランが採用され、新井組と共同で受注した。
グリーンスターがこれまで手がけた屋上緑化は、マンション、病院、学校、公共建築など約2万平方メートル。前年度の売上高は1億6000万円で、年商の1割を占めるようになった。
調査によると、今後10年間で、全国の主な都市の屋上緑化が可能な屋上の面積は9500万平方メートル。そのうちの20%とみても3800億円の市場規模があるという。
グリーンスターへの支援は平成13年度から15年度まで、「成長企業発掘育成事業」の対象企業として、マネージャーによる継続的な診断助言を実施した。
その内容は、3年後の"自社のあるべき姿"を具体化した中期経営計画の策定を行うとともに、新しい事業として屋上緑化部門の事業計画書の策定を支援したものである。
屋上緑化部門への支援により、平成14年度は黒字化となり、売上高・経常利益が増加して、全社の経営に貢献することができた。
特に建築公共部門の落ち込みを、成長が見込める新規分野の屋上緑化が補うかたちとなったもので、今回の支援は非常にタイミングのよいものであった。
また、姫路市郊外の休耕田を活用し、約3万平方メートルの土地を使ってセダムの種植えから育成し、植生マットまでの生産により、付近の多数の農家の皆さんに管理作業の雇用機会を提供する地域貢献型企業となっている。中小企業が地域住民を巻き込んで、小さな資金で大きな産業へ成長したビジネスモデルだといえる。
ひょうご中小企業活性化センターでは、兵庫県下における成長が期待される中小企業を発掘して育成する事業を平成13年度から推進し、現在に至っている。成長性が著しいグリーンスターをご紹介して、元気企業が成長発展する活動の源を探ってみた。
当社は不況のなかでも継続的に売上高の増加及び利益の増加を果たし、なお新規雇用の増加を達成している元気なモデル企業である。
当社は、独占性がなく競争の厳しい繊維縫製業を営んでおりましたが、将来に向けて特許に守られた高付加価値製品製造企業への発展をめざし、支援センタ−の紹介によるさまざまな公的支援制度を利用して新しい製品開発に成功しました。 売上も右肩上がりに伸びており、海外への製品販売の商談も進んでいます。 |
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フクセンは昭和23年の創業以来婦人服を中心とした縫製加工業に携わってきたが、長期かつ深刻な消費不況に加えて、海外からの低価格輸入衣料品との競争が激化し、これまでの低付加価値縫製品の生産では生き残れない時代に立ち至ったとの危機感をもち、新分野への進出を模索していた。
そのような状況のなか、それまで温めていた「完成衣料品抗菌、防臭、制菌処理加工システムの新技術開発」への取り組みを本格化させ、平成9年12月に中小企業創造活動促進法の認定を受けた。この認定を契機として平成10年には縫製加工業の廃業を決意し、「複合加工新機能加工システム」を実用化し同社のコアビジネスとすべく取り組みをはじめた。この分野はいわゆる「健康衣料」分野と呼ばれ今後、急速な市場拡大が見込まれている新しい成長分野であるとの確信をもっていた。
平成12年3月には「複合技術の開発」で経営革新支援法に基づく経営革新計画の承認を受け、平成12年6月からは中小企業振興公社が主催する産学官共同研究事業で「皮膚アレルギー抑制肌着・衣料の研究開発」をテーマとして和歌山県立医科大学皮膚科、和歌山県工業技術センター、とコンソーシアムを組み、実用化に向けて研究開発に取り組んだ。
研究開発段階でボラージ油加工布(綿100%、未洗濯でγ-リノレン酸含有)で健常成人へパッチテスト(光パッチテスト)を施行し、接触皮膚炎を発症しないことを確認したうえで小児用「皮膚アレルギー抑制肌着」を作成した。
平成12年12月から平成13年2月までに、和歌山県立医科大学皮膚科外来を受診した小児患者を対象に「皮膚アレルギー抑制肌着」を試着してもらい、その効果を検討した結果、良好であったため試験販売を実施する方向を固めた。
新分野への進出であることと同社には戦略策定スタッフがいないため、平成13年3月に専門家を派遣し、新機能加工商品の動向、新商品の販路開拓、事業計画書策定支援を行った。このことにより代表者(当時は現会長の福本勝守氏)が研究開発に注力し、新製品のブラッシュアップに専念できる環境を整えることができた。
同社が開発に成功した複合新機能加工システムは、(1)完成衣料品を薬剤に漬け込む「浸漬方式」を採用しているため、薬剤の吸着効果が大きい、(2)薬剤を組み合わせることによりユーザーの求める機能にフレキシブルな対応が可能、(3)完成衣料品に後加工を施すため縫糸・芯・ネーム・付属品にまで完全に機能を付加することができる、(4)特殊加工により薬剤を固着させるため、洗濯持続回数があり、効果の持続性が高い、(5)大量連続処理加工が可能であり、コストダウン効果が大きい、など今後も需要分野の拡大が期待できる。
平成13年10月には、縫製加工業当時から引きずっていた同社の脆弱な財務体質を補強するため、中小企業振興公社の創造的中小企業支援事業による3000万円の資本増強を実施し、さらなる研究開発を持続できる体制をつくるために、財務面からの支援を行った。皮膚アレルギー抑制肌着(商品名「アトピュア」)の試験販売は順調に伸びはじめたが、アトピュアだけでは市場が限られているため、会社の安定的な発展を考え、事業の2本目の柱として同社の複合新機能加工システムの応用分野である、「美白肌着」「ダイエット肌着」の製品化を行った。その製品の販路開拓支援として、平成14年8月に中小企業振興公社の事業化可能性調査を適用し、市場調査を実施した。
つづいて平成15年7月には、(1)事業拡大に伴い、経営体力、資金力などの総合的な経営診断、(2)事業の方向性、販路、市場などの事業戦略の構築、(3)事業計画の見直しと事業計画書の策定、などを支援するため専門家を派遣した。
同社の成功の要因は、(1)低付加価値縫製品の生産から「食べる健康から着る健康へ」をキャッチフレーズにして「健康衣料」分野へ進出したこと、(2)研究開発型企業と位置づけ、新機能製品の開発、加工システムの販売、特許料収入を主業務とする企業へ脱皮したこと、(3)複合新機能加工システムを開発した現会長(開発当時は社長)は研究開発を得意分野とし、その業務に専念するため、販売のエキスパートとしてアパレル業界から人材のヘッドハントを行い、代表者に就任させた(現代表者小野敬伸氏)こと、(4)事業のコア部分(新商品の開発・加工)以外はすべて外注し、研究開発に特化したこと等があげられる。その成功のバックグラウンドでは、完成衣料品に健康・美容などに効果のある天然成分を分子結合させる技術(ナノテク)を開発。またアトピー性皮膚炎・老人性皮脂欠乏症のかゆみ・乾燥肌の抑制加工、美白・美肌・ダイエット・制菌・抗菌・消臭・防臭などさまざまな新機能を衣料品に付加するという後加工方法を確立し、衣料品の高付加価値化を実現させた。
婦人服を中心とした縫製加工業の廃業を決意し、創造法の認定・経営革新法の承認を受けるなかで、自社の開発の方向性を確認しながら産学官の連携による研究開発、専門家による事業計画の策定支援、販路開拓調査等について窓口相談でアドバイスを受けるなど、うまく活用したことが経営革新の実現につながった。現在、同社は3本目の柱として、女性用衛生・健康グッズの事業化に向けて奮闘中である。
重点支援企業としてあの手この手で集中支援
広島県中小企業支援センター(財団法人 ひろしま産業振興機構)
■環境と福祉を企業戦略の中心に
父と兄がはじめたカーコーティング事業を脱サラして手伝ったのがビジネスの世界と出合った最初である。その後、順調に売上を伸ばしていたが、バブル崩壊により大手ディーラーが参入してくると、二段式駐車場に目をつけ、単身渡米し、国内独占販売権を取得して業容を拡大していった。しかし軌道にのってくると、再び大手企業が参入し、シェアを奪われていった。「大手企業が簡単に入ってこられない分野はないものか」と探し回った結果、めぐり合ったのが、生ゴミ処理機であった。中本社長の旺盛なチャレンジ精神と抜群の行動力で、環境というまったく未知の分野に飛び込んでいった。いまでは、売上の7割以上が生ゴミ処理機や包装食材ゴミ分別機などの環境関連製品である。さらに、「明るくポジティブな介護」をコンセプトに福祉介護分野にも参入を果たし、国内独占販売権をもつ欧米直輸入の介護用品販売を行う「ビーカラー」ショップの全国展開を図っている。「環境」と「福祉」を今後の企業戦略の中心に据え、国内のみならず海外を視野に入れ、大きく飛躍しようとしている企業である。 ■重点支援企業として集中支援をスタート
「50�タイプの分解消滅型生ゴミ処理機」は、近畿大学と共同研究開発したバイオ菌を使い、50�の生ゴミを約5時間と従来のものより短時間で、無臭に近い状態で分解消滅させることができる製品である。内容物のバラツキにも安定性能を発揮し、消臭型で省スペースのため屋内でも設置が可能である。お客様からのトラブルにも短時間で復旧できるメンテナンス体制を整えており、技術スタッフによる即時対応が大きな強みとなっている。その後、食品工場や総合病院など大量の生ゴミが発生する納入先からは、100kg以上の処理が可能な大型機開発の要望が強く出されるようになった。大型機の開発にあたり、処理能力の効率化に伴うバイオ菌の開発、小スペースを基本とする機構の改良、オゾンを使った新脱臭システムの開発など開発資金の調達が大きな課題であった。 支援センターでは、金融機関など第三者がみても納得できる事業計画書の必要性を説得し、「ビジネスプラン作成セミナー」の受講を勧めた。講師の中小企業診断士、プロジェクトマネージャー、サブマネージャーが中本社長と何度も議論を交わし、事業計画書を練り直しつくり上げていった。 そして、できあがった事業計画書により、ベンチャー企業と商社、証券会社、金融機関等との出会いの場として毎月開催している「ひろしまベンチャー交流サロン」でプレゼンテーションを行い、開発資金の必要性を訴えた。 このサロンでの発表後、複数の大手商社から海外での独占販売契約の申し出など具体的な提案があり、また大手生保や証券会社からは投資の打診を受けたことから、この大型機の市場性に自信を深め、開発のスピードアップを図るきっかけとなった。 支援センターでは、資金面と販路面を強力にフォローするため、事業可能性評価委員会で重点支援企業として認定し、支援のスピード化を図ることとした。 事業可能性評価委員会では、当該開発製品の事業化に向けた可能性について次の項目の再点検を行った。(1)戦略の明確性、(2)製品・サービスの強み、(3)技術の強み、(4)販売力・チャンネルの強み、(5)内部体制ネットワークの強み、(6)外部ネットワークの強みの観点から総合的に分析を行った結果、家庭用を中心に大手メーカーが大きなシェアを占めているものの、独自技術をもつ中小メーカーがシェアを伸ばす可能性は大きいというものであった。 そこで再び事業計画書を練り上げ、事業可能性評価委員会において中本社長がこの事業の必要性についてプレゼンを行い、事業化は極めて有望という評価を得ることができた。この評価を受けて、広島県が出資する公的投資事業組合から2000万円の第三者割当増資を得て、開発資金を調達するとともに、信用力の向上にも役立てていった。 ■国内販売網を固め海外戦略を進める
その後、大手機械メーカーとOEM契約を締結し、全国的な販売網を構築するとともに、海外戦略も視野に入れるようになった。そこで、海外ルートをもつマーケティングの専門家を派遣し、環境問題に国を挙げて取り組んでいる東南アジア、特にシンガポールとマレーシアの販売ルートづくりを支援した。専門家の紹介により、ジョホールバル州政府の後援を得ることができ、「マレーシア環境機器展示会」を単独開催し、現地マスコミに取り上げられるなど大きな反響を得ることができた。現地販売会社と連携し海外での新たな販売拠点づくりを進めている。 また、交流サロンでコーディネーターを務めた公認会計士が、株式公開に向けて社内体制の整備と経営基盤づくりを進めるため、社員研修制度の充実などに現在取り組んでいる。 中本社長の「チャレンジ精神」と「行動力」なくして、いまのテックコーポレーションはないといっても過言ではないであろう。 |
「世界一つしかない家を売る」ホーム・サラ「こだわりの本物住宅」
岡山県中小企業支援センター(財団法人 岡山県産業振興財団)
■価格競争に巻き込まれないユニークで顧客満足の高い家づくり
大手優良工務店の下請けとしてセンスのよさ、卓越した工事で知られていた。特に内装関係は群を抜いており、工務店の信頼は抜群であった。 しかしながら、いずれ工務店形式のやり方は建築業界で破綻すると確信し、将来の業務を模索していた。価格競争に巻き込まれたのでは、存在価値が薄くなるので、ユニークでお客様に満足していただく家づくり、家具づくりと販売をどのようにしたらよいか考えに考えた。 結論は不特定多数のお客様ではなく、特定のお客様に、世界で1つしかない家、家具をご提供し満足していただくことであった。 そこで経営革新について岡山県支援センターに相談して、診断助言を受けながら計画を具体化することにした。 ■支援前の課題と支援のポイント
支援前の課題は、次の7項目を十分検討調査し、まとめることであった。
■お客様の要望を親身に聞き技術力とセンスのよさで応える
企業が抱える課題に対し、企業がよく検討する過程で支援センターからも適宜アドバイスし、最終決断し、実行したのは次のとおりである。
また、社長の指示で常に技術を向上し、センスのよさを磨きつづけるために、世界各国の一流の家、家具をみて自己研鑽を怠らない社員は案山子屋の財産である。 幸せなことに、全国誌「私のカントリー」「プラスワンリビング」等に「サラ」の家が家主ともども掲載され、全国的に有名となったため、マーケットは岡山県外7、岡山県内3の比率となり、ボーダレスが進んでいる。 また、耳に障害のあるご夫婦と家の仕様をe-mailでやりとりし、家をお渡ししたとき、ならびに全国誌に載ったときには何にも替えがたい生きがいを感じ、ご夫婦ともども至福の時を経験した。 ホーム・サラとしてはデザインと感性を極め、丹精こめた家で、人が人として憩い安らいでいただけることが一番の励みである。 待望の複合的機能の展示場の完成も間近であり、真にお客様との信頼を高め、オンリーワン企業の地位を確固たるものにする日は目前である。 |