伝統的工芸品編

 

阿波和紙

阿波正藍しじら織
 阿波和紙の始まりは、今から約1300年ほど前、忌部族という朝廷に仕えていた人たちが、麻や楮を植えて紙や布の製造をさかんにしたとの記録が古語拾遺(807年)に見られ、以来、忌部族の始祖天日鷲命を紙の始祖神として崇め祭ることにより、その技術が伝承され現在に至っています。
 
 阿波しじら織は、明治初年に海部ハナという人が、憲政年間(1789〜1801年)に阿波地方で盛んに織られていた「たたえ織」という木綿縞に、改良工夫を加えて織り始めたものです。天然の植物性の藍(阿波藍)で染めた 綿織物で、「しぼ」のある肌ざわりと清涼感をもつ夏季衣料として最適のものです。

大谷焼

   

 

 
  安永9年(1780年)に豊後の国の焼物細工師・文右衛門が大谷村において作ったのが起源と伝えられています。阿波藍を寝かせるための大甕が盛んに焼かれ、今も身の丈程もある甕や睡蓮鉢の大物陶器の大きさとそれを焼く登り窯は日本一とされています。
香川漆器

 

丸亀うちわ

 香川漆器は江戸時代後期(1772年〜)玉緒象谷翁により蒟醤、存清など中国伝来の漆器技法を研究し、わが国古来の技法を加味して漆塗技法の新しい分野を開拓しました。その技法を継承し現在高松市を中心に、特色ある漆器が数多く生産されており、それらを総称して「香川漆器」と呼んでいます。  四国の金毘羅参りの土産物として丸金印入りの渋うちわが考案されました。江戸時代中頃には、丸亀藩が藩士の内職として勧めたことで、今日のうちわ作りの土台ができました。全国のうちわ生産量の約90%を占めています。

砥部焼



大洲和紙



 安永6年(1777年)に大洲藩主加藤泰公が、地元の砥石を原料に肥前の陶工を雇い入れたのが始まりです。
 地元で産出する陶石(砥部陶石、高野川陶石)を用いた温かみのある素地を生かし、それに大胆な筆使いの文様を染付けした食器や天然の灰を用いた柔らかい発色の青磁の花器などは、実用的でしかも温かみのある砥部磁器独特の世界です。
 伊予の紙は延喜式に出てきます。史実では、元禄年間(1688年〜1704年)に善之進なる僧が来村し、大洲藩紙漉の師として、その技術を指導し、藩内産業として繁栄したとあります。
 和紙の良さは洋紙と違い、1枚1枚手づくりであるところから、その暖かさ、人間味などが伝わってきます。

 土佐和紙

土佐打ち刃物

 土佐和紙の起源は、平安時代の延喜式に献上品として土佐の名が出ています。その時代にはすでに和紙の産地が形成されていたようです。その後も和紙づくりは自然的背景に恵まれて栄え、江戸時代には土佐七色紙が徳川幕府に献上されています。全国における和紙先進県に位置し、その伝統は守り継がれています。  天正18年(1590年)土佐一国を総地検した、長宗我部地検帳に、399軒の鍛冶屋がいたことが記されています。藩の森林資源の確保および新田開発の振興策の遂行により、農・林業用刃物の需要が拡大し、土佐打刃物は生産量・品質ともに格段に向上しました。