元気印の企業17


 「廃棄物を見れば企業が分かる」
 廃棄物処理のコスト管理や適正な処理を目指す環境マネジメント事業を中核に、全社的な経営戦略と情報化戦略の策定に携わるコンサルティング企業だ。2005年9月期の売上高は3億5000万円で、このうち環境マネジメント事業が2億4000万円を占める。
 同社は、小松武司社長が1996年に旅行代理店の営業マンから独立して設立。翌1997年には飲食店チェーンのフランチャイジーとして喫茶店の経営を始めた。店舗運営のコスト、特に廃棄物にかかわるコストには「光が当たっていなかった」(小松社長)ことに気付く。自らの店舗で廃棄物のコスト管理を進めるうち、他のチェーン店舗に助言できるまでになった。そこで1999年に、一般・産業廃棄物の収集管理やリサイクル事業を本格的に始めることになった。
 現在、約2万件の廃棄物処理のデータを保有しており、業態、規模、立地によって「どれくらいのゴミが出るのかが、おおよそ把握できる」という。さらに、売れている店舗はどういうゴミがどういう出方をするのか、「廃棄物を見れば企業が分かる」ところまでたどりついた。廃棄物処理を中核に、環境マネジメント事業に強みを持った同社の真骨頂がここにある。
 2006年内に株式上場申請へ
 起業家精神は環境マネジメント事業だけにとどまらない。企業価値や社会的価値の向上をキーワードに、全社的な経営戦略と情報化戦略の策定にかかわりたいと願うようになっていった。
 それはある人物との出会いをきっかけに実現していく。
 2004年に、当時同社の経営指導をしていた監査法人、トーマツのコンサルタントから、後に同社の経営陣に入ることになる2人を紹介された。2人は、小松社長が営業に力を入れすぎるあまり、短期的な結果だけを追い求める経営体質になっていることを指摘。「もっと総合的なコンサルティング企業にしたい」という小松社長の意志を汲み取りながら、会社としてどこを目指すのかについて何度も話し合った。それは3カ月間におよび、その間、小松社長を、営業現場に口を出させない「カン詰め」状態にした。
 この結果、経営姿勢が「様変わりした」と小松社長は振り返る。それまでの環境マネジメント事業を生かしながら、「戦略マネジメント事業」「システムコンサルティング事業」を加えた3事業を会社の目指す姿としてはっきりと宣言。企業価値の向上をキーワードにする総合コンサルティング企業の姿が定まった。その実現の第一歩として、株式上場を目指す。
 コンサル事業を伸ばす
 株式上場の目的について、社長は「資金よりも、信頼性と優秀な人材の継続的な確保が目的」と控えめに語る。現在、戦略マネジメント事業とシステムコンサルティング事業の売り上げは全社のおよそ30%。この分野をさらに成長させ、「コンサルティング先企業の株式上場を資金面からも支援していく」方針だ。



 皮は手づくりと同じ水分比率に
 ぎょうざの満洲は「安くておいしいぎょうざが安心して食べられる店」を経営理念としている。会長が脱サラし、1968年に創業した。
 池野谷ひろみ社長は会長の娘で、約4年間の他社勤務を経て1987年に入社。メニューを原材料に置き換え、レシピ化するとともに、コンピューターによる在庫管理、受発注の経営管理システムを構築した。事務経験を生かしたもので、外食業としては素早いコンピューターシステム化だった。同社の看板商品「生ぎょうざ」は、基本的に、前日に売れた数量を自動的に翌日製造するシステムになっている。店で商品として販売する当日の朝4時からキャベツを切り、具を混ぜ合わせ、成形する。
 2005年6月に、埼玉県坂戸市に新本社工場を構え、餃子(ぎょうざ)のラインを増設、製造時間を大幅に削減した。1時間に5万4000個製造する。「外食といっても、家庭の食の延長線上。いかに家庭の味に近づけ、おいしく食べていただくか」(池野谷社長)。一消費者としての感覚も忘れない。
 「餃子の半分は、皮が占めている。水分をたくさん含んでいたほうが断然おいしい。うちの皮は、手づくりと同じ50%の水分比率で製造できる」(同)と胸を張る。通常の機械製造だと、水分を30−40%程度しか含まないため、機械をメーカーと共同で開発した。
 全店直営で44店舗、5年後は80店舗に
現在、全店直営で44店舗を展開。5年後には80店舗に拡大するのが目標だ。「勤務地だけでなく、自宅のそばでも食べたいという顧客ニーズを吸い上げ、広く展開してきた」(同)。その日に製造した餃子を出荷するため、埼玉県の坂戸、鶴ケ島両工場から30キロメートル圏内、駅前から150メートル以内に店舗を構える。全社の成長率がマイナスなら、出店を控えて内部を充実させる。プラス成長となった時に初めて進出する姿勢だ。
 2005年11月に、埼玉県から彩の国指定工場の認定を受けた。さらに本社と坂戸、鶴ケ島の両工場、全店舗で品質管理・監査の国際規格「ISO9001」の認証を取得した。「ISOの認証取得は2004年の1年間をかけて全社員で取り組んだ。自分たちの不足部分を身をもって体験できた」(同)という。これらの功績が認められ、2005年度の「第23回優秀経営者顕彰」(日刊工業新聞社主催)で女性経営者賞を受賞した。
 工場新設によるハード面の充実と並行して、人材育成といったソフト面の強化も進めている。2005年12月からは、月に一度の社員研修を実施している。これを通して、生産面でのトラブルも徐々に減少しているという。「これまで出店してきた店を畳んだことがないのは誇り。今後も、一度店を出したら、その地に根付いていくつもりで店舗経営を進めたい」(同)という。当面の目標は、フル生産の工場稼働だ。
 消費者を飽きさせない工夫がカギに
あえて餃子を前面に押し出し、おいしさを追求してきた点が消費者の心をとらえた。前日売れた量を製造するため、売り切れてしまうこともあるという。これまで守り抜いてきたスタンスを大切にしつつ、消費者を飽きさせない事業展開ができるかどうかが今後のカギとなりそうだ。また、規模拡大に伴い、求心力の確保や、柔軟な経営姿勢が問われるだろう。



 デザイン性と低価格を両立
 メガネを楽しむ若者が増えている。2、3本メガネを持っており、その日の気分や予定に合わせて着け替える若者も多いという。高級品で、1本を長く使うのが当たり前だったメガネは変化している。こうした中、ジェイアイエヌが元気だ。高いデザイン性と低価格の両立をスローガンに、メガネ事業を製造直販型小売業(SPA)で展開し、業績を伸ばしている。
 田中仁社長が金融機関勤務などを経て、会社を設立したのは1988年。生活・ファッション雑貨の企画、製造、卸を手がけた。メガネ事業は、2000年春に韓国を訪れたことがきっかけとなった。
 当時、日本でメガネは、1本数万円する高級品との認識が一般的だった。一方、韓国ではメガネを3000円で販売する店が流行していた。「玩具のような製品だったが、視察に同行した流通業界の関係者も、そのメガネを買って大喜びしていた。気軽にメガネを買いたいというニーズは、日本でも強いのではないか」。田中社長は、ビジネスチャンスをかぎ取った。
 約1年間の準備期間を経て2001年、福岡市に「ジンズ」1号店をオープンした。従来の雑貨事業で培ったノウハウを生かし、生産をすべて海外で行うことで、レンズ付きセットで5250円という低価格を実現した。
 複合店や服飾雑貨店も
 また、メガネは服飾雑貨の一分野と明確に位置付け、ファッション性にもこだわった。売れ筋商品でも追加生産はせず、毎月10型以上の新製品を投入する独自のマーチャンダイジング手法を打ち出した。開始当初は「顧客のデザイン嗜好(しこう)を把握しきれず、全く売れない商品も多かった」(田中社長)というが、現場の店長とデザイナーの両者が協力し、製品開発に取り組む体制を2002年に確立。今では「デザインの良い部分を損なわずに、新規性を加えるノウハウを蓄積」(同)し、顧客ニーズに対して的確かつスピーディーに対応することが可能になった。
 ジンズは若者の支持を受け現在、全国に18店舗を展開する。「メガネ店の敷居を低くし、もっと足を運びやすい場所にしたい」(同)との思いから、メガネ店とカフェの併設店、メガネと帽子を取り扱う複合店など新形態の店舗にもチャレンジしている。
 田中社長は「メガネだけでなく、さまざまな商品を通じて、新しいライフスタイルを提案していきたい」と抱負を語る。ジェイアイエヌにとってジンズは、一ブランドにすぎない。婦人服飾雑貨ブランドの「クール ドゥ クルール」はすでに5店舗を構え、2006年秋には紳士の服飾雑貨ブランドも立ち上げる計画だ。メガネ事業で培ったノウハウを生かしたブランド展開の今後に注目が集まる。
 デザイン力の維持がカギに
低価格を訴求するメガネ店は、今では珍しくなくなった。その中でジェイアイエヌが支持を受けているのは、商品から店舗内装まで、先端の流行をとらえたデザインを提供し続けているからだ。同社は既存のメガネ事業拡大と新規事業立ち上げを打ち出している。拡大路線を突き進む中で、強みであるデザイン力を維持できるかが成功のカギを握る。



 工業用薬品容器と業務用ビア樽に
 新潟県燕地区は、かつて金属洋食器産業が隆盛を極めた。このため同地区には、4200社もの中小企業がひしめきあっている。しかし現在は発展途上国の追い上げに遭って衰退し、どの企業も事業転換を迫られている。もちろん、ことはそう単純ではなく、事業転換に失敗して倒産する企業も出ている。
 そんな中、金属洋食器からゴルフボールに転じて株式上場を果たした遠藤製作所、電解研磨業からパソコンの筐体に転じて発展を遂げている東陽理化学研究所、そしてステンレス製の容器に転じたステンレス工業の3社が事業転換の成功例とされている。
 この中でステンレス工業の社長は、日刊工業新聞社が主催する「優秀経営者顕彰」の地域社会貢献者賞を受賞した。
 ステンレスはまず、1980年に金属洋食器からステンレス製の魔法瓶へ事業転換した。この転換は一時成功したものの、たちまち東南アジア勢に市場を奪われたため、1986年以降、工業用薬品容器と業務用ビア樽に再度転換した。
 工業用薬品容器は半導体の洗浄液などを入れて搬送する容器を中心に製造しており、200リットルを中心とした中小サイズが多い。大手の工業用薬品メーカーや半導体の材料メーカーに販売している。
 一方、業務用ビア樽はビール工場から飲食店にビールを届ける時に使われる搬送用の容器で、サイズは5−200リットル。ユーザーはアサヒビール、サッポロビール、サントリーなど。国内の市場規模が年間数十億円とされる中で、同社がトップシェアを占めるようになった。
 社内で一貫生産、クリーンルームも
 同社がステンレス製容器への事業転換に成功したのは、社内で一貫生産体制を構築したことが大きい。燕地区の金属製品業界はリスク分散のため、以前から分業生産体制をとるのが普通だが、同社は高い品質を維持するため分業を嫌った。プレス加工、深絞り、内側溶接、電解研磨、表面コーティングなどをすべて自社内で加工できる技術を開発し、設備をそろえた。
 とくにプレス加工では薄板のスピニング加工から厚板の6000トンプレス、さらには温間絞りによる超深絞りの技術をマスターした。
 また、溶接技術についても超薄板の自動溶接から一品づくりの厚板(手作業)までと幅広い技術を持っている。
 容器表面に微細なキズがあるとイオンが発生するため、工場内にクラス1000のクリーンルームまで設けている。燕地区のステンレス加工業界でクリーンルームを有している企業は極めて少ない。加えて全品検査を徹底するなど、品質にこだわっている。
 手を緩めず
 社長は「わが社のことを事業転換の成功例といってくれる人がいるが、転換を始めたころは借金が増え、いつつぶれるのかとウワサされた」と述懐する。そんな風評にも耐え、必死になって容器づくりに取り組んできた。しかし、社長にとって現状は、まだ完成ではない。「毎日、毎日が勉強の連続です」と手を緩めることはしない。






 地価も人件費も高い東京都大田区で赤字知らず
  東京都大田区に本社と三つの工場を構える中堅の工作機械メーカー。研削機や切断機、研磨機と周辺装置を生産する。地価も人件費も高い大田区に立地しながら、不況期にも経常利益率10%を割らない高収益体質を確立している。その秘密は顧客と共同開発する付加価値の高い製品群と、先端設備の導入による生産コスト削減、全社での徹底した経費管理にある。
 同社は1955年に創業、1975年から自社ブランドの工作機械を販売してきた。各種の難削材をダイヤモンド工具を使って切断、研磨する加工機械を得意とする。半導体や太陽電池向けシリコンインゴットの切断機・研削機を中心に、レンズ素材の切断機、自動車のパワーステアリング装置部品の研削機、電気カミソリの内刃の研削機など、手がける製品分野は幅広い。
 工作機械の摺動(しゅうどう)面を高精度の平面に仕上げる「すり合わせ」の技術には定評がある。この技術力で顧客企業と信頼関係を構築し、「こんな加工機械がつくれないか」とのニーズを掘り出して各種の機械を共同開発してきた。搬送系などユニットでの受注も多く、付加価値の高い製品になっている。各業界の代表的な顧客企業と共同開発した加工機械は、独占契約期間が終了すると顧客の競合企業からも一斉に注文が入るという。
 最新の加工機械の自動運転で生産コストを低減
 工作機械業界は景気変動の波に合わせて需要が大きく変動する。どんなに付加価値の高い製品を手がけていても、景気の下降局面に入れば売上高が激減するのが宿命で、2002年度には大手工作機械メーカーが軒並み赤字転落した。しかし、同社はこの年、売上高は半減したものの経常利益率10%を維持している。全部門で実施している徹底的なコスト管理が利益確保の要因となっている。
 同社ではコストを三つに分類し、人件費を中心とする「固定費」、生産部門の材料費や外注費などの「変動費」、交通費や消耗品などの「経費」について、それぞれ部門ごとに年間の計画と実績を管理して月ごとにチェックする。お茶代や郵便切手代に至るまで、1カ月の出費をきちんと管理する徹底ぶりで、社員にコスト意識を強烈に植え付けている。
 コスト削減効果が最も大きいのは、生産部門の「変動費」の抑制だ。同社は毎年、最新の加工機械を導入し、旧型機と入れ替えている。進化した数値制御(NC)加工機の自動運転機能を最大限に活用することで、1人のオペレーターが2台の加工機械を担当、夜間は無人で機械を動かす24時間稼働体制により加工コストを抑えている。また、最新のレーザー切断機やベンダーマシンを導入することで、外注していた板金加工の大部分を内製化し、コストダウンを実現した。
 設備投資能力が競争力に直結
コスト管理活動における「変動費」とは、生産部門において社外に出て行く金額を表す。売上高に占める「変動費比率」の目標数値は35%以下。製品を売ったお金の65%を社内に残すという徹底したコスト管理が同社の強さを支えている。そのコスト削減策の根底にあるのが最新の加工機械の導入であり、設備投資能力が競争力に直結する例といえる。



 特有の技術課題を克服
 フルモールド鋳造法による鋳物づくりが国内外から注目されている。同鋳造法は製品形状を決める模型に一般的な木型ではなく、発泡スチロール製模型を使うもので、同社はすべての鋳物をこの鋳造法でつくる。特有の技術的課題を克服し、模型づくりではデジタル技術や機械加工も駆使する。同法で鋳物業界をリードする同社の工場には見学者が絶えない。
 1927年に創業した当初は、同社も木型を使っていた。ただ「木型づくりは技能の世界」(木村博彦社長)。自動車産業が盛んな愛知県などの鋳物メーカーとは「どうしても技量に差がついてしまう」(同)。事業は伸び悩んだ。新しい鋳造技術が日本に入ってきたのはそんな時だった。
 その技術こそフルモールド鋳造法。同社が将来性を感じて導入したのは1966年のこと。砂に埋めた発泡スチロール模型に溶けた金属を流し込み、模型をガス化させて製品を成形するもので、木型に比べサイズの大きい複雑形状の製品が短期間でできることなどがメリットだ。ただ、同鋳造法には特有の技術課題もある。
 模型の燃え残りかすが鋳物製品の品質を落としてしまうことだ。同社も当初はプレス金型などに用途が限られ、鋳物がそのまま製品となるものは、鋳造できなかった。そこで、溶けた金属の流し方や流し込むスピード、使用する砂の工夫など、残りかすを限りなく少なくする技術の確立を急いだ。その結果、工作機械用やポンプ用などに用途が拡大した。
 世界一クリーンな工場目指す
  フルモールド鋳造法は生産性向上にも大きく貢献した。始めたころの模型づくりは切ったりはったりの手作業ばかりで効率が悪かった。そこで3次元データを使った機械加工化を図って、コンピューター利用設計・製造(CAD/CAM)ソフトや加工用に数値制御(NC)機械の導入を進めた。今ではCAD/CAM台数が90台、オペレーター人員が80人に上り、NC加工機は約50台を抱える。模型製作は完全に手作業から機械加工に転換。生産性が高まり、量産には不向きという同鋳造法の概念を覆した。プレス金型用鋳物生産で国内シェア約45%、工作機械用で同15%と、いずれもトップを誇るまでに成長した。
 一方、鋳物工場に定着している「3K」(きつい、汚い、危険)のイメージをぬぐい去ろうと「世界一クリーンな工場づくり」にも挑む。1994年には主力の御前崎工場が「素形材産業環境優良工場通産大臣賞」を受賞するなど成果が出ている。
 今、同社は技術開発を加速しつつある。開発部門では技術者の博士号の取得を促進している。「博士号を取得するぐらいの技術陣レベルでないと技術開発ができない」(同)との考えからだ。「技術革新により、さらに用途を広げたい」(同)と意気込む。
 基盤技術の革新を期待
 フルモールド鋳造法は国内で導入する企業が増えているが、その普及率は「鋳物生産全体の5%足らず」(。まだ発展途上の技術であり、成長性があるといえる。同鋳造法で最も実績を残しながらも技術開発にこだわる理由がここにある。鋳物はモノづくりの基盤。同社の成長は日本のモノづくりの競争力向上にもつながるだけに、今後の技術革新が期待される。


 デジタル放送開始
 ケーブルテレビ(CATV)会社は全国に約500社あるといわれる。新潟県上越市に本社を置く上越ケーブルビジョンはその中で、極めて高い世帯普及率を誇る。全国のCATVの世帯普及率が平均36%なのに対し、同社は63%。約3万6000世帯が加入している。
 この世帯普及率を背景に、同社は2006年4月に地上デジタル放送を始める。「生き残りのため、どうしてもやらなければならない事業」(大島精次社長)との判断の下、2005年に約20億円もの設備投資を断行した。同社の年商は約14億円であり、投資額は年商を上回る。しかも、それを借入金ですべてまかなった。
 これについて大島社長は「売り上げが14億円といっても、これは全部粗利。普通の会社の売り上げとは違う。だから年間6億円程度は設備投資に振り向けることができる」と説明する。1984年の創業以来の設備投資額は100億円を超えていることから、「20億円くらいの借入金は3−4年で返済できる」と意に介さない。
 大島社長の強気の経営姿勢は、やはり世帯普及率の高さと、それに伴う経営の健全性に負うところが大きい。
 そもそも同社がCATV事業で極めて高い世帯普及率を獲得できたのは、上越市の特殊性が追い風となっている。上越市は全国でも有数の豪雪地域にある。かつては雪によってアンテナが壊れ、テレビが見られなくなることが多かった。
 そこで大島社長は1984年に同事業を立ち上げ、一気にCATVを普及させた。スタートダッシュで成功を収めることができたのは、雪による影響を受けずにテレビが見たいという住民の願いがあったからだ。
 自社番組制作で魅力さらに
 もっとも、雪によってアンテナが壊れるというのは過去の話。最近、そんな話は全く聞かない。むしろCATV加入時の一時金8万円と毎月の加入費2900円を払うくらいなら、アンテナを付けて無料のテレビを見たいという人が増えても不思議ではない。
 しかし大島社長は「一般のテレビ視聴はNHK2、民放4の計6チャンネルだけ。上越ケーブルビジョンに加入していただけば30チャンネルも見られる。これが、わが社の強み。しかも、新聞と違って一度加入すると、ほとんど中止がない」と自信満々だ。
 その裏付けはある。本社内には自社番組を制作できるスタジオがあり、独自のスタッフも抱えている。上越市議会の質疑応答、各種講演会、イベント、祭りなどを自社制作番組として放送している。
 CATV会社は東京のキー局が制作した番組を使い回す例が多い。63%の世帯普及率を誇る同社は立場上できない。自社番組を制作せざるを得ず、それが結果的に同社の魅力を高めている。
 「上越市民の会社」を訴求
 社長は、ケーブルビジョンを民間の一営利会社とみてほしくないと思っている。その理由は、1984年の発足時、大島社長が親しい友人、知人に出資を依頼し、277人から7750万円の資本金を集めたからだ。この277人の数が自慢。「わが社は個人の会社ではない。上越市民の会社だ。だから公益性がある」と主張してやまない。



 高い安全性
 食品メーカーに液卵を供給する割卵業者は全国に約120社あり、そこから年間約20万トンともいわれる卵の殻が廃棄されている。一部は農業用の土壌改良材として利用されているが、その多くは焼却・埋め立て処分されるのが現状だ。
 グリーンテクノ21は、環境や健康に配慮した製品を開発するベンチャー企業。廃棄を待つために積み上げられた卵殻を偶然目にした下幸志社長が「リサイクルできないか」と起業。2003年から卵の殻を原料にした製品の開発に取り組んだ。
 開発は卵殻の粉砕からスタート。その粉体が何に似ているかという発想から、グラウンド用白線材「ガイアフィールドライン」と、野球の投手が使う滑り止め「ガイアロジンバッグ」を製品化した。
 供給は自社ブランドにこだわらない。特にロジンバッグはOEM(相手先ブランド)供給が多い。黒板用のチョークや調湿機能を持つ壁材も完成しており、2006年中に本格販売を始める。
 製品に共通する特徴は「安全性」。従来の白線材は消石灰が多く用いられており、目や口に入った場合の人体への悪影響や、水と反応して起きる発熱の危険性が指摘されている。
 また、卵殻は土壌改良材になることが示す通り、芝生に使用しても芝生に悪影響がでないのが売りだ。実際に使用して使用部分の芝生の生育が良くなった例もある。
 値下げで販売に弾み
 白線材は安全性が注目された。特に子供の安全を気遣う幼稚園や保育園の注目度は高く、「思った以上の反響がある」(下社長)という。白線材はさまざまな場所で使われているが、幼児は消石灰の危険性への認識が不足しており、体に触れる可能性が大きいためだ。
 2005年9月に千葉県内に粉砕工場を持ち、製造コストを削減して価格を下げたことが販売に弾みをつけた。市場に出回る白線材と比べて価格は遜色(そんしょく)がなくなった。以来、スポーツ用品店や教材取扱業者、建材店など白線材を扱う業者への売り込みを活発化している。
 佐賀県などの支援策に対する積極的な申請や、異業種交流への積極的な参加は認知度を高めた。佐賀県のトライアル発注事業で2003年度に製品が選定、採用された。これにより製品の取扱業者だけでなく、一般の利用者の声を聞いて商品改良に生かした。トライアル発注事業で県立高校1校から採用された。現在では佐賀県内の小学校、中学校、高校の合計20校が採用している。佐賀県以外では千葉、大阪、横浜、埼玉などに広がっている。
 開発意欲も旺盛で、グラウンド用塗料や研磨剤などの製品化を検討している。下社長は「一歩進んだモノを開発したい」と話している。
 コストダウン努力が奏功
 製品を開発して商品化しただけでは満足しなかった。リサイクル製品、環境に優しい製品、安全な商品であれば、製造に手間がかかる分、価格が高くても良いとは思わず、コストダウンに取り組んだ。事業や製品は多くの注目を集めたが、すぐに受注に結びつくことは少なかった。価格競争力をつけたことが、事業や製品への注目を注文に変えた最も大きな原動力になった。





 顧客との共同開発で新技術を実用化
 新素材メーカーとして超電導材料や薄膜材料、半導体材料などを世に送り出してきた。1973年の設立から30年以上、常に新技術を開発し続ける力は『顧客との共同開発』から生まれている。現在は医療材料分野への進出や、企業の合併・買収(M&A)の推進など、さらに事業領域を拡大する取り組みが目立つ。
 同社は材料の卸販売会社として創業し、設立数年後には独自製品の開発を始めた。当時、公害が社会問題となるなかでメッキの代替技術開発に着目。表面処理に利用する薄膜材料で事業基盤を築いた。この最初の自社製品は、顧客である大学の研究室の協力を得て開発した。顧客が必要とする新素材を顧客と共同で開発し、いち早く実用化するビジネスモデルで成長を続けてきた。
 1986年には東京の本社と別に筑波工場(茨城県阿見町)を操業した。この直後にわき起こった高温超電導ブームのなかで、超電導物質をつくるのに必要な材料をまとめた『開発キット』を発売し社会の注目を集めた。薄膜材料、超電導材料のほか、半導体材料、光ファイバー材料、真空蒸着材料、セラミックス材料、光学材料など幅広い分野で新素材の開発と製造を進めてきている。
 M&Aや新分野参入で事業領域を拡大
 同社のビジネスモデルの特徴は、顧客との共同開発による多品種少量生産にある。顧客は大手企業の中央研究所や大学など、基礎研究を手がける研究機関が中心。顧客の研究論文や保有特許を元に、フルウチ化学のノウハウを併せて新素材を実際に開発・実用化する。実用化した新素材の将来的な量産は、顧客企業や他の大手材料メーカーが行うケースが多い。フルウチ化学は開発の初期段階でスピード感あふれる開発実務を担当する形だ。
 技術開発型のビジネスモデルであるため、営業拠点である東京都品川区の本社スタッフ10人にも技術系の社員が多い。研究開発拠点の筑波工場と合わせて40人の社員のうち、30人を技術系で占めている。各地の大学や公的な研究機関、民間企業の研究所と密接な関係を維持する。
 さらに現在は、事業領域の拡大に積極的。2004年5月にアース製薬の酸化物結晶事業を買収したほか、大手企業の技術開発型ベンチャーに共同出資している。また、物質・材料研究機構と共同で生体親和性の高い医療用接着剤を開発し、医療分野に参入する。外科手術時、縫合糸に代わって簡便・迅速に傷口をふさぐもので、生体内に存在するクエン酸誘導体を架橋剤に採用し、十分な接着力を持ちながら毒性が弱い。『未来のばんそうこう』として実用化を目指している。
 自社単独ブランドの開発がカギ
 技術開発力は中小企業の域を超えている。ただ、欲をいえば製品の特許は顧客企業との共同出願が多い。04年度で約14億円の年商を拡大していくためには、自社単独のブランドで売れる製品を増やしたいところ。現在進めている新分野への参入やM&Aは、そのための具体策となっている。新素材の老舗の将来は、やはり技術開発がカギを握る。




 スクリーン印刷原版を製造

 工業用スクリーン印刷原版の製造、電子基板層のフィルムなど工業用精密写真の原板が主力事業。これらに関連する機器の設計・製造・販売にも携わる。
 メタルマスク製造のプロセス・ラボ・ミクロン(川越市)から1992年に独立。その後、1997年にプリント基板、検査装置メーカーのモトロニクス(東京都国分寺市)と経営統合した。
 スクリーン印刷は孔版印刷の一種で、版にインクをつけて印刷するのではなく、版自体に孔をあけ、そこからインクを刷りつける印刷方式。
 作業工程は、まず鋳物などで製造したフレームにステンレスやナイロンなどを紗張りする。その後、感光液を塗膜し、乾燥させた後、厚みを測定する。続いて、印画紙に焼き付け、現像、検査し出荷する。電子基板、太陽電池のセルなど用途は幅広い。
 同社は、版表面を平面加工し、印刷面側の平滑度を上げて印刷物との密着度を高め、正確な印刷を再現したウルトラμ(ミュー)など特殊製法の製版ノウハウを持つ。
 シール剤印刷用スクリーンマスクを開発
 2005年4月には、シール剤印刷用スクリーンマスク「マルチプレート」の開発で中小企業優秀新技術・新製品賞(主催=りそな中小企業振興財団、日刊工業新聞社)の優良賞を受賞した。
 同製品は、液晶表示装置の中の液晶ガラス表面の配向膜にスクリーン印刷でシール剤を塗布する際に使用するスクリーンマスク。従来のスクリーン原版を使用すると、パネル面上にマスクの表面が接触し、ガラス基板面に塗布された配向膜に傷が付いて不良表示が発生する。同社は基板面のマスクの表面に凹凸をつけて二重構造にすることで、この問題を解決した。印刷のズレを防ぎ、高精度で安定した品質を保持する。
 用途は、液晶や有機エレクトロ・ルミネッセンス(EL)を使用した携帯電話の液晶部分。「この製法に顧客のニーズが集中していた。最初は、どの製品向けか顧客も明かさない。複数社からの打診があって、やっと用途が分かった」(勝又一郎取締役工場長)。
 2006年2月には同製品の基板サイズの大型化ニーズに対応するため、5000万円を投入し、現像装置、精度測定器などの新規設備を導入する。マルチプレート用の紗張り枠を1メートル角から1・5メートル角に大型化する予定。これまで1メートル角の版を月間50版生産してきたが、新規設備導入により、2007年2月には1・5メートル角を月間200版生産する計画。
 研究開発要員は現在4人。研究開発費は平均年間1000万円。今後の課題は、現在20マイクロメートル(100分の2ミリメートル)が限度のライン印刷精度を10マイクロメートル(100分の1ミリメートル)のレベルまで高めることだ。
 先を見据えて研究開発
 プリマックスが開発したマルチプレート製法は、10年も前に完成していた。最近までは企業ニーズが少なく、「お蔵入りしかけていた」(勝又工場長)という。どこで、どんなニーズが生まれるかは予測できない。そのため、先を見据えた研究開発が大切になってくる。同社の特殊製法の進化が注目される。



 産学官連携の研究を積極活用
 エレクトロニクス工場向けの自動機メーカー。2005年4月期の売上高は約39億円で、前年度比18・5%増。今、伸び盛りの中小企業だ。生産品目別の売上高に占める割合は、半導体検査装置が30%、液晶ディスプレー検査装置が30%、そのほかのエレクトロニクス工場向けが30%となっている。これらの3分の2がOEM(相手先ブランド)生産だ。
 同社は造船業からスタートした。現在の会社を設立したのは1965年9月。当初はプレス板金と溶接を主体とし、その後、金型を内製化するようになった。転機を迎えたのは機械加工を行うようになってから。旧九州松下電器FA事業部(現パナソニックファクトリーソリューション鳥栖事業所)の自動機部品加工を始めた。そこから「わが社は九松さんに育ててもらった」と櫻井一郎社長は感謝する。
 九松から学んだのは自動機の製造技術である。そのほか生産技術は熊本県工業技術センターに、開発技術は産業技術総合研究所や熊本大学に教えてもらった。また、この10年、国が認定する研究開発事業の産学連携共同研究事業、地域新生コンソーシアム研究開発事業、地域結集型共同研究事業に切れ目なく参加してきた。その成果を製造技術に応用した。製品を開発して売るまでの過程で、マーケティングと販売は自前で力を付けたが、「そのほかは九松さんをはじめ、みなさんにお世話になった」(櫻井社長)という。
 新組立工場を2006年2月稼働
 検査装置などの自動機に必要な組み込みソフトは自前で開発する。そこが特徴で、本当のオーダーメード。発注先から見ると「情報は漏れないし、寄せ集めの技術ではないので改良したければすぐにできる」(同)。
 2006年4月期の売上高は42億円(前年度比7・7%増)と、引き続き増収を見込む。従業員は260人。今後は「業績が順調なので、今の路線でいく」(同)という。
 検査装置の販売先は当初、半導体向けに偏っていたが、現在は薄型テレビ用ディスプレー向けに広がった。同社の検査装置を採用するディスプレーメーカーは、国内で液晶がシャープ、プラズマ・ディスプレー・パネル(PDP)が松下電器産業、表面伝導型電子放出素子ディスプレー(SED)がキヤノン・東芝連合などだ。海外ではサムスンが採用しているという。また、そのほかのエレクトロニクス向けでは、自動車電装部品用が伸び始めている。
 櫻井精技は、本社工場の敷地内に組立工場を増設する。液晶ディスプレーが大型化し、製造装置や検査装置も大型化している。いわゆる第8世代向けの需要が旺盛になったためだ。建築面積は約1400平方メートル。これで組み立て能力は20%アップする。2006年2月に完成する予定だ。
 九州を代表する研究開発型企業
 九州の代表的な開発研究型企業の一つ。また社長の経営手腕に注目する人は多い。造船業からプレス板金加工、金型製作、機械加工と地道に技術を積み重ね、半導体・液晶関連の検査装置を手掛けてから社業は一気に花開いた。
 熊本地域は国内で有数の半導体・液晶関連産業の集積地。その多くが進出企業だが、櫻井精技はそのニーズをうまくとらえた。また自治体や試験研究機関は、この分野の新事業、技術開発を最優先でバックアップする。櫻井社長はその流れやチャンスを見逃さない。その目がある限り、櫻井精技が伸びる可能性は、まだまだありそうだ。





 ウェブアプリを完全自動生成
 沖縄県の第三セクターであるトロピカルテクノセンターの情報開発部の4人が2001年に設立したソフトハウス。これまで人手に頼っていたシステム開発の単純工程を徹底的に洗い出して自動化するソフトを実現し、各方面から高い評価を得ている。システム開発は中国やインド勢が台頭し、国内空洞化が起こり始めている。同社の自動生成ソフトは空洞化に歯止めをかけ、国内のシステム開発業界を高度化する有力なツールになろうとしている。
 中でも、とくに注目されているのが、Javaベースの本格的なウェブアプリケーションソフトを完全自動生成するサービス「JasmineSoftHarvest」。エクセルシートにデータ項目を指定するだけで、多くの業務で基本となる検索、一覧・詳細表示、新規登録、更新、削除、CSV(異なるソフトウエア間で共通に扱えるファイル形式)ダウンロードの各機能を備えたウェブアプリを自動生成する。
 年間ライセンス方式と買い取り方式で提供し、利用は年間10万円からの価格体系。100画面でも200画面でも同じ品質のウェブアプリを生成するので、プロジェクトが拡大するほどコストパフォーマンスが高まる。これにより、システム開発の納期と費用を大幅に削減できる。
 オラクルと連携
 2005年8月には、データベース管理のカギとなる顧客情報の統合機能強化で連携した。ジャスミンソフトは、入力表示の差異に基づく住所データの重複などを自動的に正す変換ソフト「住所正規化コンバータ」を開発済み。これにオラクルのデータ統合ソフト「カスタマーデータハブ」をXML(拡張可能なマーク付き言語)標準インターフェースで連携した。価格は1CPU(中央演算処理装置)当たり8万円から、保守料を年8万円と安価に設定した。
 こうしたパッケージ型のソフトが出そろうのに伴い、従業員は16人に増えた。沖縄では開発型のIT関連企業が未成熟であることから、このうち半数は大学院修了の優秀な人材を集めた。一方、業績は2005年9月期の売上高が8400万円と、これからが飛躍期。
 贄良則社長は「この1、2年が勝負。システム構築自動化ならジャスミンソフトというブランドを定着させたい」と話す。そのために「ソフトの心臓まわりを含めて徹底的に公開し、何をするソフトかを見てもらって信頼を得たい。まねされる前に、大きく先行したい」と攻めに徹する。
 今後の売り上げ予想は2006年9月期が1億5000万円、2007年9月期が5億−10億円。2005年9月期で3割にとどまっていたパッケージソフトを7−8割に拡大し、沖縄の地場IT企業として初の株式上場を目指す。
 知名度が高まれば上昇気流へ
 設立のきっかけとなったのは、1998年に沖縄県が打ち出したマルチメディアアイランド構想。これを機に、コールセンター誘致が加速した。しかし、贄良則社長は「価格の安さで仕事を取っていたのでは先がない。高度化で勝負したい」と考えた。贄社長は毎月、半分以上が東京暮らしで、売り込みに懸命。東京大学空間情報科学研究センターからの受託開発をパッケージソフト開発に生かすなど、次の開発にも余念がない。知名度が高まれば、上昇気流に乗りそうだ。





 世界最速、全面縁なし
  熱転写昇華型デジタルフォトプリンター開発のベンチャー企業。1999年の設立以来、世界でも初めてとなる技術開発に挑み、大手メーカーから開発収入と、製品販売数量に応じたロイヤルティー収入を得るとともに、自社製品として販売している。
 同社の技術は、高い評価を受けている「全面縁なし印刷」のほか、印刷速度と画像表現に優れているのが特徴だ。
 全面縁なし印刷は、クランプレスドラム方式と呼ぶ印刷技術を開発したことで実現した。従来のプリンターは、印刷する紙を端で押さえているため、端の部分は印刷できず「のりしろ」として残る。これに対して新方式は、プリンター内を回転するドラムに紙を巻き付け、くるくると回転することで印刷するため、「のりしろ」ができない。
 一方、速さについては、2001年に開発した業務用の昇華型デジタルフォトプリンターが印刷速度で当時の世界最速を達成、L版サイズの印刷なら14秒と従来品の半分程度に短縮した。
 また2003年には、印刷速度がL版サイズで1枚40秒の家庭用フォトプリンターを開発。現在、大手家電メーカーの製品として市販されている。
 1670万色を印刷、銀塩写真が家庭へ
 画質については、熱転写昇華型の印刷技術に特化し、優れた画像表現を生みだした。プリンター技術は、ノズルからインクを吐出して画像を形成するインクジェット方式をはじめ、サーマルヘッドを使って昇華させたインクを紙に転写する熱転写昇華型、インクリボンやインクシートのインクを熱で溶かして紙に転写する熱転写溶融型がある。
 同社が熱転写昇華型を選んだのは、インクジェット方式では使用環境やプリンターの利用頻度などの条件次第でインクが目詰まりしやすいからだ。これに対して熱転写昇華型プリンターは、サーマルヘッドに組み込まれた発熱素子(ヒーター)の熱制御を正確に行えるかどうかが重要になる。同社はメカニカル設計とハード、ソフトの技術を使い、発熱素子を高速かつ正確に制御する技術を開発した。
 この技術は100−700度の範囲の温度を無段階で、1000分の1秒の速さで制御する。「1670万色を瞬時にして印刷できる」と吉田直樹社長は胸を張る。
 今後の目標は、同社の技術を利用したデジタルフォトプリンターを一家に1台普及させることだ。写真屋に頼むよりも速くてきれいに仕上がる技術を開発中で、ポストカードなら50枚を30分以内、L版サイズなら同じ50枚で20分以内にすることを目指している。吉田社長は、開発目標を「価格は1万円台で、画質は銀塩写真と変わらず、耐久性は銀塩写真よりも上」と明確に示す。すでに基礎開発は済んでおり、2006年中にも完成する見通しだ。
 プリンターメーカーが次々に採用か?
デジタルフォトプリンターの基本性能である速さと画質にこだわって技術開発を進めてきた。機械系とハード、ソフトの技術を軸に開発力を高めた。その結果、わずか10人あまりの社員数ながら、世界初の技術を多数、世に送り出すことができた。プリンターメーカーの注目度も高く、現在開発中の技術が完成すれば、一層の飛躍期を迎えることになりそうだ。





 JPEG方式に比べ5分の1以下のデータサイズで
 漫画・アニメの“トータルソリューションプロバイダー”。漫画・アニメの制作環境をデジタル化し、インターネットやモバイル端末などで流通させる仕組みやツールを提供する。3次元コンピューターグラフィックス(3DCG)のプログラミングや、CADのソフトウエア開発などに携わってきた川上陽介社長が1991年に設立した。プロのクリエーターがパソコン上でアニメ制作を行える制作支援ソフト「RETAS!PRO」シリーズや、紙にペンで描いているような繊細なタッチをデジタルで表現できる漫画制作ソフト「ComicStudio」シリーズなどを販売している。
 ただ「制作する側のツールには、市場に限界がある」(川上陽介社長)。このため現在は、携帯電話の漫画配信サービスを支援するビジネスに力を注いでいる。「第3世代携帯電話の普及、パケット通信料定額という環境が整い、リッチコンテンツが送れるようになった。コンテンツビジネスには市場に広がりがある」(同)とみている。まず、携帯電話上に漫画を高精細で表示できる閲覧ソフト「ComicSurfing」を自社開発した。画像のクオリティーを落とさずに、JPEG方式に比べて約5分の1から7分の1のデータサイズでダウンロードできるのが特徴だ。
 モバイルをツールに新しい表現サービスへ
 同ソフトはNTTドコモ、KDDI(au)、ボーダフォンの大手3キャリアが採用し、現行の漫画配信サービスのほとんどで利用されているという。2005年10月現在、漫画をダウンロードできるサイトは54サイト存在し、毎月約1000話ずつコンテンツが増えている。同社は閲覧ソフトの使用が増えると、その分売り上げも増える“レベニューシェアリング”のビジネスモデルで収益拡大を図る。会社全体の売上高は2004年10月期で約6億円。2005年10月期は8億円、2006年10月期は15億円を見込む。
 現在、大手3キャリアの3G携帯は約1000万台が流通している。今後5年で5000万台まで増えると見込まれている。「着メロ、着ウタは大手3キャリアで約1200億円の市場がある。電子書籍も同規模に広がる可能性がある」(同)という。
 今後はモバイルをツールにした新しい表現方法の構築を目指す。「ComicSurfing」を活用することで、アニメや映画から切り出しフキダシを付けてストーリーを読み進める「よむアニ」や「よむドラ」といったサービスの提供も可能になった。「日本の漫画・アニメは世界に誇れる文化となった。携帯電話の能力を最大限に生かし、いいコンテンツを提供できるような環境を整えていきたい」(同)と意欲を燃やす。
 携帯電話機は一般に、マイクとスピーカー間に物理的距離を設けてハウリングを防いでいる。同社の技術を使うと、この物理的距離が不要となり、一層小型化できる。このため同技術の普及が一気に進み、ライセンスフィー収入が加速度的に増える可能性もある。
 同社は売上高を06年9月期3億円、07年9月期6億円と見込む。利益率は高く、06年9月期からの黒字化を予想している。2、3年後に株式上場を目指す。
 漫画業界の活性化にも一役
 日本で発行されている漫画雑誌は約200誌。現在、漫画を世の中に流通させるには、数に限りのある雑誌に連載して単行本にするという流れしかない。そのため常時、漫画業界で働くことができるのは4000人程度だという。「携帯電話という新しい媒体で流通させることができるようになり、漫画を表現するための間口が広がった」と、漫画業界の活性化にも一役買っている。




 受託加工に強み
  薬の産地として有名な奈良県に拠点を置く薬品工業は、薬のカプセル充填など、大手医薬品メーカーからの受託加工をメーンにする。2005年4月に施行された薬事法改正に対応し、これまで積極的な設備投資を実施してきた。現在は自社ブランドの健康食品を積極展開中で、ネット販売にも乗り出している。
 2005年3月期の売上高は約62億円。構成は医薬品の受託加工47%、一般用医薬品19%、配置用医薬品7%、医薬品バルク(中間品)11%、医療用医薬品3%、健康食品3%、その他10%。強みである受託加工は60社と130品目で取引があり、業界トップクラス。カプセル製剤や内服固形剤を中心に一定の配分で複数の薬を充填していく技術に定評がある。厚生省のGMP基準に適合した工場を持ち、最新機械の導入にも熱心で、業界から高い信頼を得ている。このほか、一般用医薬品は95品目(自社品)にのぼる。半面、医療用医薬品は7品目(同)と少ない。
 薬事法の改正で製造工程にかかわるアウトソーシングが完全自由化され、大手医薬品メーカーからの受託生産がこれまで以上に見込めるようになった。同社も医薬品の受託加工で受注拡大を狙っている。余剰設備を持つ大手や中堅だけでなく、地元・奈良県の製薬企業も積極的で競争は激化している。しかし「フォローの風が吹いているのは確か。現に引き合いも増えている」(佐藤進社長)という。
 同社は薬事法改正をにらみ、過去3年間に約26億円の設備投資を実施してきた。すでに増設した工場ではフル稼働の状況が続く。今後も「老朽化した設備の更新や新棟建設により、生産能力を30%程度向上させる」(同)方針で、受託加工の売上構成比率を50%以上に引き上げる考えだ。
 健康食品をネット販売
 一方で健康食品を経営の柱として育成する。1985年からロイヤルゼリーやカルシウム補給食品などを手がけ、配置薬のルートや通信販売で展開してきたが「少々営業力が弱った」(同)と振り返る。そこで4月からインターネットを活用したネット販売を開始。最近はビタミンCやEを含むブルーベリー加工食品「ブルーテイン」を投入しており、「5年内外をめどに事業の一つの柱にする」(同)と気合が入る。利益率が高い一般医薬品も、品ぞろえなどを強化していく計画。医家向けは「チャンスがあれば」(同)と商機をうかがう。
 2006年3月期の売上高は前年度比約4・8%増の65億円の見込み。当期利益は同約40%増を狙う。「受託加工では加工賃の低価格化という懸念材料はあるものの、健康食品を含め、すべてにおいて品質の高さをアピールする」(同)と意気込んでいる。
 グループ売上高100億円を目標に
 受託加工メーカーとして、日本で初めて米国食品医薬品局から内服固形製剤の製造許可を取得するなど、製造・品質管理の水準は高い。また関連会社には年商約13億円で健康食品の卸業を手がける佐藤物産(奈良県御所市)など4社あり、製販体制が整っている。グループ全体で売上高100億円が当面の目標。受託加工の拡大と一般医薬品の売り上げ増がカギを握る。




 原点は、阪神大震災

  協同は1998年12月に、東京都北区の赤羽から、埼玉県入間市に社屋を移した。会長の病気療養のためだ。会長は、社長職を現社長に譲り、共同代表という形をとった。これを機に「従来の金属加工の仕事は外注先に任せ、後継者がやりやすい仕事を」(守屋会長)と、事業の方向転換を図った。これまで手掛けてきた事業のうち、化成品事業を残した。
 化成品事業を柱にして、化粧水、せっけんなど、さまざまな商品を出した。なかでも、阪神大震災の被災者対策にヒントを得た「モーリアンヒートパック」の売れ行きが好調だ。水を注ぐだけで簡易加熱剤が反応し、約90度Cの温度を15分間維持できる。アルミニウムの粉末と生石灰を混ぜた同製品に、少量の水を注ぐと、水和反応を起こし、発熱する仕組みで、開発に10年の歳月を要した。
 「人体に害を与えない物質の中で何をアルミニウムの起爆剤にするかで、試行錯誤を繰り返した」(中島社長)という。アウトドアショップなどでは既に定番商品になりつつあり、発売以来、60万個を売り上げた。従来の発熱方式に比べ、10分の1の量の生石灰で温めることができる。
 釜飯弁当にも
 用途は災害時以外にも急速に広がった。現在は料亭や外食産業などで使われる。また、ヒートパックのノウハウを用いて、釜飯弁当をつくりたいという業者が現れ、2005年6月に商品化した。弁当に付属しているヒモを引っ張ると、中にある水袋が破裂、ヒートパックと反応し、できたての味を堪能できるという仕組み。その後も、足湯や痔の薬など、ヒートパックのノウハウを用いて、商品の付加価値を高めたいという企業が増えている。使用後は、土壌の改良やセメントの再利用に使われ、環境にも優しい。
 これまでに日本、韓国、米国、英国、ドイツ、フランスで製造ノウハウの特許を取得した。販路開拓は、販売会社に委託し、アウトドアショップや、役所の備蓄資材として採用が決まっている。防衛庁への納入も増加し、2008年には440万個の受注を見込んでいる。
 研究開発費用は、年間1000万円。守屋会長自身も、さまざまなアイデアを形にし、特許を取得してきた。ヒートパックは、少しずつ手を加え、特許の期限を延ばしている。現在、専属の研究員が1人。中島社長は「設備投資に比重を置き、現在1ラインの設備を3ラインで対応したい。将来は、独自ブランドの販売会社をつくりたい」と、事業拡大を図る方針。
 増える需要
 協同が発明した「モーリアンヒートパック」は、災害救助用途だけでも相当数ある。それだけでなく、アウトドアや釜飯弁当など異業種に水平展開しやすいため、需要が伸び続けている。
 守屋会長は今後も、化成品事業をベースに開発構想を実現していく構えで、それとともに同社の存在感が増してくるだろう。




 おが屑を再資源化
 東京都の地場産業の一つである鉛筆製造業。江戸時代から続く伝統産業も近年、少子化や筆記具の多様化、事務機器のOA化、海外生産の増大などに伴い、軒並み苦境に立たされている。50年以上の歴史を持つ北星鉛筆(葛飾区)は約10年前に循環型鉛筆産業システムを考案し、元気を取り戻した。 
 鉛筆製造の木工工程では40%がおが屑として排出される。排出されたおが屑は工場内の焼却炉で燃やしたり、産業廃棄物として捨てられたりしていた。都市化に伴い市街地での焼却は難しくなり、産廃処理もコストが高い。
 「焼却釜の維持・修理費用もばかにならない。良い方法はないか」−。そこで考えたのが、おが屑を圧縮し、薪のように固形燃料化することだった。固形燃料はエコマーク商品化に成功し、当初、キャンプ場などに売り込んだ。だが、需要は少なく失敗した。
 「粉末にすれば用途が広がるのではないか」−。数年をかけ、おが屑をブロック状に固めた後、粉末に再加工する粉砕装置の開発に成功した。東京都から創造技術活動・経営革新などの認定を受けて事業化を推進し、木の粘土「もくねんさん」を生み出した。
 「木になる」粘土・絵の具を開発
 木の材質は鉛筆の木として有名なインセンスシダー。木のパウダーに水を加え、接着剤としてポリビニール・アルコール(PVA)を溶解する。PVAは熱をかけると軟らかくなる性質があり、風を当てると乾きが早い。乾燥後は木に戻る。漆を塗ると日本の伝統乾式漆技法と同等の加工具合になり、湿気や水に強く長期保存も可能。
 この技術を応用したのが「木になる絵の具」。創造法・技術革新や、産学公連携の補助金事業の認定を受けて玉川大学芸術学部と共同開発した。水で溶かして配合できる顔料や接着剤、アルギン酸ナトリウムとおが屑粉末を混合して絵の具を製造する。土に埋めても微生物の力で分解される。
 画板やベニヤ、コルクなど木製のものによく付き、仕上がりは「和風油絵のような風合い」。ライトの光の照り返しがない艶消し感と重厚感が人気を集めている。乾燥が早いのも特徴だ。「ウッドペイント・もくねんさん」として製品化し、りそな中小企業振興財団と日刊工業新聞社が共催する第17回中小企業優秀新技術・新製品賞の優良賞と産学官連携特別賞を受賞した。
 北星鉛筆の杉谷和俊社長は「捨てていた部分を再利用し、利益に還元できれば、中国製品に対抗する力がつく」と強調する。思いは「日本の鉛筆製造業が世界競争に勝てるような企業存続基盤の確立」であり、「世界中で日本の鉛筆が使われる日を夢見ながら企業の体質改善に取り組む」(同)。同社には見学に来る小学生らの声が響き渡っている。
 先代の思い受け継ぐ
 鉛筆の国内生産量はピーク時の3分の1以下。最も消費している小学生は減少の一途を辿り、安価な中国製品が国内メーカーを直撃する中、直球勝負では生き残れないのが現実だ。廃業・転業が相次ぐ。北星鉛筆の杉谷和俊社長は、「鉛筆は我が身を削って人のためになり、真ん中に芯の通った人間形成に役立つ立派な職業。鉛筆がある限り家業を続けろ」という先代の思いを循環型鉛筆製造という形で受け継いだ。





 モーター技術を核に中国で生産
  大1933年に電気バリカンメーカーとして創業。同機器のモーター技術を応用し、1957年にマッサージ器の製造・販売を手がけてから業績が急速に拡大した大阪府東大阪市の優良企業だ。
 マッサージ器の国内シェアは自社ブランドとOEM(相手先ブランド)供給を合わせて約20%。OEM供給先にはフランスベッド(東京都新宿区)やツカモトエイム(同中央区)などがあり、小型マッサージ器ではトップシェアを誇る。「ゴルフ場や健康ランドの休憩室などでも当社の製品をよく見かけるはず」(木村利男副社長)と、さまざまな場所で使われている。
 1994年には海外生産を開始。現在は中国に3工場、タイに1工場を持つ。北京でマッサージ器などに使われるモーター部品、蘇州でマッサージ器本体、上海では電気バリカンの生産をそれぞれ受け持つ。マッサージ器は、中国の自社工場ですべて一貫生産することによって低価格化を実現している。技術開発部隊の大半は、中国の生産拠点の中核である蘇州に移し、新製品開発に向けたマーケティングなどの情報を世界各地から蘇州に集めている。
 海外ではシンガポールと米国の代理店を通じ、シンガポールや台湾、欧米で販売している。とくに欧米市場は日本の1・5倍の販売実績がある。米国の年間マッサージ器販売約40万台のうち、同社の製品が約80パーセントを占めているという。木村副社長は「安くて良い製品をつくれば、先方から売らせてほしいといってくる」と強調する。
 フィットネス機器が急成長
 電気バリカン事業は理髪店や美容店向け用品の卸会社への販売網が確立されており、安定した販売が見込まれる半面、大きな伸びは期待できない。ただ、最近はトリマーらのペット向け電気バリカン需要に目を向け、モーター音量が小さいうえ、パワーや切れ味の良い新製品の販売が好調だ。
 また同社が電気バリカン、マッサージ器に続く第3の柱に成長させようとしているのがフィットネス機器。こちらもバリカンやマッサージ器同様に自社のモーター技術を応用した製品を投入している。
 2005年3月にフィットネス機器の第1号として発売した「ロデオボーイ」は月間2万台ペースで販売。乗馬をモデルに楽しくバランス運動ができることや、2万円台の低価格のため高齢者を中心に人気を集めている。同製品はインターネットと量販店2社に限定して販売することで価格競争を防ぎ、利益率を高めている。フィットネス事業の成長で、同社の2006年5月期売上高は前年度比約22億円増の約100億円を見込んでいる
 マーケティングが重要に
 多くの中小企業が悩みを抱える生産コスト削減と自社製品の販路拡大を解決できたのが強み。主力のマッサージ器が好調なうちに、次の柱となるフィットネス機器事業を立ち上げた。第1号器は健康ブームに乗ったが、今後、相次ぎ投入予定の新製品のマーケティングがますます重要になる。




 自然界の鉱物を使い環境浄化
 ソ汚染された土壌や地下水、排水の浄化に取り組む金沢大学発のベンチャー企業。設立は2002年9月で、金沢大学TLO(技術移転機関)の第1号認定企業だ。ヒ素を吸着、固定化する鉱物「シュベルトマナイト」を工業的に製造し、商品名「アズレ−S」として販売している。
 シュベルトマナイトは金沢大学理学部地球学科の佐藤努助教授が研究していた。自然界に存在する結晶性鉄鉱物で、ヒ素などの重金属を吸着して不溶化する。不溶化によって重金属が溶出しない安全な状態になる。ソフィアの池田穂高社長はかつて緑化資材会社で堆肥(たいひ)の製造にかかわり、その製造に使っていた汚泥の中の重金属類を除去するのに有効な物質として、シュベルトマナイトに出合った。低コストで、環境浄化効果が大きいシュベルトマナイトの将来性に着目し、事業化に踏み切った。
 アズレ−Sによる浄化手法は、重金属が混ざった汚染土壌と一緒にミキサーに投入、撹拌して、重金属を吸着させ不溶化する。ヒ素やフッ素、ホウ素などほとんどの重金属に対応する。土壌を入れ替える従来の処理に比べ、低コストなのが特徴だ。
 さらにアズレ−Sを用いて、温泉に含まれる重金属を除去する装置を開発した。従来のイオン交換樹脂による濾過に比べ、3分の1のコストで済むという。
 また、アズレ−Sでは吸着しきれない高いアルカリ性の汚染土壌を浄化できる「フヨウ−F」や、汚泥などのセメント固化処理に使用できる「フヨウ−C」を商品化した。
 発展途上国の環境浄化を支援
 環境問題に国境はない。世界保健機関(WHO)が、バングラデシュで5万カ所の飲料水用井戸を掘ったところ、大半から高濃度のヒ素が発見され、大きな問題になっているという。04年5月設立の民間非営利団体(NPO)「環境フォーラム・土と水」の理事長も務める池田社長は、自社の環境浄化技術で「この問題に貢献できないか」(池田社長)と現地をたびたび訪れている。「低コストのため、途上国に適した浄化技術」(同)との思いがあるからだ。
 理論やバックデータの信頼性が高いなど、金沢大学との産学連携の効果は技術移転にとどまらず、企業の信頼性向上に役立っている。また大学内に事務所を構えていることで、顧客ニーズが迅速に研究室に伝わり、開発に反映できるメリットもある。
 製品開発が軌道に乗り始めた現在、次のステップとして営業活動に力を注いでいる。「世界の環境問題に貢献できる技術として誇りを持っている。会社規模の拡大は追わず、『資材屋』に徹して、できるだけ安価に製品を提供したい」(同)としている。
 世界市場への進出も
 自然界の日常的な現象を利用する浄化手法は、最も自然に優しい技術の一つといえよう。大学によって支えられた技術力と開発力、さらにNPO活動を通じて実績を積むことで、ベンチャー企業立ち上げの難しさをクリアしようとしている。また、バングラデシュでの重金属除去の実績次第で、世界市場への進出も大いに期待できる。




 分社経営とIT戦略を主軸に
 米菓業界大手の亀田製菓、ブルボン、越後製菓、岩塚製菓などはいずれも新潟県に本拠を構えている。社員508人の栗山米菓も新潟県に本社を置く。年商は約90億円。12の子会社を抱える。
 3代目社長は「この業界は卸、小売りの流通経路がしっかり固まっている。トップの亀田製菓さんなら新製品を発売すれば末端の小売店に並ぶが、わが社のような二番手は2、3割程度しか末端にまで届かない」と嘆く。
 そこで考え出したのが、末端の顧客に直接、製品が届き、テレビ宣伝のような高い費用もいらないマーケティング法である。
 それがインターネット上のホームページを利用した販売だ。子会社に「新潟美人」という情報関連企業を持つことから、比較的早い時期にインターネット販売を始めた。
 現在、同社のホームページへのアクセス数は月5万件にも及ぶ。メール会員6万人を抱え、毎週400−500人からメールが届く。専門の社員とパートタイマーがすべてのメールに返事を書き、送信している。
 栗山社長は「テレビだと、わが社の商品を買わない人にもお金をかけることになるが、メールへの返事はわが社のお客さまに限定されるので、費用対効果が高い」という。
 100円ショップにも積極展開
 米菓を販売している小売店は、かつてスーパーマーケットがメーンだった。その後、コンビニエンスストアが加わり、そして今100円ショップが台頭してきた。栗山米菓でも3年前から100円ショップを新規開拓し、早くも年商の10−20%が100円ショップでの販売となった。
 栗山社長は「100円ショップというと安かろう、悪かろうのイメージがあり、社内でも反対があった。でも、全国で一日に1店が開店しているのだから、座して見ている手はない」と語る。
 米菓を手にした顧客が思わず「100円でこんないいものが」とびっくりするような商品を出せるかどうかが成否の決め手になる。これには自信がありそうだ。
 業界の2番手、3番手がトップ企業と同じことをやっていては、勝負にならない。そんな背景からホームページ活用のIT戦略と、100円ショップ活用策が出てきた。
 商品の開発についても、顧客の話題になるような商品づくりを目指している。お母さん向けに発売した「アンパンマン」をはじめ、大ヒットとなった「ばかうけ」、さらには「星たべよ」と、次々にキャラクター商品を投入している。
 「新潟県では知名度が高いが、東京では社名よりばかうけの方が知られている」と栗山社長は笑う。
 倫理経営で心ひとつに
 全国に散らばっている約500人の社員の心を一つにするには、しっかりした経営理念が欠かせない。栗山米菓の実質的な創業者である栗山清会長は、05年8月まで新潟県倫理法人会の会長を務め、倫理経営を実践してきた。3代目の栗山敏昭社長はこれをもとに「会社にかかわるすべての人々が物心ともども健康に恵まれ、会社も個人もともに社会のためになり喜びをわかちあえる存在でありたい」とする企業理念をつくった。



 金融・医療からオブジェクト指向へ
 「21世紀にわが社が成長し続けるには事業構造転換しかない。適正な利益をきっちりと生み続ける企業体質を早くつくることだ」−。社長は、社員に向かって檄(げき)を飛ばす。
 小山社長は福井県内の計算センターから80年に独立、コンピューターソフト開発の新会社を興した。創業25周年を迎えた2005年、「下請け型の事業構造から自社独自の技術開発力の強みをもった元請け、自立型の事業構造へと転換を図りたい」と強調する。
 「金融・医療の永和システムからオブジェクト指向の永和へ」。ここ数年、小山社長は新時代の永和システムが目指す企業像としてこの言葉を社員に投げかけ、意識改革を図るとともに人、モノに積極投資する。
 同社は創業以来、金融・医療分野のソフト、システム開発で成長、その技術力は高く評価されている。02年には東京に進出し、04年に東京支社を開設。現在では全社員約200人中約60人が東京支社で開発、営業に携わっている。
 事業改革の先駆けの成功例の一つが、オブジェクト指向分析設計をサポートする「JUDE」。米国のモデル設計用標準言語であるUMLに基づいたソフトウエアの構造や振る舞いをモデリングし、可視化するツールだ。UML規格の日本発信第1号ソフトで、複数の図とそれを構成する多種の要素を簡単に編集でき、ソフト開発、システム開発の高品質化と開発効率アップで国内外から注目を浴びた。2005年春には、りそな中小企業振興財団と日刊工業新聞社共催の第17回中小企業優秀新技術・新製品賞のソフトウエア部門で優秀賞を受賞した。
 教育ロボットで団体設立、豆蔵と技術提携
 同社が開発したロボットプログラム学習教材は全国約100の中学・高校の教材用に採用され、技術者教育支援事業も着実に成長している。産学官連携の一環で、2005年5月には福井大学など地元大学や企業、行政と教育ロボットの研究・開発団体「楽習(がくしゅう)とロボット協会」を設立した。「教育とロボット」をテーマに、教育現場のロボットをサポートする機関だ。
 ソフトウエア開発コンサルタント業の豆蔵(東京)と2005年7月に技術提携したのは、事業改革のスピードアップが狙いだ。顧客が必要とするシステムだけをより効率的に提供する豆蔵の技術ノウハウ「enThology」と、顧客要求に柔軟に対応できる永和のシステム開発力をマッチング。「効率的なシステム開発環境と、顧客が真に必要とするシステムを低い投資コストで提供する」。
 同社は金融と医療分野の二本柱に次ぐ事業、オブジェクト指向開発を中心とした技術特化分野・オープンシステム事業の確立を重点課題に挙げている。これら事業改革のため毎年、売り上げの5%を投入している。「新事業が軌道に乗ってきた。今後もJUDEのような自社ブランド商品を数多く開発したい」と意気込んでいる。
 過去にとらわれず改革
 ソフトの世界は日々激変する。その変化と技術革新に対し、社長は若手社員の意見を採り入れながら大胆に発想し、過去にとらわれず事業改革を進める。「自らのマーケットで独自戦略、創意工夫によって得る利益は、景気や下請けによる“時流の利益”とは全然違う。来年にはもっと元気印企業になっている」と、社長は自立型経営への改革に自信をみせる。



 手作り民族楽器キット「Tinga・Do」を開発
 民族楽器の輸入販売を営んでいる。島村楽器、ヤマハなどの大手メーカーに販売している。取り扱う楽器は約300種類と豊富。楽器はアジア、アフリカ、南米などから輸入している。
 中国で最も多く使われている楽器の胡弓(こきゅう)や、豪州先住民族アボリジニの管楽器「ディジュリドゥ」など世界の楽器を取りそろえる。修理を含めたほとんどのメンテナンスを提供することで他社との差別化を図っている。
 振るとカエルの鳴き声がする「マンドゥック」(インドのヒンドゥー語でカエルを意味する)や、雨の音がする楽器「レインストック」などユニークな楽器もある。
 同社は01年に手作り民族楽器キット「Tinga・Do」を開発、発売した。大人から子供まで簡単に作れる仕組みとなっている。価格は胡弓が3500円、ディジュリドゥが5000円と手ごろな値段だ。
 販売を伸ばすにはユーザーを増やさなくてはいけない。そこで同社では楽器教室を開き、普及に努めている。民族楽器の手作り教室も開き、楽器の作り方と演奏の楽しみを提供している。
 楽器作りでモノづくりの意味を問う
社長は教室でのモノづくりを通し「現代人の想像力のなさ」を痛感したという。胡弓は誰でも弓を弾けば音が出る楽器だが、初めて胡弓を見た人は弾けないとためらう人がほとんど。同じ弓を使うバイオリンが弾けないため、胡弓も弾けないという思いこみが邪魔をしてしまう。こうした人たちに想像力の大切さを伝えている。
 生徒は50代以上の男性が中心。最近では30−40代の女性も増加傾向にある。楽器作りをする父親に助け舟を出す変わった取り組みもしている。「おとうさんのための手作り教室」を開き、子供と一緒に作る前に、父親の勉強時間を提供している。
 さらに、学校や文化センターで「さわれる民族楽器展」を開いている。小中学校や高校の体育館などで100種類程度を展示し、文化の違いと世界の広さを体感してもらうという趣旨だ。
 同社のモットーは楽器を通してモノづくりの意味を問うことだ。通常はモノを作った時点で終了となるが、手作り楽器は完成時に十分な満足感が得られることが、人気の理由のようだ。モノづくりの大切さや意味を、手作り楽器を通じて実感してもらうのが狙いだという。
 「民族楽器に触れることで、異文化を知り、国際理解につながれば」と鈴木社長は話す。今後も楽器の楽しさを多くの人に知ってもらうという理念のもとで、経営をしていく方針だ。
 手ごろな価格、学校教材にも
 民族楽器の人気は高まりつつあり、あちこちの店頭で見かけるようになった。楽器を通してモノづくりの大切さや異文化を知ることは子供だけでなく、大人にとってもよい勉強になる。手ごろな価格で楽器作りから演奏まで楽しめる会社の人気はますます高まると予想される。学校教材としても普及していくだろう。





ナンバーワン目指し小型化・高速化を追求
 かつて炭鉱で栄えた筑豊から玄界灘へと流れる福岡県の遠賀川。その程近くに本社を置く精機は、半導体の特性テストを行う「テストハンドラー」で、国内外からその名を知られる存在となった。同社の社員数は130人ほどで、そのうちエンジニアは50人を超える。研究開発にかかわる投資は「人件費を含めると年間売り上げの15%を超えるのでは」と上野昇社長。世界市場で勝てる製品を生み出そうというその姿勢に、妥協は見られない。
 同社はまだ半導体の製造装置がない1972年(昭47)に、ゲルマニウムダイオードなどをつくる際に使う精密治工具を製作、販売する会社として創業した。
 やがて半導体産業は、わが国でも有数の産業に成長していく。業界への参入が決して早いとはいえない同社だったが「半導体メーカーに出入りをするうちに情報が入るようになってきた」(上野社長)という。82年ころからは半導体製造装置の設計、開発に本腰を入れるようになった。
 「魂が入っていないと良いものはできない」と上野社長はいう。製造工程の前後のプロセスを把握せず、発注元からの仕様書だけで良い商品をつくるのは難しい。こうした考えから、同社はテストハンドラーに特化する道を選んだ。
 1時間に3万6000個を処理
 「やるからにはナンバーワンに」。世界レベルの“高速、小型化対応”をターゲットとして製品開発に取り組んだ。98年に出したテストハンドラーの1号機は、従来の製品に比べて約2倍の高速処理をこなす能力を持つ製品となった。
 05年2月に製品化された「UBAS(ユーバス)」は、1時間当たり3万6000個という「世界最高レベル」(同)の高速処理を誇るディスクリート(個別)半導体向けテストハンドラーだ。インデックステーブル上に電気特性テストとレーザーマーキング、画像外観検査、テーピングなどの各プロセスに対応したユニットを配置。1台の装置で半導体の最終特性テストと、収納テープへの梱包工程を行うことができる。超小型半導体もプラスマイナス15マイクロメートル(1000分の15ミリメートルの誤差)の停止精度で搬送が可能だ。
 UBASの開発にあたっては「やる以上は世界一のものを、と社内のベクトルが一つになった」と上野社長。国内、海外の半導体メーカーなどへ既に約100台を販売した。
 「これからもより小型化、高速化を追求する」と語る上野社長。“ナンバーワン”の座を揺るぎないものとするためには国内外のライバルメーカーとの激烈な競争が控えているが、表情には自信がにじむ。おだやかな遠賀川の流れを抜け、同社は大海原へとこぎ出し始めた。
 次世代の人づくり進める
 「ナンバーワンのモノづくり」という高い目標を打ち出したことが、社員のモチベーションを高め、方向性を一つにした。中小企業がグローバル競争を勝ち抜くためには人材の確保が不可欠であり、同社では語学力の向上、機械設計の資格の取得を社員に推奨するなどして次世代の人づくりを進めている。今後も技術力を背景にした新しい製品を送り出してくれるだろう。




安定収益求め産学官連携
 金型はほとんどが受注生産だ。取引先の状況によって注文の増減があるのが当たり前で、安定して収益を出すのはなかなか難しい。その金型業界にあって、池上精工は産学官の連携により、顧客のニーズにあった加工装置の開発に成功した。従来の金型事業に、有望な独自製品を加え、安定した収益を確保しようとしている。
 池上精工は1968年の設立で、アルミサッシのプレス金型とプラスチック部品の射出成形用金型の設計、製造を主力としている。その一つ、サッシ加工の分野では、金型を使ったプレス加工が量産に適しているものの、最近増えつつある多品種少量加工には適していない。このため「金型を使わず、もっと効率良くサッシを加工する方法はないか」というユーザーの声をヒントに、新しい加工装置の開発に着手した。
 多品種少量加工なら切削加工が向いているが、従来装置は3−5メートルもの長尺材料を抱え込んで加工する大型機しかなく、それが業界の常識だった。そこで同社は、長尺材料にも対応できる卓上タイプの超小型装置に挑戦した。
 開発に当たっては自社で蓄積してきた技術力に加え、理化学研究所から技術指導を受けたことが大きかった。「中小企業は、大学や研究機関の敷居が高いと思っているが、それではダメだ。生き残っていくために新しいモノづくりが必要であり、大学、研究機関との交流を深め、先端の技術情報に触れることが大事」という。
 モットーは「思いやり」
 開発した装置は、数値制御(NC)によりX、Y、Z軸に加え、回転軸であるC軸をコントロールし、一度のクランプで多様な加工ができる。しかもクランプ機構を工夫したことで、各種サッシに柔軟に対応する。卓上タイプで、従来の切削加工装置に比べ超小型ながら、長尺材料を含む多品種少量生産が可能だ。
 また、量産ラインに組み込んで使用でき、省人化に威力を発揮する。さらに、プレス加工に比べて金型が不要なため、減価償却負担が軽減できるなど経営上のメリットも大きい。
 同社の経営のモットーは「思いやり」(池上社長)。「まずはニーズありきでも、顧客に対する思いやりを加えることで、より良いものができる。使い勝手、安全性などをトータルで考えた製品づくりがしたい」(同)との思いを具現化したのが「Sash−IN」だった。だから開発段階で試作機をユーザーの工場に持ち込み、実際に使ってもらって、その意見を取り入れた。
 今後はアルミサッシ分野だけでなく、木材、樹脂製品などの長尺材料を加工する小型装置の開発を狙っている。
 NCプログラム作成サービスも
 「技術力で食べていける会社にしたい」(池上社長)という。だから研究機関などへも足しげく通い、最新の技術情報を得るのに懸命だ。卓上タイプの加工装置は装置本体の販売だけでなく、ユーザーが求める加工のNCプログラムの作成サービスも行っている。このサービスは今までにないビジネスモデルであり、ビジネスに対するしたたかさを感じさせる。




バブル崩壊後の売り上げ半減に耐え、技術開発
 数あるプレス機の中でも今、注目されているのが駆動源にサーボモーターを使用するサーボプレス機だ。このサーボプレス機で世界最大級という加圧能力2万5000キロニュートン(約2550トン)を実現したのがアミノ。「ここ10年間は技術開発に費やしてきた。いわば充電期間だった」という。サーボプレス機のほか、独自の板金加工法を武器に攻めに転じようとしている。
 同社は1930年に創業。油圧プレス機メーカーとして飛躍したのは1960年代。自動車産業の盛り上がりを受け、金型メーカー向けにトライ用ダイスポッティングプレス機で販売を伸ばした。この分野で国内シェアトップに上り詰め、「ダイスポのアミノ」と呼ばれるまでに成長した。
 油圧プレス機にこだわり、確固たる地位を築いた同社だが、90年代半ばに転機が訪れる。バブル崩壊後、製造業の設備投資が削減され、94年度の売上高は、93年度のピークから一転、半減する。
 この時期、同業他社の多くが大幅なリストラに踏み切る中、同社はリストラをしない方針を貫いた。余剰人員は開発部門に回した。「技術革新さえすれば生き残れる」(同)と考えたからだ。ここから10年間にわたる充電期間が始まった。
 技術革新の大きなテーマが、すでに開発に着手していたサーボプレス機だった。スライド動作を自由に調整できるため、油圧式や機械式に比べ省エネ、低振動、低騒音などが特徴。同社は開発スピードを上げ、95年には業界他社に先駆けて販売実績を上げた。
 他品種少量生産に対応し、独自の板金加工法も
 最近は、自動車の高張力鋼板など高強度素材を加工するため、高加圧タイプの需要が高まっているが、サーボプレス機は加圧能力を上げるのが難しかった。そんな中、同社は世界最大級の加圧能力を実現、一段と評価を高めた。2004年度はプレス機販売の60%をサーボプレス機が占めるまでになった。今後も力を入れ、「将来は100%を目指す」(同)と意気込む。
 一方、独自の板金加工法による部品加工や、その加工を実現する機械設備の販売にも力を入れる。「日本や米国など高度経済成長が終わった国では今後、多品種少量生産がますます進む」(同)とし、それに対応する二つの加工法だ。
 一つは「対向液圧成形法」と呼ぶプレス技術。複雑形状でも、しわなどを抑えながら工程数削減が図れる。国内で手がける企業は少なく、「特に自動車業界向けで期待している」(同)。もう一つは製品試作向けの加工法「ダイレスNCフォーミング」だ。費用のかかる金型は使用せず、治具で支えながら加工する。
 これら新加工法の成果はすでに出始めており、一度は半減した売上高は「2006年度にはピーク時の規模まで回復する」(同)計画だ。我慢の時期を経て、今、攻勢に出ようとしている。
 時代の先を見通す
 アミノが復活を遂げた要因は、時代の先を見通した技術開発にある。サーボプレス機で先手を打てたのは「プレス機は、工作機械などと比べ技術革新が遅れていた」ためで、これに着目したうえで環境の時代を見通し、サーボ化の流れをいち早くとらえた。さらにリストラをしなかったことで、開発力を維持できたことも大きな要因となった。




 管径15.5ミリメートル、25%省エネのスリムランプ開発
 管径が細いスリム蛍光ランプを中心に、施設・業務用照明を製造・販売している。国内のコンビニエンスストアの冷蔵・冷凍ショーケース向け棚下灯の約7割は同社の蛍光灯だ。デパート、コンビニにおいて商品や食品の見栄えを良くする蛍光灯技術を追求するとともに、省エネ性を向上させ、大手メーカーが圧倒的に強い蛍光灯市場で存在感を発揮している。
 同社がいま戦略商品に位置づけているのは、04年に開発した高周波点灯専用蛍光ランプ「省ライン」。管径は15・5ミリメートルで、通常の蛍光灯の32.5ミリメートルに比べ半分以下の細さにし、ガラス使用量を50%以上削減した。明るさは通常品の40ワットランプと同じで、25%の省エネルギーが図れる。
 さらに専用の電子安定器「リニューアルキット」と組み合わせることで定格点灯(22ワット)、高出力点灯(30ワット)の2種類の明るさが得られ、いずれもランプ効率110ルーメンの高効率を実現した。定格寿命は通常品と同等の1万2000時間で、光束維持率は定格寿命時に88%と初期の明るさを高いレベルで維持できる。
 天井用・看板用に拡大
 同社の従来製品の管径は20ミリメートル。新製品はそれよりも4.5ミリメートル細い。細く、明るく、省エネも図れる利点を生かそうと、天井用照明に参入した。また、看板用の照明として、リニューアルによる省エネ、省コストの提案に力を注いでいる。
 「省ラインとリニューアルキット」は04年に、環境省の「地球温暖化防止活動環境大臣賞」、省エネルギーセンターの「省エネ大賞会長賞」を受賞。05年には、りそな中小企業振興財団、日刊工業新聞社共催の「中小企業優秀新技術・新製品賞優秀賞」を受賞した。これに伴い、認知度が向上し、寺嶋之朗社長は「商談が増えた」と手応えを感じている。
 プリンス電機の年商は約20億円。従業員は86人。「省ライン」は、同社と東芝ライテックの共同出資会社である岩瀬プリンス電機(茨城県岩瀬町、寺嶋社長)で生産している。横浜市鶴見区の本社工場では管径20ミリメートルのスリム蛍光ランプを生産しており、分業体制を敷いた。
 管径15.5ミリメートルの超スリム蛍光ランプは年5−10%の売り上げ拡大を目指しており、3年後には年1億5000万円を目指す。
 寺嶋社長は「地球温暖化防止のために、“省ライン”を普及させることで二酸化炭素(CO2)削減に努める。省エネを通して、世の中に貢献していきたい」と話す。「ホテルや百貨店にも天井用、看板用に用途を広げ、納入していきたい」と意気込んでいる。
 ニッチ市場で中小が活躍
大手メーカーが幅を利かす国内蛍光灯市場で、スリム蛍光ランプは中小企業3社が製造している。その中で、省エネ性に優れるのがプリンス電機の特徴だ。蛍光灯の電力消費量は少なく感じるが、どの施設でも使用しており、省エネ効果が大きい蛍光灯に代えることでCO2削減が期待できる。管径15・5ミリメートルのスリムランプは欧米では普及しているという。だが、海外メーカーがつくる製品は日本ではそのまま使えない。同社をはじめとする中小3社の市場開拓が見込まれる。





 人の臭覚を数値化
 「においを表現する。これがなかなか難しかった」と、社長は打ち明ける。同社が開発した、におい情報管理システム「e−nose(イーノーズ)」は、単なる成分分析にとどまっていたにおいのデータを情報として活用する道を開いた。
 用途は広い。堆肥(たいひ)が発酵して散布に適した状態になると、においが変わる。これまでは人間の感覚頼りだったものを、コンピューターによる情報処理で把握できるようにした。まさに電子の「鼻」だ。
 従来は使用時間で決めていたフィルター寿命。工場の排出ガスのにおいデータを追跡することで、より適切な時期に交換できるという。川本社長は「最近では施設ぐるみでにおい情報を管理するシステム受注が増えてきた」と話している。
 最も苦労したのが、においのデータベース化。人の臭覚を数値化するために、いろいろなにおいを集め、文字通り嗅(か)ぎ回った。社員の鼻を頼りに、データの分析に取り組んだという。
 05年4月、静岡県内の産業廃棄物中間処理業者で、屋外設置の定点式におい測定装置「イーノーズステーション」を5基稼働させた。処理施設内と敷地境界線の臭気観測用だ。
 この業者が立地する自治体では、悪臭防止法の規制基準を臭気指数に切り替えた。同業者はこの規制基準に対応するため、施設から発生する臭気を24時間定点監視する同システムを導入。臭気の監視・管理に取り組むことにした。
 製品ラインアップを拡充
 工場などの施設のガス監視は、ガスセンサーを内蔵したガス検知システムを利用するケースがほとんど。悪臭の原因となる個別のガス濃度は測定できるが、においの原因が複数ある場合に、どれだけ不快感を与えるのかは判定できない。鼻が曲がるような悪臭であっても、においを構成する個々のガス濃度が低いと、従来のガス検知システムでは検知できないのだ。
 生産現場や産業廃棄物処理場などで発生するにおいは複合臭気がほとんど。「イーノーズ」シリーズは、複合臭気を測定できるのが強みだ。
 製品ラインアップも充実している。05年6月には「イーノーズステーション」、「同モバイル」、「同インテグラル」の3機種を追加した。「ステーション」は敷地境界線などに置く臭気の自動定点測定装置。防塵・防滴構造で、屋外に設置できる。複数台を使った自動計測のシステム受注にも対応する。
 「モバイル」は片手で持ち運びできる臭気計測装置。においをグラフ表示し、分かりやすくした。「インテグラル」は四つのセンサーによる臭気測定と成分臭気測定が同時にできる。複数端末による定時自動測定も可能だ。
 においソリューション提供が強み
 においを、排除すべき公害と決めつけるのではなく、価値がある「情報」ととらえ、有効活用しようとしたのが開発の原点。測定端末機種の充実と、他社にはまねできないにおい分析ソフトのノウハウを組み合わせることで、用途を広げている。単なる測定にとどまらず、においソリューション(問題解決)を提供できることが同社の強み。オンリーワンで成長が期待できそうだ。




 65歳で新事業に船出

  社長は地元の大手電気機器メーカー、三協精機製作所で開発部門に勤務していた43歳の時、部長昇格の内示を受けた。常々「一生サラリーマンでいいのか」と考えていたため、「部長になり、多くの部下を抱えてから自分が独立したのでは迷惑がかかる」(小松社長)と考え、退社。以降は嘱託として65歳まで三協のさまざまなプロジェクトに関与した。
 並行して「自分のやりたいこと」の研究を進めた。その一つが高効率のAC小型モーターで、99年に設計・開発を行うK.R&Dを設立。嘱託との二足のわらじを履いた状況でなかなか事業化の余裕はなかったが、フリーになった03年に、満を持して新事業をスタートした。
 このモーターの原理は小松社長がかねて温めてきた。高出力のDCモーターは一般に効率が高い。一方、低出力ACモーターは消費電力が小さいものの、効率に問題がある。これを解決した高効率ACモーターには、大きな市場性があると考えた。
 起動時には永久磁石などを用いたDCブラシレスモーターとしての構成で回転を素早く立ち上げ、その後、自動的に回路が切り替わりAC電源で安定した同期運転を行う。課題だった同期運転移行時の回路切り替えの確実性は、発生する反転波形の整流波をチョッパーでセーブすることなどで解決した。開発に当たっては国や長野県、塩尻市などの各種助成を活用した。
 大きな省エネ効果
 完成した商品は、従来のAC誘導モーターでは50%である効率を85%に改善。消費電力を60%に抑えられる大きな省エネ効果を実現した。本体は大幅に小型化(容積比で2分の1に)・軽量化(重量比で3分の2に)できる。起動回路1台で3台、4台といった複数モーターの並列運転も可能だ。
 「だれも(こうした回路構成を)思いつかなかっただけで原理的には難しくない」(同)というが、上がってきたデータを見せただけではモーター設計者や研究者に、にわかには信じてもらえなかったそうだ。そこで小松社長がサンプルを持って各地でデモンストレーションした。「回数を重ね、説明の口調も滑らかになった」(同)と笑う。
 100ワット以下の低出力モーターを長時間運転する時に、とくに威力を発揮する。まず食品スーパーの保冷器のファン、温水器の循環システムなどに採用され始めた。価格はDCモーター並みで、出力50ワットのモーターを5台並列運転する場合、大きな省エネ効果から運転2カ月で初期投資を償却できるという。海外でもオンドルなど床暖房の温水循環用途に使われる見込みだ。
 事業化アイデア続々と
 中高年になってからの新事業の創出例。同社はほとんど小松社長が中心となって設計・開発に専念し、モーターメーカーへのライセンス供与などで事業を拡大しつつある。海外からの引き合いも多く、小松社長自らが営業で各国を飛び回っている。自社の生産設備建設なども検討したが、事業化のリスクを考慮した。モーター事業が軌道に乗りつつある現在、社長は新しいテーマをいくつも準備中だ。






 魚群探知機依存が倒産の危機招く

 超音波応用機器メーカー。魚群探知機の製造で漁業分野からスタートした同社は、これまでに洗浄機で産業機器分野、医療診断装置で医療機器分野、センサー類で計測機器分野をそれぞれ開拓。超音波技術を核に、新分野開拓に挑み続けている。
 そんな積極的な姿勢を見せる同社だが、80年代半ばまでは魚群探知機一本やりだった。小型軽量なのが特徴で、特に米国で評価が高かった。76年から5年連続で全米海洋電子協会の「小型魚探最優秀賞」を獲得するほどで、米国レジャーフィッシング市場の拡大とともに売れた。80年代に入ると、売上高の80%近くを米国向けが占めるようになった。
 だが、85年のプラザ合意以降の円高進行により輸出が激減。さらにニューヨーク株式市場が大暴落した87年の「ブラックマンデー」が追い打ちをかけた。魚群探知機一本やり、米国依存の体質が会社倒産の危機を招く結果となり、変革を求められた。
 船舶の無線機やエンジン部品への進出も検討したが、創業以来のコア技術である超音波にこだわり続け、魚群探知機の専門メーカーから超音波応用機器の総合メーカーへ転身することを決断した。新分野開拓に積極的に取り組む同社のルーツはここにある。
 医療、洗浄を足がかりに環境・エネ分野へ
 現在の売り上げ構成は魚群探知機26%、超音波医療診断装置28%、超音波洗浄機30%、その他超音波応用機器16%となっている。中でも超音波医療診断装置は、安価で小型な点が評価され、東南アジアや中東市場で販売が伸びている。
 同社は80年に超音波応用機器の心臓部に当たる圧電セラミックスの振動子の内製化を開始。これが「さまざまな超音波応用機器を開発する際の強みになった」(本多洋介社長)。従来通りの外注のままだと、「新製品の開発、試作用に特注品を頼むとコストがかかり過ぎるため、市販品しか使えない」(小林和人取締役)という課題があったが、内製化で「新製品開発がスムーズになった」(同)という。
 産学連携や異業種交流を積極的に進めているのも同社の特徴だ。研究開発で得た超音波技術を外部にアピールし、新製品開発、新分野開拓につなげている。そうした中で、東北大学、豊橋技術科学大学との共同研究では、超音波音速顕微鏡「HUM−1000」という今後の有望製品も誕生した。生体の組織構造の硬さを画像で表示、診断材料とするもので、医療分野だけでなく、工業分野でも用途を見込んでいる。
 現在は、超音波でダイオキシンなど有害物質を分解する技術や、石油からガソリンや灯油を精製する製品の開発を進めている。「環境、エネルギー分野で超音波応用機器の市場を拡大したい」(本多社長)としており、今後も新分野開拓に挑む姿勢を崩さない。
 超音波にこだわり、多角化に成功
ピンチを迎えたとき、コア技術を捨てるほどの大幅な方針転換を行うのは勇気がいることだが、コア技術にこだわり続けることもまた勇気のいることだ。同社は80年代後半に痛手を負ったが、それまで培ってきたコア技術にこだわった。超音波の技術開発に特化し、新製品、新分野開拓を進めてきたことが、中堅規模の同社が大企業と互角に戦っている現在の姿につながっている。




 東工大発ベンチャー

 東京工業大学発のベンチャーとして02年4月に設立した。シーズとなった技術は、周波数の異なるたくさんの光が櫛(くし)形に並ぶ「光コム(光の櫛)」。光の概念を変えたこの技術を使えば、光通信のデータ転送を10倍以上高速化した『超ブロードバンド』が可能になる。技術力の高さに加え、同社は外部から経営のプロを招くことで成長をスピードアップ。06年3月期の売上高目標は前年度比5倍の2億円に設定、経営はスタートアップ期から成長期に入った。
 光コム研究所設立の母体となったのは、東京工業大学大学院の大津研究室。90年ごろ、研究室で助手を務めていた興梠元伸(こうろぎ・もとのぶ)氏が「光コム」という概念を生み出した。単色の光はひとつの周波数を持っている。これに対して「光コム」は、たくさんの周波数の光を含む虹のようなもの。しかもその周波数の間隔が非常に高精度に決まっている。横軸を周波数にしたグラフで表せば、光コムは等間隔で棒が並ぶ櫛の歯のようになる。
 最初の応用分野は光計測器としての活用。精密な間隔で並ぶ光コムの櫛の歯を物差しに使い、光周波数などの測定を行う。将来的に最も注目される応用分野は、超高速な光通信の光源としての利用だ。光通信の分野では、1本の光ファイバーに波長の異なる複数の光信号を通す「波長分割多重(WDM)通信」の開発が進んでいる。光コムから波長の異なる光を取り出し、10本の光信号を通せば、1本のファイバーのデータ通信速度は10倍になる。
 経営のプロを招聘、成長期へ
 光コム研究所は量産可能な「導波路型」の光コム発生器のサンプル出荷を04年9月に開始。光コム発生器を中心に必要な機器をラックマウント型の本体一つにまとめ、波長の異なる60種類のレーザー光を発生する「LM−5042」を05年5月に発売した。「波長分割多重(WDM)通信」の光源を、従来よりはるかに低コストで実現した。
 興梠氏は「大学での研究だけでなく、実際に何かに活かし、世の中に導入してみたくなった」といい、ベンチャー企業設立に挑戦した。まず神奈川科学技術アカデミーのバックアップを受け、92年ごろから起業を意識して「光コム発生器」の開発研究に着手。さらに科学技術振興機構(JST)の第1回「プリベンチャー制度」に採用され、資金の提供と人材面での協力を得た。
 また、常務として技術開発を担当、社長職は外部から招く形でスタートしている。スタートアップ時の社長からバトンを受け継いだ朝枝剛社長も、工学博士号を持ち内外のハイテク企業の幹部を歴任した経営のプロ。「日本の4倍の市場規模があり技術革新のスピードも速い欧米市場を同時に開拓していく」と成長スピードを上げている。
 技術セミナーに熱気
 同社が7月に東京で開いた技術説明のセミナーには、計測器や通信機器メーカーの関係者が詰めかけた。「光コム」という新技術への期待は大きい。大学発ベンチャーでは「研究者」のほかに、いかに「経営者」を確保するかが課題だが、同社の場合は公的な支援制度をうまく活用して資金面だけでなく人材面でも準備を整えた。経営の朝枝社長と技術の興梠常務のバランスが取れている。



 低価格輸入品の増加で多目的家具から転換
 食器棚ではトップクラスのシェアを持つ木製家具メーカー。10年ほど前までは、カラーボックスや書棚などの多目的家具を主体に、家具業界のすそ野に当たる若者向けをターゲットにしていた。しかし国内に工場を構えたまま生き残るため、ターゲットをブライダルやファミリーに変更、食器棚を主力とした。他社にないデザインや機能を持った食器棚を製品化する戦略が功を奏し、いまや食器棚のトレンドリーダー的な存在だ。
 多目的家具から食器棚への主力変更は、家具業界の大きなうねりの中で見いだした戦略。国内メーカーがベトナムやインドネシア、中国などに相次いで海外進出し、現地工場からの輸入品が増えた。また、ホームセンターや通信販売、組み立て式家具といった流通形態、方式の広がりもあり、価格が低下する傾向にあった。
 そこで中長期ビジョンを見直し、ターゲットを若者よりワンランク上のブライダル、ファミリー層とした。「国内で生き残るには、どこかの分野でトップシェアを取るくらいに極める必要がある」と食器棚に力を注ぐことを決意。
 食器棚では後発メーカーとしてのスタートだったため、「開発部門には失敗してもいいので、市場にないデザイン、機能を持つ製品の開発を求めた」。食器棚というと、それまでは文字通り食器を置く棚だけのものだった。



 小回りの利いたサービスで独自性維持
 そこで同社は、電子レンジや炊飯器などの設置スペースとなる家電ボードを備えたものや、奥行きを広げて調理作業スペースを備えたもの、下方部分の扉を引き出しに変更したものなどを製品化。またカラーボックスの経験を生かし、色で装飾するなどカラーデザインで付加価値を高めた。
 それまでの主力が若者向けの多目的家具だったため、低価格品中心というブランドイメージから脱却するには2、3年の時間を要した。それでも市場からは「新しいデザイン、機能を持った食器棚を開発するメーカー」という期待が集まり、多くのヒット商品を出した。
 現在も「食器棚のトレンドをつくる気構えで製品開発に取り組んでいる」(同)というが、同社の新製品を他社もすぐ追いかける形が多くなり、独自性を保つのが難しい状況になっている。このため、小さいニーズも取り込むため、02年からは幅や色、少し形が違うものを豊富にそろえて、ラインアップを拡充する多品種化に力を注いでいる。
 また、間仕切りやスライドテーブルなどのオプション、台輪カットによる高さ変更や裏面化粧などのカスタマイズの専門組織を04年に設けた。小回りの利いたサービスで独自性を保つ方針だ。
 それでも、あくまで「基本となる食器棚本体の競争力が大事だ」(同)として、新たな戦略も練っており、その一手が注目される
 知名度アップへブランドロゴ変更も
 輸入品との激しい競争もあり、市場が縮小している家具業界で、独自性にこだわっているのがパモウナの強みだ。新規性を自らの手で作り出すという姿勢が市場に受け入れられている。また05年には創業50周年を迎え、知名度アップの努力と重なれば、まだ成長は続くだろう。






 実証データを収集、分かりやすく伝える
  「最先端技術で、住みよい暮らしを実現」−。研究所のスローガンだ。放射線照射技術を生活関連製品に応用し、ウイルス防止マスクや消臭関連製品を開発・製造。高い技術力に加え、製品の特徴や効果を分かりやすく伝えることに力点を置いた販売方針が奏功し、業績を伸ばしている。
 同社は日本原子力研究所(原研)の元研究者である須郷高信社長が、99年に原研のベンチャー支援制度の第1号認定を受け立ち上げた。放射線を照射することにより、布や繊維などの母材に化学変化を起こし、そこに新たな機能を付与するグラフト重合技術を核に事業を展開している。
 ウイルス防止マスク「グラフト・シャットフィルター」は応用製品の一つで、同社の主力。うがい薬などに使われるポビドンヨードを用いたもので、細菌だけでなくウイルスも防止できるのが特徴だ。ポビドンヨードは水溶液で、物質への固定化が困難とされていたが、母材の不織紙に放射線を照射し、新たにイオン吸着機能を持たせることで、固定化を可能にした。
 03年冬に発売し、04年春までに約60万枚を出荷した。04年冬−05年春のシーズンは明治製菓、ニチバンへのOEM(相手先ブランド)供給を始め、通信販売が中心だった販路はドラッグストア、コンビニまで拡大、160万枚を販売した。
 地球規模で環境浄化に貢献へ
 小売価格500−1000円と一般的なマスクと比べ高価なグラフト・シャットフィルターが、なぜヒット商品となったのか。須郷社長は「消費者に対し、商品の効果を分かりやすく伝えた」と、その理由を説明する。実際にパッケージの裏面には、グラフで示された実証データ、イラストなどで製品の効果が丁寧に説明されている。
 苦労したのは実証データの収集。大学医学部などの協力を得て、須郷社長自ら実験手法の検討段階からかかわった。研究開発予算のほとんどを充当し、約1年間かけ満足いく成果を得た。「手間をかけ第三者の客観的な評価を得たことが、消費者に受け入れられたポイント」(須郷社長)と強調する。
 同じグラフト重合技術を応用した約50点の消臭関連商品も好調だ。中でも05年6月末から本格販売を始めた空気清浄装置は、老人介護施設やホテルに納入、7月末から大手デパートでも販売している。この装置は発光ダイオード(LED)ランプを点灯させることで、稼働状況を知らせる機能が売りもの。ここでも、「効果を伝える」という須郷社長の考えが生かされている。
 マスクや消臭製品といった生活関連製品は軌道に乗った。現在は大型生ゴミ処理施設の消臭や土壌浄化分野の取り組みを積極化している。「今後は地球規模で環境浄化に貢献していきたい」(同)と意気込みを語る。
販売戦略を練り上げ研究開発
 社長は、「中小やベンチャーは研究開発ばかりに目が行きがちだが、それではダメ。開発した技術、商品をいかに分かりやすく伝えるかが重要」と強調する。優れた技術を開発しながら、販売段階でつまずく中小、ベンチャー企業は多い。製品化後の販売戦略まで視野に入れた計画を練り上げ、研究開発に取り組む姿勢が欠かせない。





商社とメーカーの「二つの顔」で
 商社とメーカーの「二つの顔」を持つ。1927年(昭2)の創業以来、物性分析機器の輸入販売とアフターサービス、自社開発による材料試験機の製造販売を行ってきた。創業時からドイツやスイスの特殊な計測器を輸入。現在は環境・気象分野の観測機器も取り扱っている。
 1990年の入社時、会社の売り上げはピーク時の半分にまで落ち込んでいた。バブル期にかけて市場が変わり、商品に偏りが生じていたからだ。全商品のうち2、3割に過ぎなかった海外の物性分析機器メーカーの商品を増やした。売り上げをピーク時に引き戻した1997年、社長に就任した。
 「日本の市場だけでは会社の発展はない。外国にユーザーを広げなければ」(長谷川社長)と、1998年には品質管理・保証の国際規格「ISO9001」の認証を取得。同年、米海洋大気庁(NOAA)に、同社が開発した日照計が日本企業の製品で初めて採用された。「当社が目指すのは技術開発力を軸としたユニークで、グローバルな会社」(同)と、新商品の開発に力を入れている。
 太陽電池の評価機器開発に拍車
 福井大学の教授と共同開発した「EKO マルチライダーシステム」は、01年から4年間かけて完成にこぎ着けた。紫外線レーザーにより、高度5000メートルまでの気温・湿度・エアロゾル分布を5分間で計測できる遠隔探知装置で、ヒートアイランド現象や地球温暖化問題の解明につながる気象観測に役立つ。
 同装置は、紫外線領域のパルスレーザー光を上空大気に射出し、大気による後方錯乱光を望遠鏡で集光した後、分光計を通して必要な信号を抽出してデータを取得・解析する。核となる技術をベースに小型化・簡便化して性能に汎用性をもたせ、世界を視野に販売していく予定だ。
 2005年5月には、テクニカルセンターとカスタマーサポートセンターを統合してTCCSセンターを開設。測定技術のコンサルティングやセミナー、依頼測定などを行い、商品購入後の顧客に対しても、きめ細かくサポートする体制を整えた。
 現在、取り扱う機器は物性分析、環境観測関連を合わせて約70種類にのぼる。海外の物性分析機器の契約メーカーは17社となり、売上高18億2000万円(05年4月期)のうち6割を占めるまでに伸びた。06年4月期の売上高は22億円を見込む。
 同社は、今夏から長谷川社長が率先して会社の歴史や考え方を伝える社員研修を始める。「企業は文化が大事」(同)との考えを実践する。一方で新商品開発に拍車をかけ、今後は太陽電池の評価機器分野を広げていく。「太陽電池は年率30%以上で成長している有望な市場。蓄えてきた能力・技術を活用し、果敢に攻めていく」(同)と意欲的だ。
 環境分野で世界市場開拓
 「環境問題は全世界的な問題」と語る長谷川社長。国内だけのビジネスにとどまらず、米国やスペインなど海外で行われる展示会に積極的に出展、世界に取引の場を広げる。人材教育にも熱心で、必要なら社員を海外に留学させる。
 環境保全の重要性がますます高まるなか、10年、20年先を見据えた商品開発で“世界のEKO”を目指す。





 産地復活へ産学官が結集
 1913年(大正2)創業の繊維機械商社。社長は5代目で、曽祖父が事業を興した。社訓は「見利思義」(孔子の論語の一節)で、地域社会や地場産業への貢献を掲げる。単に繊維機械を販売するだけでなく、機械開発やアフターサービスまで手掛ける。
 年商は数年前まで10億円強だったが、繊維不況に伴う設備投資低迷で約6億円強に落ち込んだ。従業員は16人。中国や東南アジアからの輸入攻勢、消費者の嗜好(しこう)変化、他品種小ロット化など取り巻く環境は厳しい。国内の繊維産地は存亡の危機に直面している。
 こんな中で「繊維産業を復活させたい」との熱い思いから、地元の産学官が結集し世界初の「多品種小ロット織物生産システム」を開発した。織る順番に応じて、たて糸を従来機の100分の1(500メートルで約±0・05%=25センチメートル)の誤差で自動的に巻き取る「アレンジワインダー」を開発したのがミソ。織物の製造には通常、たて糸の色柄が変わるごとにたて糸を準備する必要があるが、これにより1回の織物準備で複数の色柄織物を一気に製造できるようになった。
 原材料を含めて従来機比39−56%の製品コストダウンを実現した。納期は最短で29日前後と約35%短縮。しかも、繊維の製造工程で発生する産業廃棄物である色糸の残糸を活用し、高付加価値の繊維製品をつくれるようになった。
 国内繊維産業のニーズに対応
 開発には同社を核に兵庫県立工業技術センター、京都工芸繊維大学、村田機械が協力。また産地の20社80人が実証実験に参加し「次世代に産地を残そう」(同)という使命感に支えられた。
 04年2月に販売を始め、国内で約30台販売した。ドイツにもサンプル出荷した。国内だけで8年間で500台、金額で約17億5000万円を見込んでいる。今後イタリア、フランス、ドイツなど海外市場の開拓も目指す。同機は04年10月の全国繊維技術交流プラザ作品展で最高位の中小企業長官賞を受けた。
 片山商店は5年前からシャープの販売代理店となり、太陽光発電システムの販売も手掛けている。「地域に普及すると社会的に意義がある」(同)と考えたからだ。すでに約100件の納入実績があり、今後の普及に手ごたえを感じている。
 しかし本業はあくまで繊維機械。一般的には国内の繊維産業は衰退産業といわれているが「どんな国でも、なくてはならない産業」(同)とみる。競争相手である繊維機械メーカーが減少しただけに、国内繊維産業のニーズにあった機械を開発すれば「利益率の高い事業になり、国際競争力を取り戻せる」(同)と確信している。
 世界普及へマーケティング力が課題
 04年10月に台風23号が産地を直撃し、アレンジワインダーが数台、完全に水没した。開発メンバーらのボランティア活動で復旧し、スクラップ化をまぬがれた。産地の人と人とをつないだ。逆風の中、産学官連携で世に出した「多品種小ロット織物生産システム」は産地復活を目指す切り札だ。創業92年目の同社を引っ張る片山社長の熱意がそれを支える。世界に普及させるにはマーケティング力が課題となる。





 エイズウイルスにも有効
  外資系製薬会社を飛び出して14年。立体駐車場の販売事業を立ち上げたものの、一向に軌道に乗らず、ミネラルサイエンスの社長は頭を抱えていた。そんな折、売り上げ増の一助にと販売を始めた「温泉の素」が、曲折を経て主力製品「ミミウォッシュ」につながった。
 92年、「強酸性水でエイズウイルス(HIV)が死ぬ」という記事を目にした下地社長は半信半疑だった。販売していた温泉の素が強酸性水だったのだ。さらにデータを取ろうと民間の研究機関や大学を訪ねたものの次々に断られ、飛び込みで訪ねた大阪大学微生物研究所が唯一、試験に応じてくれた。試験の結果、より中性に近い酸性水でもHIVをはじめとする細菌やウイルスが死ぬことが立証され、これを「中酸性ミネラル水」と名付けた。
 そこから試行錯誤が始まる。まず考えたのは、大手メーカーとの商品の共同開発。数社に持ちかけたが、「殺菌剤は利幅が薄く、アルコールで十分」といわれ、交渉は成立しなかった。
 それでも「この水を何とか活用したい」という思いは変わらない。性感染症のクラミジアが増加しているという話を聞き、性感染症予防に使えると考えた。
 まず耳と鼻の洗浄向けを開発
 事業化の手がかりを得るため、起業を支援するサイト、ドリームゲートのオフ会で、下地社長が話した中酸性ミネラル水について興味を持ったのが、ミミウォッシュを共同開発した前川修寛氏だ。前川氏は補聴器を使っているため、常に耳がかゆい、耳あかがたまりやすいという悩みを抱えていた。だが、市販されている耳洗浄剤にはアルコールや化学成分が含まれており、肌に合わない人がいる。中酸性ミネラル水は花こう岩から抽出したミネラル分が皮膚の再生機能を持つため、「耳洗浄に使える」と直感した。
 実際に中酸性ミネラル水を使い始めると、3週間後に耳の悩みはなくなった。モニター調査をしてみると、聴覚障害者だけでなく、一般の人も耳のトラブルを抱えていることが判明。下地社長は「これはいける」と思い、コンピューター関連の起業を考えていた前川氏を誘い、共同で商品開発に取り組むことになった。
 「ミミウォッシュ」は2004年12月に発売にこぎつけ、2005年2月には花粉症用の「ハナウォッシュ」も発売した。東急ハンズ各店やライブドアデパートでも取り扱われ、急速に販路を拡大している。今は委託生産を行っているが、資金調達のめどがつき、自前の工場を検討中だ。
 用途の拡大にも取り組んでいる。2005年秋には、当初から商品化を狙っていた性感染症予防用の中酸性ミネラル水を発売する計画。また「いずれはエイズ予防やアトピー、床ずれ予防用を開発したい」と意欲を燃やしている。
 聴覚障害者のアドバイスが効く
 「中酸性ミネラル水を商品化したい」という社長の熱意が、長年の開発を成功に導いた。一方で、需要があると判断すると、当初計画していた性感染症向けでなく、耳洗浄用を優先するという臨機応変さもある。聴覚障害者が開発に参画することで、より使用者のニーズに即した開発が可能になったといえる。





 精密樹脂部品の成形加工で一流企業と取引
 精密樹脂部品の成形加工を手がける。外径1ミリメートル以下の部品や直径0・23ミリメートルの穴が多数開いた部品を成形する「超小型精密成形技術」、2種類の異なる材料を組み合わせて成形する「異種材料成形技術」、厚さ0・1ミリメートル以下の部品を製造する「超薄肉成形技術」などが得意だ。同社はこれらの技術を武器に“天下の下請け”を掲げ、キヤノンやセイコーエプソン、ソニーなど世界に名だたる一流企業と取引している。
 三�プレシジョンは1942年(昭17)に腕時計針の製造でスタート。戦後には腕時計用針のトップメーカーに成長し、さらに製造品目を腕時計の文字盤や外装部品に広げ、事業は順調だった。
 ところが、同時に危機も芽生えつつあった。というのは、時計が成熟産業になったからだ。同社にとって業績拡大は見込めず、むしろ悪化の方が懸念された。その懸念は、主要取引先の時計メーカーが針の内製化を始めたことで、現実のものとなった。
 ピンチを迎えたとはいえ、同社は時計針のトップメーカーとして、それなりに高い技術力を持っていた。そこに目を付けた大手電子機器メーカーから、「樹脂金型をつくってくれないか」と持ちかけられた。
 顧客ニーズに技術力で応える
 同社は金型も製造しており、高精度が求められる時計針用の金属向けの金型で培った製造技術には自信があった。樹脂金型は初めてだったが、蓄積した技術、知識を生かして要求以上の金型を完成。さらに、電子機器メーカーに金型を納品する際、その金型を用いて成形した樹脂部品のサンプル品まで持ち込んだ。
 この金型と成形品が同社の技術力を示す結果となり、その電子機器メーカーとの取引がスタート。同時に、同社が樹脂部品の成形加工に進出するきっかけとなった。これが約30年前のことだ。
 それから現在まで、同社は樹脂部品の超小型精密成形技術、異種材料一体成形技術、超薄肉形成技術など数々の新技術を確立してきた。こうした技術が生まれたのは、30年前と同じように「顧客から依頼されたことに挑戦してきた結果」(岡本徹社長)だ。新技術確立とともに、取引先も拡大していった。現在は主にプリンターやAV機器、自動車内装用などの精密樹脂部品を生産している。
 「技術はある。ただ、商品知識はないため、顧客が必要とするものは分からない。それでも、必要な技術を見つけてもらえば、それに応えていく」(同)。これが同社の基本姿勢だ。加えて、「他の追随を許さない技術を確立する自信がある」(同)という。これが“天下の下請け”を自負するゆえんだ。
 同社は、部品の試作金型製作から量産化まで一貫して行える体制を整えている。今後も“天下の下請け”を掲げ、顧客の難しい要望に応えていく構えだ。
 生産管理も徹底
金型や成形機を常に最良の状態に保つため、社内にメンテナンス専用部隊を置くなど、生産管理を徹底している。また、製造後の部品を傷つけないよう取り出したり、搬送したりする専用機を自社製作している。これは、高品質な製品を提供しようとする姿勢の表れだ。技術力と合わせ、こうした真摯な姿勢が顧客の信頼獲得につながっている。





 鼓膜の信号捉え、騒音下でもクリアに会話
 人間が話す際に、鼓膜も振動している。この信号を使って無線機や携帯電話での会話を可能にする技術を開発し、「耳で話す」技術・装置の事業展開に乗り出した。大きな騒音下でもクリアな音声で会話できることを武器に、自社での製品化に本腰を入れ始めたほか、電機大手など向けのライセンスビジネスも本格化しつつある。
 「耳で話す」装置は、人間が話す際の鼓膜の微弱な信号を収集し、雑音を除去しながら増幅する技術を用いる。送信・受信をスイッチで切り替える無線機向けには、イヤホンで会話できる製品を開発、自社で発売した。
 とくに、単体の振動板を使った双方向の同時通話技術は、「耳で話す」携帯電話の市場を切り開くものとして注目を集めている。携帯電話での会話は「話す」「聞く」が重なり合う。「話す」際の鼓膜の振動と、通話相手の声の振動を分離して、それぞれ信号としてクリアに伝えなければならない。同技術は電子回路とソフト開発により、イヤホンの振動板1枚でマイク、スピーカーの両機能を果たせるようにした。
 小型化可能な単体振動板が携帯電話に
 同社は98年12月25日に設立。以来、これら技術の実用化に取り組んできた。初の製品は04年12月末に発売した無線機用の装置「シングル トランスデューサー ハーフ デュープレックス SSTD−1」。骨伝導に比べ、安定してクリアな音質で会話できることから、自衛隊や警察などに採用された。売上高は5月までに2000万円となっている。
 さらに、バイク運転時やハングライダー操作時に使えないかといった要望に応え、使用状況に応じた操作スイッチを備えた「同SSTD−2=写真」を開発、5月に発売した。新機種の追加により、05年9月期は売上高1億5000万円を目指す。
 一方、単体の振動板を使った双方向同時通話技術のビジネス展開も進みつつある。狙いは「発展途上国における普及を勘案すれば、年間10億−15億台の市場規模になる」(桝田誠久会長)という携帯電話機。すでに電機大手が携帯電話機向けに同技術を採用し、これを組み込んだチップを搭載した新機種を近く発売する見通し。イヤホンを装着すれば、ハンズフリーで騒音下でもクリアな会話ができる新製品は大きな関心を集めそうだ。
 携帯電話機は一般に、マイクとスピーカー間に物理的距離を設けてハウリングを防いでいる。同社の技術を使うと、この物理的距離が不要となり、一層小型化できる。このため同技術の普及が一気に進み、ライセンスフィー収入が加速度的に増える可能性もある。
 同社は売上高を06年9月期3億円、07年9月期6億円と見込む。利益率は高く、06年9月期からの黒字化を予想している。2、3年後に株式上場を目指す。
 業績は大化けも
 設立後6年半を経て大きく開花しようとしている。先行して製品化した無線機向け装置は早期に自衛隊や警察などが採用を開始。安定した高性能がプロに認められた。同社の本命はやはり携帯電話向け双方向同時通話。携帯電話の使用シーンだけでなく、超小型化など形態そのものを変えるかもしれない。それだけに同社は、大きく飛躍し、業績が大化けする可能性を秘めている。






 微粒子の分散技術開発
 世界市場は年間7000億−8000億円といわれ、電子機器の小型化に伴い年々20%程度伸びている。電気を蓄える必要性から、自動車には1台当たり数千個ものセラミックコンデンサーが使われている。
 セラミックコンデンサーは、より一層の薄型化に向けて村田製作所、TDKなど大手企業がしのぎを削って競争している。髪の毛1本ほどの薄さの中に40枚のセラミックスを重ね合わせてつくるわけだから、最先端の技術が求められる。
 新潟県新発田市にある設立4年目のベンチャー企業、アイオムテクノロジーは、薄型化競争で世界のトップを走っている。「少なくとも他社の2分の1」と社長は胸を張る。
 社員10人程度のベンチャー企業が、並み居る大手企業を向こうにまわして世界一を実現できたのはなぜか。岩谷社長は「薄くつくるために、一般的にはセラミックコンデンサーにチタン酸バリウムを塗布する技術が採用されている。これに対し我が社は、ナノメートル(1万分の1ミリメートル)粒子とマイクロメートル(1000分の1ミリメートル)粒子を高度に分散して薄くするという分散技術を開発した」と説明する。
 この分散技術によって1マイクロメートル当たりの破壊電圧が他社製より2・5倍も向上し、その分、世界で最も薄いコンデンサーが完成した。06年3月までには破壊電圧が同3倍のコンデンサーを開発し、世界一の座を不動のものにする考えだ。
 産学連携で新商品も
社長と技術陣10人は、オランダのフィリップスの日本法人勤務を経てアイオムテクノロジーを設立。援助の手を差し伸べたナミックス(新潟市)の勧めによって新潟県新発田市に研究所を建設した。
 工場ではなく研究所にしたのは理由がある。同社は苦心して開発した製品を自社で製造しない。あらかじめ契約している顧客にすべて提供する。つまり開発会社に徹しているのだ。今の顧客は海外の大手企業。5年契約を結んでおり、あと1年で契約は切れる。
 「技術の世界は3年もたてばガラリと変わる。この変化についていこうという人がいるが、ついていくようでは困る。自分で変化をつくり出さなきゃ」と岩谷社長は力説する。「開発者は学歴などいらない。頭が良くなくてもいい。必要なのは知的好奇心と、変化をつくり出す意欲だ」とも。
 現在の顧客との契約が切れる1年後はどうするか。同社では顧客が1社しかない現状にリスクを感じており、顧客を増やす考えだ。またセラミックコンデンサーの開発だけではなく、新規商品の開発にも着手しており、ほぼめどがたっている。新規商品は大学との産学連携の成果だという。
 良好な人間関係あってこその成長
 社長に、先端技術を競い合う業界で生き残るには何が重要かを聞くと、意外にも「泥くさい人間関係」との答えが返ってくる。「会社を設立できたのは応援してくれた人のおかげ。また、神奈川県から新潟県までついてきてくれた社員が10人もいたおかげで経営が軌道に乗った」という。「高い給料に引かれて退社する社員が多い会社には技術が残らない」と言い切る表情には、人間関係を大切にしてきた自負がみなぎっている。






 スプレー缶用ガス抜きキャップ開発
 親子3人で金型製造を営む金型興業所は、2005年に入り仕事量が急増した。きっかけはスプレー缶廃棄時の残存ガスを簡単に抜くことができるプラスチックキャップの開発。地元の東京都大田区が実施した04年度の新製品コンクールで最優秀賞を受賞し、テレビや新聞、雑誌などで何回も開発成果が報じられた。海外からの問い合わせも舞い込むなど、同社は活況に沸いている。
 消臭スプレーなどの空き缶を廃棄するときに、必ず行わなければいけないのが残存ガスを抜く作業。ガス抜きをしないと、ゴミ処理時に爆発する危険性がある。ガス抜きの方法は手でガス噴射部を押し続けたり、くぎなどで缶に穴を開けるのが一般的だ。
 後藤金型が開発したキャップは、外観は普通のキャップと変わらず、指でキャップ上部を押し込むとガス抜き用キャップに“早変わり”するのが特徴。キャップ内部の突起がガス噴射部を押し続ける仕組みで、「ほっておいても自然にガスが抜ける」(後藤孝社長)。
 ガス噴出部の形状は製品によって異なり、それに応じて突起の高さを変える必要がある。同社はキャップ量産の金型を開発する上で、製品ごとに金型を起こすのではなく、ピンの交換だけで突起の高さを変えられるように工夫。大幅なコスト削減に成功した。
 業務用から化粧品など一般向けへ
 すでに潤滑剤など業務用スプレー業界から引き合いが来ており、「早ければ2005年秋にも、当社のキャップが付いた製品が店頭に並ぶ」(同)という。化粧品など一般消費者向けスプレーへの浸透も狙っている。
 同社は1970年(昭45)の創業時から、エアゾール缶用キャップの金型製造を手がけてきた。しかし、最近では中国など海外に生産移転するケースが増え、同社への金型の注文も減っていった。「このままではジリ貧」(同)という状況のなか、社運を賭けて約3年前に開発を始めたのがガス抜き機構付きキャップだった。
 同社の成長には大田区の外郭団体である大田区産業振興協会や、東京都知的財産総合センターも大いに期待しており、展示会出展や国内外の特許出願などに関してアドバイスを送っている。社長も「協会や知財センターに足を向けて寝られない」と冗談交じりに話す。
 05年初めに同キャップを発表して以来、従来型のキャップの金型受注も舞い込むようになり、現在は外注を使って仕事をこなしている状況。また、それまで取引のなかった金融機関から事業資金融資の話を持ちかけられることも増えた。そんな好調続きの状況にも、後藤社長は「現状に浮かれずに、取引先との信頼を大事にしていきたい」と語り、親子3人協力して地道にモノづくりにまい進する姿勢を崩さない。
 下請け体質からの脱皮目指す
 金型興業所が開発したガス抜き機構付きキャップは、従来型キャップとほとんど変わらないコストで生産でき、業界標準になる可能性を秘めている。大田区内では、下請け体質からの脱皮を目指して自社製品開発に取り組む企業が増えており、同社はまさにその典型。同社の成功は、同様に自社開発に取り組む企業にとって励みになるはずだ。




 広視界双眼鏡は業界標準に
 一般にはあまり知られていない双眼鏡業界の巨人だ。キヤノン、ニコン、オリンパス、ミノルタ、ペンタックス、富士写真光機といった日本の主要カメラメーカーの双眼鏡は、ほとんど同社が製造している。欧米でもドイツのカールツァイスを除くすべてのメーカーにOEM(相手先ブランド)供給している。
 同社が双眼鏡の世界的メーカーになった理由の一つに、開発、生産、販売の国際的な分業体制が挙げられる。具体的には米国、香港、中国にそれぞれ拠点を置き、米国の拠点には国際規模での市場調査を、中国には生産を、香港には全世界への供給窓口の役割をそれぞれ受け持たせている。そして日本の本社は技術開発や設計に専念。この4極で「世界のニーズと合致した製品をスピーディーに開発し、低コストで生産する」(鎌倉一郎会長)一貫体制を築いている。
 日本の本社が担う技術開発では、双眼鏡の命である光学性能を高めるため、他社に先駆けて設計部門にコンピューターを導入し、複雑で難しいレンズを短時間で設計できるようにした。複雑な組み図や部品図の作成も容易になったという。
 ニーズの変化や多様化にも機敏に対応しており、65年の広視界双眼鏡開発をはじめ、ファースト・フォーカス機構や電子回路の搭載、測距モノキュラー(単眼望遠鏡)の開発、フェーズコートの内製化などで世界をリードしてきた。中でも広視界双眼鏡の技術は、今や世界的なデファクトスタンダード(事実上の業界標準)となった。これを筆頭に、数多くの特許を保有。デザイン性の面でも経済産業省の「グッドデザイン賞」で中小企業庁長官特別賞に過去3度輝いた実績を持つ。
 最近は中・高級品向けに開発したオートフォーカス機能や手ぶれ防止機能がとくに評判だ。
 中国に新工場、06年中に本格生産
 同社は創業以来、双眼鏡の開発・製造に専念してきた。そして双眼鏡事業で世界へ進出しようと、87年に米国サンディエゴに現地法人を設立したのをはじめ、90年には香港に販社、93年には中国広東省東莞市に量産工場を設立した。
 93年に稼働した東莞工場はかなり老朽化し、工場周辺の住宅化が進んだため、新工場を建設する。投資額は約5億円。05年中に着工し、06年中に旧工場の生産を新工場へ全面移管する。
 新工場は敷地面積が約3万平方メートル、延べ床面積が約2万平方メートルで、従業員は1300人規模。レイアウトを一新して効率の良い生産ラインを築き、日米欧の光学機器メーカーに、合わせて年間約100万台の双眼鏡をOEM供給する予定だ。
 時代の先を読み、素早く対応
 開発、生産の各段階で効率を追求し、双眼鏡の一大メーカーとして世界規模で事業展開してきた鎌倉光機。世界市場の動向を見抜く“目”と高度な技術力に裏付けられたグローバル企業だ。
 中国での新工場建設を決めたばかりだが、鎌倉会長は「人手不足や賃金が上昇しつつある、中国も決して安住の地ではない」と時代を見通す。グローバルな目で時代の先を読み、素早く対応する中堅企業の成功モデルといえるだろう。





 大手と肩を並べる工務店ネットワーク

 78年に当時19歳だった社長が住宅会社を設立したのが始まりだ。以来27年間、住宅業界の変革に挑戦してきた。
 住宅建設は組み立て業であり、建材の仕入れ値や人件費などの積算で販売価格が決まる。建材の価格は地域や時期によって違うため「多くの工務店は単価表すら持っておらず、積算のたびに工務店と交渉」(宮沢社長)する必要があるうえ、明確な算定根拠を示してもらえないケースも多い。
 業界の“どんぶり勘定”的な価格設定に疑問を感じた宮沢社長は、自ら材料費や労務費を徹底的に調べ、2万項目にも及ぶ単価表を作成。さらには商品開発や合理化、販売のノウハウをマニュアルやコンピューターソフトとしてパッケージ化し、工務店に販売してきた。これを導入した工務店は、約2200社に達している。導入すれば大手のハウスメーカーよりもほぼ2、3割安く住宅を提供できるという。
 また、このパッケージを導入した企業を中心とする工務店のネットワーク「アキュラネット」を6年前に組織。今や大手ハウスメーカーと肩を並べるほどの販売実績を持つビルダー・工務店が加盟する全国ネットとなった。03年度の販売棟数は7805棟に上り、住宅建設のフランチャイズチェーン(FC)やボランタリーチェーン(VC)としては2年続けて全国で1位となった。住宅メーカーと比べても、同年度実績1万1088棟で7位の住友林業に次ぐ規模。09年度には全体で2万棟を販売する計画だ。
 緩やかな組織でベストプライス追求
 埼玉県の一ビルダーにすぎない同社が、大手ハウスメーカーに匹敵する事業規模の組織を作り上げた秘密は“どんぶり勘定”を排除して積算根拠を明確化したことによるベストプライスの実現だけではない。緩やかな組織形態も活力源だ。
 現在、アキュラネットの会員数はおよそ600社。アキュラホームの工務店向けパッケージを導入している企業の総数をはるかに下回っている。このことから分かるように、入会の強制はないし、入会金やローヤルティーなども一切求めない。建材を共同購入する際も参加を強要せず「安くて品質の良いものがほかにあれば、それを使ってもかまわない」(同)というほど自由度が高い。加盟社を過度に束縛しないため、メンバー各社は地域性などに即して事業展開でき、これが組織拡大につながっている。
 アキュラホームでは今後、工務店・ビルダーの営業戦略構築と技術革新を進めていく方針。「これまでの木造軸組工法にはコストや耐震性の面で限界があることを認め、良さは継承しつつ、新しい技術を素早く取り入れていくことが重要だ」(同)と、新しいタイプの木造住宅づくりに挑んでいる。
 そんな同社に将来の可能性を感じ、大手企業から転職してくる人も出てきた。大手に比べて営業力が弱いと思われがちな中堅・中小の住宅会社だが、地元に密着して継続的に営業できるという優位性もある。大手各社の業績が伸び悩む中で、まだまだ右肩上がりの成長を続けそうだ。
 求められる業界スタンダードづくり
 「メーカーからではなく、川下からスタンダードをつくれる環境にしていきたい」という社長。住宅建設市場の約7割は中小工務店が占めるが、建材や資材の大手メーカーに振り回されている。
 その中でアキュラネットの販売棟数は、今や大手に匹敵する規模になった。その影響力は大きい。工務店・ビルダー連合の先駆者として、業界標準を確立していくことが求められる。






 新鋭機を積極導入、実演会で新型紹介
 全国2500社の顧客と取引をしている試作・加工専門の中小企業が東京・多摩地域にある。電子ビーム、レーザーなど最先端のハイテク加工装置を全国でもいち早く導入し、新製品などの試作業務を受託している。
 強さの秘密は積極的な設備投資。ここ数年は年平均2億円を投じて、最新の加工装置を導入している。顧客と秘密保持契約を結び、これらの最新設備で顧客に代わって試作に取り組むほか、場合によっては量産も請け負う。顧客は専門のオペレーターのアドバイスを受けながら、先端の加工装置・機器に触れることができる。顧客自身は設備投資を一切することなく、最新設備や高価な装置を試すことができるというわけだ。
 こうした業務を手がける会社の存在は、装置・機器メーカーにとってもメリットが大きい。東成が持つマーケット情報を、開発などに生かせる。東成はメーカーと最終ユーザーの“架け橋”となっているのだ。
 東成が保有している設備は、母材を溶かさずにろう付けできる自動ろう付け機、非金属にも対応する彫刻装置など、電子ビームを使う装置が10台、レーザーの装置が40台。東成は年2回開く展示実演会「オープンハウス」でこれらの装置を顧客に紹介する。国内ではまだ珍しい装置の機能を一目見ようと、自動車部品メーカーなどの関係者が毎回、大勢訪れる。
 また、04年には開拓営業課を新設。さまざまな業種・業態の企業に営業をかけ、新たに150社の顧客を獲得した。最近では1億5000万円を投資し、電子ビーム溶接機を新しく導入。半導体製造装置メーカーなど約200社の新規開拓を目指している。
 04年3月期の売り上げは前年度比12%増の10億6000万円に達し、05年3月期は売り上げで同17%増の12億7000万円を見込んでいる。
 異業種交流で新技術、ビジネス創成を下支え
 同社は異業種交流にも積極的だ。特色ある技術を持つ全国の加工業者と連携し、共同受注体「ファイブテックネット」を組織している。メンバーは同社のほか工具製造の中村超硬(大阪府堺市)、光学研磨のクリスタル光学(大津市)、金属切削のスズキプレシオン(栃木県鹿沼市)、微細加工機製造のピーエムティー(福岡県須恵町)の5社。キーワードは「新連携」だ。
 5社はいずれも得意分野が異なり、地元にそれぞれ固有の営業基盤を持つ。「優れた技術を持つ企業同士が広域的に連携し、全国規模で事業展開する」狙いだ。中村超硬の新規事業立ち上げを東成が技術面で後押しするなど、目に見える成果も上がってきた。中村超硬ではこの事業部門を将来、別会社にする構想も温めているという。東成の技術が新たなビジネスの創造につながった一例であり、同社が新しい産業の創成を下支えする場面が今後さらに増えそうだ。
 中小企業の新たな事業モデルを提案
 ダウンサイジングにより大手企業が失った機能を補完し、“なくてはならない企業”になることで、ビジネスチャンスを見いだす。高エネルギー装置を軸足に、ニーズに的確に対応してきた。ヒト、モノ、カネが不足しがちな中小企業の広域連携と、公的な補助金制度活用で成功を重ねる。所在地が地方だからといって、事業には不利にならないことも実証し、中小企業の新たな事業モデルを世に提案している。






 独自の原理、原則を確立
 「古くて新しい鋳造」の開拓をテーマに、鋳造技術の革新にチャレンジしている。現在、大手企業の自動車、2輪車向けをはじめ、電機、電子関連機器の各種部品の鋳造を主力としている。とりわけエンジンなど研究開発用の精密鋳造部品の製造に強みを持つ。
 鋳物づくりは気温や湿度といった自然条件に品質が左右される。それだけに、職人の熟練の技が生かされる分野といえる。同社は、均一に金属溶融することで不良品が出ない「湯」の流れをつくり出そうと試行錯誤を繰り返し、独自の鋳造の原理、原則を確立。発注企業が求める高度な品質と、短納期の厳しい要請に応えてきた。こうした信用が新たな難度の高い受注を呼び込む一方、主体的に課題を解決できる優秀な人材を育ててきた。
 鋳造領域は、精密な試作開発品や多品種少量生産品に徹している。このため、量産タイプの鋳造と比べ製品の付加価値は高い。受注金額の算定も1キログラム当たりといった重量ではなく、時間当たりの算定方式を早くから導入して、顧客の理解を得ている。
 鋳造業界は生産の海外シフトなどによって、生産量、事業所数も縮小する傾向にある。この中にあって同社は鋳造の高付加価値化戦略を通じ、着実に事業規模を拡大している。
 新技術で高品質の薄肉鋳造を可能に
 新たな鋳造技術として「ダイレクトキャスト」システムを開発し、本社工場内に導入した。3次元CAD/CAMで製作した特殊材料の型に、ダイレクトに鋳込むシステムで、試作品などの少量生産に威力を発揮する。バリがなく仕上げ加工が省け、短納期化や低コスト化に役立つ。しかも、0.02ミリメートルという高い寸法精度が得られる。安定した質の高い薄肉鋳造はこれまで困難とされていたが、同システムによって可能にした。
 さらに、鋳物づくりに欠かせなかった砂が不要で、型材を約200回もリサイクルでき、産業廃棄物の発生量を大幅に削減する。このため3K職場といわれる鋳造工場の作業環境をクリーンに保ち、環境に優しい鋳造システムとしても注目される。3月には新たに2機増設し、3機体制として受注に備えている。
 現在、自動車分野からの受注が全受注額の50%余りを占めている。しかし、今後、需要の多様化と経営の安定を図る観点から、こうした新技術を新分野に展開する方針。具体的には、バイオ、医療などの関連試験装置、さらに航空宇宙、ロボットなどの分野の開拓を狙っている。これまで切削加工部品が主力で、鋳造では無理といわれた精密部品づくりに挑戦する。
 鋳造業の革新、活性化に貢献
 長年にわたり培ってきた熟練の技に、独自の理論を裏打ちし、常に新たな鋳造を追究している点が同社の特色といえる。枠にはめず、自主性を重んじる人材育成がこうした新たな鋳物づくりへの背景にある。
 「鋳造の難しさが分かる人が少なくなった」だけに、鋳造業の革新、活性化に向けた同社の取り組みが注目される。





 東京・青山にも進出
 山形市、仙台市で店舗および工場を展開。通信販売による売り上げと合わせ、04年8月期には年商33億円を計上するなど、同地域で業界トップクラスに成長している。
 04年10月には東京・青山に初出店を果たしたほか、同年12月には山形県天童市に店舗面積が700平方メートルを超える大型店「シベールの杜」天童店をオープン。洋菓子店、パン工房、イタリアンカフェをワンフロアに設けた新しいコンセプトの総合型店舗で、地元客や観光客らで連日にぎわうなど好調なスタートを切っている。
 和菓子店に生まれた熊谷眞一社長だが、高校卒業後はあえて家業を継がず、仙台市で洋菓子を修業。25歳になった66年、山形市にシベールを創業した。
 「4坪に満たない小さな店で、年商は240万円」(熊谷社長)からの出発だったが、店にキャッチフレーズを付けてのPR展開などが功を奏して、年商は10倍の3000万円に。さらに10倍を目指し、パン製造の開始、仙台市への進出などを進めた結果、年商3億円も達成した。
 続いて年商30億円を掲げて、山形市に大型店を開設。大繁盛した一方、駅を挟んだ反対側の既存店は売り上げが急落するという現象に頭を悩ます。「市場規模の把握ができておらず、山形市で多店化を進めても店同士の食い合いになるだけだった」(同)。
 通販好調、和食も視野に
 そこで全国に目を向け、単品を無店舗で通信販売するPIS事業に着手。目玉の製品について、既存の物、他店にある物ではなく、ありそうでない物をポイントに開発したところ、現在の主力であるラスクフランスが誕生した。
 ラスクはもともと、フランスパンの2次加工品に過ぎず、ラスクで勝負をすることに現場の反対もあったものの一年かけて説得。100人の顧客をサンプルに始めたところ、30人からの受注に成功した。ラスクのために上質なフランスパンを焼き、注文の分を毎日手作りする新鮮な商品は口コミで評判が広がり、現在の顧客数は30万人を超えた。
 99年にはラスク専用ライン「麦工房」が稼働。その2年後、同敷地内に洋菓子製造工程が外から見学できる店舗兼工場「ファクトリーメゾン」をオープンした。その結果、03年には売り上げ32億円を計上した。
 創業以来の経営理念に「日本の食卓の情景、ゆかしい贈り物の風習を、豊かで創造的で幸福感に満ちたものにする」を掲げ、5年間で2・76倍の成長を7回続けて現在に至った。今後は山形の伝統料理や蕎麦(そば)など和食への進出も視野に入れている。当然、目標は年商300億円だ。
 店舗展開を加速
 ローコストの無店舗販売が売り上げの半分を占めており、その利益を新店舗建設などへ投資できるのが強み。流通・小売業界は郊外における大型店が増加傾向にあり、天童店をモデルケースとした一層の店舗展開に拍車がかかりそうだ。



 超堅実経営
 精密濾過機と水処理機器・排水処理プラントを業務の2本柱としている。
 橋本康彦会長は55年にメッキ用精密濾過機器の専門メーカーとして同社を創業した。わずか一代で、国内シェア70%を占めるトップメーカーに同社を育て上げ、業界内で確固たる地位を築き上げてきた。04年12月には経営を橋本ひろみ社長が引き継いだ。「05年11月の創業50周年の節目に向けて、若い世代が会社を盛り上げる」(橋本ひろみ社長)と力が入っている。
 コスト管理が徹底している。04年9月期は売上高29億8800万円に対し、経常利益6億5100万円を計上、高収益体質を維持している。無借金経営を貫き、自己資本比率が84%に達するほどの堅実な経営ぶりだ。
 「水を守り、環境を守る。社会に認知される企業を目指す」という同社。好調な業績を支えるのは、他社に先駆けた製品の開発、販売だ。
 高い技術力で業界をリード
 精密濾過機では30年前に業界で最初に強化プラスチック製カートリッジフィルターを開発した。この技術に改良を重ねて生まれたのが「EAGLE」シリーズだ。強化ポリプロピレンやポリサルホンを用いてオールプラスチック製の濾過機を実現した。耐薬品性、耐熱性に優れ、サビや腐食の不安を一掃できるという。
 また、シリンダーのパッキン部やネジ接続部などを独自の成形処理により一体化し、液漏れを追放した。原料から射出成形により部品を製造し、製品の出荷までを自社で一貫生産する。その過程で品質の改良や作業の効率化、コストダウンにこだわり、ユーザーのニーズに応える姿勢を貫く。
 水処理機器・排水処理プラントでは、他社に先行してイオン交換水循環装置を導入した。上下水道料金の大幅な削減が可能となる。
 97年にはチューブラー(管状)型ポリプロピレン製精密濾過膜「FIL−SEP」を開発した。これを搭載した水処理ユニット「マイクロフロー」では連続して分離や濃縮、濾過ができる。大きな貯水槽が不要となるため、省スペース化が可能だ。固液混合の懸濁水の分離に威力を発揮する。
 前処理の薬品を必要とせずに、不純物を含まない濃縮水を得ることができる。薬品の管理作業がいらなくなり、環境負荷を低減する。環境管理・監査の国際規格であるISO14000シリーズにも対応できる。
 橋本社長は「省スペース化、低価格化、低ランニングコスト化を一段と進め、他社との差別化を図っていく」という。決して手を緩めることなく、さらに挑戦を続ける方針だ。
 あらゆる産業の製造現場を支える
 同社の技術は、半導体や電子部品、プリント基板などの生産に必要な純水を製造し、循環再利用して、排水を無害化するのに役立つ。また、あらゆる産業の生産工程での水・薬品の精密濾過が可能だ。環境に対する取り組みは、企業にとって必須事項となっている。環境保全を念頭に置いた技術を持つ同社の存在感は、今後も高まっていきそうだ。





 顧客が納得するまで打ち合わせ

 主力事業は、個人向けの特注フィギュア製作「me−ni〜私似(ミーニ)〜」だ。サイズは高さ16センチメートルの2・5等身から、30センチメートルの4等身が主体。現在は結婚式のカップルフィギュアを中心に月15セットの受注があり、05年は月30セットの受注を目指す。また、結婚するカップルは年間約80万組。その市場の中で4000セット獲得が中長期的な目標だ。
 同社の「私似」の強みは、ユーザーとの度重なるコミュニケーションを核にしたきめ細かな人形作り。ユーザーから写真をもらってイラストを起こした段階、フィギュアを製作した段階でそれぞれユーザーにメールを送る。ユーザーは名前と注文番号でログインし、イラストやフィギュアの形などを確認した上で製作を進めることができるのが特徴だ。
 フィギュアを製作する職人はイラスト、ユーザーから届いたコメント、過去の製作例までを蓄積したホームページ(HP)をフル活用して、可能な限り精巧なフィギュア作りに努める。時間がかかっても、ユーザーが納得するまでやりとりを続けるという。一番需要の多い結婚式のカップルフィギュアについては、ドレス専門の職人が作るドレスをつけた「リアルドレスバージョン」もある。
 デジタル関連事業と2本柱で
 これまで累計300体以上を製作しているが、完成後にやり直しのクレームがあったのはただ1回、草野球のユニホームのチーム名の間違いだった。個人向けのフィギュアの命は「とにかく顔」(職人の田中秀樹さん)で、顔についての作り直しは一度もないという。1体しかないものだけに、顧客サポート体制も万全。壊れたフィギュアの修復や、商品到着後の修正も可能な限り無償で受ける。
 価格だけを見れば決して一番安いわけではないが、同業他社が生産拠点を中国に置き、量産体制を築く中で日本での高品質のモノづくりにこだわり、他社との差別化を図る。社長は「お客様へのコミュニケーションを軸にしたサポート体制を考えると、やはり日本がいい」と語る。
 フィギュア事業を支えるデジタル技術を活用したデジタル関連事業が同社のもうひとつの顔。もともとシステムエンジニアの及川社長が一人でソフトウエア開発、HP製作などをコンサルティングし、受託開発する。フィギュア関連に比べてまだ売り上げは少ないが、社長は「将来はデジタル関連事業との2本柱にしていきたい」という。
 今後は商店やテーマパークなどに置くフィギュアやマスコット製作など法人向けのディスプレー事業も強化する。主力の「私似」も、結婚式向けにとどまらず卒業、還暦、ホールインワンなどさまざまな節目の記念品向けに需要を掘り起こし、事業拡大を狙う。
 「職人力」の維持が課題
 ブーンの「私似」事業の強みは徹底した顧客サポート体制と、一つのフィギュアを徹底して作りこむ根気を持つ職人力。これからの成長のカギは現在のサポート体制、高品質の「徹底」を継続していけるかという点だろう。これを支えるのは一にも二にも職人。ニーズの掘り起こしによる事業拡大とともに、人材確保をバランスよく行いたいところだ。




 米現地法人を設立し製品開拓強化
 「ライフサイエンスの進歩に貢献したい」。コスモ・バイオは78年、丸善石油(現コスモ石油)の技術開発部生化学グループとして発足して以来、こんな意志を持ち続けている。
 同社はライフサイエンス分野における試薬や診断薬、実験機器類の商社業務がメーン。国立大学の法人化による研究経費見直しムードが漂う中にあっても、04年12月期の売上高は50億円弱と1ケタ台後半の成長を継続。経常利益は7億円強を計上している。時代の先端を行く製品をいち早く開拓し、タイムリーにユーザーに届ける姿勢が、大学や公立研究機関などの研究者から評価されている表れといえる。
 米バイオベンチャーの血液関連の試薬や診断薬の輸入販売業務からスタートした同社は、83年に丸善石油バイオケミカルとして発足。86年に現社名に変更。00年9月に、マネジメント・バイ・アウト(MBO=自社株買収)によってコスモ石油から独立している。
 創業時から、世界的に新しい製品類の掘り起こしに力を入れてきている。04年には生化学の先進国である米国に現地法人「コスモ・バイオUSA」を設立、この機能の拡充を図った。従業員はこれまで米国での新規製品開拓などを行ってきた日本人1人でスタート、コンサルタントフィーを支払って、米国での有望製品や事業の開拓を委託している。
 創薬関連でスクリーニング斡旋事業を拡大
 一方、同社は「日本のベンチャー企業などの優秀な技術を海外に提供する事業も展開している」(原田正憲社長)。米現法設立の狙いの一つもそれで、日本製の試薬や実験機器などの販売活動は人員を順次増強しながら直接販売体制に移行していく計画。3年後にはパートを含めて5、6人の体制とし、年商1億5000万円、黒字化を目指す。
 また、欧州では代理店網を整備、東南アジアはインターネット経由で直販に乗り出しており、それぞれ販売を強化する構え。04年の輸出額は6700万円だが、右肩上がりの成長を目指す。
 このほか、製薬会社向けの創薬関連サービス事業にも本腰を入れ始めた。化合物スクリーニング請負斡旋(あっせん)事業を強化するもので、スクリーニングを代行する米アップステート社に加え、04年夏にベルギーのユーロスクリーン社の細胞を使った化合物の活性測定サービスの斡旋を始めた。さらに、専属の技術系スタッフを配した創薬支援グループも発足している。
 同社は若手研究者の発表を交えた学術セミナー開催のほか、公開講座の助成などに取り組み始めている。将来の市場育成や企業ブランドの向上が狙いで、長期的な視野に立った戦略として注目されそうだ。
 社員80人中60人が技術系
 大学などの研究者向け事業に強みを持つ。一方、「創薬の分野でしのぎを削る製薬企業の基礎研究に対するサポートに力を入れている」(原田正憲社長)と、スクリーニング斡旋事業を強化中。より付加価値の高い分野に挑戦し続けている。社員80人中60人が技術系(うち生物系が30人)という人的資源が武器。次世代の研究者育成支援など将来的な視野も持ちつつ、今後も国内外で成長を続ける可能性は高い。




 世界中を驚かせた「GS王冠」
 日本酒や清涼飲料水、調味料、ドレッシングなど液体の保管や管理に必要不可欠なペットボトルやキャップを製造している。酒樽(たる)用の木工飲み口の製造をルーツとする同社は「無から有を生み出す」との創業理念で、約90年間、常に“現状”に挑んできた。とくに、63年に開発した「GS王冠」は、現在の開発にも生かされる点が多く、同社最大のヒット商品となっている。
 酒樽用の木工飲み口の製造は、戦後になると樽の需要が減り、同社は新規事業を検討していた。当時、日本酒のふたといえば金属王冠が主流だったが、開ける器具が必要で、手を傷つけやすいという問題があった。そこに目をつけた林田孝一相談役は、米国で開発されたばかりのポリエチレンを使って、ふたの開発に挑んだ。
 原理としては簡単だが、開発過程は失敗の連続だった。まず、金型から離型する際に、ポリエチレンが抜けにくい問題が発生。また、サンプル品が樹脂製のため、においがつきやすいという欠点もあり「開発の苦労で、林田相談役は胃を半分除去するほどだった」(林田壽昭社長)と、文字通り“血と汗”をかけた開発だった。
 スリップ材をポリエチレンに混入させることで、金型の問題を回避するなど、試行錯誤を繰り返し、ついに63年「GS王冠」が完成した。GS王冠は、シール部を引き破ることで簡単にふたを開けることができ、開栓後は替え栓として使用できる特徴を持ち、世界中を驚かせた。
 全社員が開発部隊
 同社はその後、耐熱キャップや、酸化を防ぎ芳香を保つ「バリアキャップ」など、液体を保存・管理する“キャップ”で日本だけでなく世界をリードしてきた。トップを走り続けることを可能にしているのは「社員全員が開発部隊」との考え方だ。
 キャップは生活に密着した商品であり、全社員が毎日、家庭やスーパーなどで目にしている。そこで「このように改良すれば使いやすくなる」「年齢層によっては開けにくい」などの声を集める投書箱を各部署に設置。その声を毎月行う開発会議で検討し、新商品開発に生かしている。
 最近では、取り外すことに重点を置いた「Re(リサイクル)キャップ」や、固定式キャップを取り外すための器具「分別君」を商品化し、環境に配慮した商品展開を行っている。
 これまでの商品アイテムは3000点を超え、豊富なストックを生かした提案営業で他社に差をつけている。05年の売り上げは75億円を予測しており、林田社長は「食品だけでなく、薬品分野にも挑戦し、念願の100億円を早く突破したい」と語る。新分野進出へ足を止める暇はないようだ。
 現状を否定
 トップに立つ企業の多くが安定化を求め、守りの姿勢を見せるのに対し、何度も「現状否定」との言葉を口にする林田社長。商品開発だけでなく、関東工場には無人化運転によるクリーンルームを備え、徹底した品質保証体制を確立している。「GS王冠」の開発から約40年。おごりを見せず、着実に努力を続けた結果が、現在の成功につながっているようだ。




 メーカーと顧客の間に立って
 企業向けに省エネルギーコンサルティングを行っている。照明をはじめ空調、動力、電力など、事業所が使うエネルギー機器の使用状況を点検し、各事業所単位で最適な省エネ設備の導入を提案する。
 同社のユーザーはコンビニエンスストアやスーパー、ホテルなど流通・サービス業界が中心。流通・サービス業は、メーカーと違って設備専任者が非常駐のケースが多く、エナジーセーブのような企業が重宝されている。これまでにコンサルティングを手がけた企業は70社、全部で600件の案件を処理した。環境意識の高まりを背景に「従来のコスト削減一辺倒から、コストと環境を組み合わせた省エネに企業の意識が変化している」と社長は話す。
 コンサルティングの特徴は「メーカーと顧客の間に立って、リスクをコントロールする」ことで、「スペックが良くても、顧客のニーズに合わない機械は提案しない」主義を徹底している。
 省エネ設備には、故障や事故に加え、予定した省エネ効果を出せないリスクが常につきまとう。そうしたリスクについては、機械利益保険など既存の損害保険を拡大解釈して対応してきたが、並行して「損害保険会社と省エネ保険の共同開発を進めている」。実現すれば、設備ごとにきめ細かなリスク管理が可能になる。
 コンサルをデータベース化、機器の自社開発も
 同社の05年10月期の売り上げ目標は1億2000万円。前年度に比べ倍増を目指しており、達成のカギを握るのが「コンサル手法の共有化」だ。
 実戦経験の長いコンサルタントの知識や体験をデータベース(DB)化して、初心者のコンサルタントでもDBの情報を頼りに仕事をこなす「ROBOTシステム」を構築中。05年春にシステムのプロトタイプが完成する予定だ。
 これが稼働すれば、顧客先で端末を使ったコンサルタントができるようになり、「コンサルティング業務の効率化が推進され、増収効果が期待できる」(同)。端末はコンサルタントだけでなく、損害保険会社の営業担当者も持つ計画で、「コンサルティングをコモディティー化する体制を確立していきたい」(同)と意欲を燃やしている。
 同社はコンサルタント業務に徹し、経験を積む中で、製品の自社開発にも乗り出している。「PMV(温熱環境指標)アナライザー」はその一つ。中小企業総合事業団(現中小企業基盤整備機構)の助成金を受け、労働科学研究所の協力を得て開発した。
 室内の湿度、温度、風速を測定して、快適さを維持しながらエアコンの省エネ運転を行う機器で、06年春にはインターネットを介し、遠隔操作で運転を制御する「PMV空調システム」の製品化を目指している。
 クレームはゼロ
 省エネは、企業経営にとって頭の痛い課題の一つだが、解決にはコストがかさみ、対処の方法も分かりづらい印象がある。エナジーセーブは特定の省エネ機器業者の製品販売は行わず、顧客視点に立脚したコンサルティングを軸足に活動を続けてきた。これまでクレームゼロという結果が、その評価につながっているといえそうだ。





 新教育指導要領の情報をキャッチ
 楽器店は、中学校や高校の授業で使う和楽器のレンタル事業を全国に拡大している。社員数はわずか8人と小さな企業規模ながら、和楽器のレンタルという独自性ある事業に着目し、成長のきっかけをつかんだ。本業の楽器販売と並ぶ事業に育成する計画だ。
 同社は1968年の設立。大分県北部の宇佐市という小さな都市の商店街で、社名通り楽器やCDなどソフトの販売、音楽教室の運営などを事業としていた。典型的な小規模楽器店といえる。佐々木英雄社長の息子の佐々木孝取締役が新規事業を模索し、中学や高校で今後、和楽器を使った音楽の授業が始まるとの情報を得て、2000年に和楽器のレンタル事業に乗り出した。
 当初は学校への営業方法など分からず「悪戦苦闘の日々だった」。しかし次第に口コミで評判が広がり、現在、九州内の中学、高校合わせて80校と契約し、和楽器の琴と三味線を有料で貸し出している。料金は1カ月間、1台当たり1万5750円。1校当たりの平均使用台数は15台で、平均使用期間は1カ月という。
 順調に導入が広がった背景には、文部科学省の新教育指導要領で、中学が02年度、高校は03年度から音楽の授業に和楽器など伝統音楽の指導を取り入れることになったことがある。ただ、日本の伝統文化に親しむことを目的とした指導といっても、音楽の先生が楽器の演奏方法を知らない。そこで同社は以前から付き合いがある和楽器の師匠へ依頼し、先生へ演奏を指導するサービスを取り入れた。
 東京に配送センター開設
 「先生への指導は大変好評」(同)で、同様の悩みを抱えている未導入の他県でもレンタルと指導サービスの話をすると、良い反応が返って来るという。
 また学校の事情として、レンタルは初期費用が不要という利点がある。和楽器の授業といっても年間1カ月程度。費用は買い切りよりもレンタルの方が安くて済み、「わずか1カ月の使用のために買い切る学校は少ない」(同)。
 同社はこのほど、関東地区での事業開始に向けて、楽器の配送などを行う東京センターを東京都江東区に開設した。すでに複数校への導入が内定しているという。関東での事業が軌道に乗れば、関西などにも対象地域を広げ、早期に400校程度まで契約先を増やす方針。
 04年5月期の売上高1億円のうち、和楽器レンタルは1000万円とまだ少ない。ただ、楽器販売は少子高齢化で今後厳しい経営環境が予想されており、新事業にかける期待は大きい。「和楽器レンタルはまだ未開拓の県が多い」(同)と和楽器レンタル事業に力を入れて成長路線に乗せ、同社の第二の創業としたい考えだ。
 「攻めの営業」のモデルに
 お客さんに楽器販売店舗へ来てもらう昔ながらの方式から、営業に出ていく方式へと考え方を180度転換して、成長のきっかけをつかんだといえる。和楽器レンタルは一つの手法でしかない。「待ちの営業」で経営が厳しければ、どんどん外に出ていく「攻めの営業」に転換すべきだろう。楽器店の路線転換、成長は、ほかの企業の参考にもなる例だ。







 “絶対基準”づくりへ工場を全面改革
 航空機や自動車をはじめとする産業界では、品質に対する要求レベルが年々、厳しさを増している。このため誤差を測る元となる「ものさし」として、計量基準の標準化を国家レベルで進める動きが世界的に加速してきた。この計量標準に着目し、長さの分野で精度検証の新しいビジネスモデルを構築中だ。
 78年に創業し、航空機部品や自動車部品、産業機械の試作を主力としてきた。この業務の中で、同社は顧客各社の考える寸法に微妙なズレがあることに気づいた。独りよがりの品質をいくら追求しても世界には通用しない。浅沼進社長は“絶対基準”を社内に取り込むことを決意。標準化で先行する米国の基準に沿う体制づくりに乗り出した。
 そして取り組んだのが工場の改革だ。「材料から変えないと精度は出ない」(浅沼社長)との考えから同社は鋳造、機械加工、仕上げ、検査までの一貫体制を敷いた。マシニングセンター(MC)などの加工機はメーカーに職人を指定して特注しており、その加工精度はマイクロメートル(1000分の1ミリメートル)レベルを誇る。
 また工場には窓を設けず、空調を完備。熱膨張を避けるため、工場内全体の温度を20度Cプラスマイナス2度に保つ。湿度も55%未満が原則だ。検査室に至っては、年間の温度変化をプラスマイナス0・25度以内にキープし、体温の影響さえ嫌い、測定端子が影響を受けないよう、空気の流れにまで配慮した設計だ。
 3次元測定機の検証用ゲージ開発、米国でも販売へ
 これらに5年の歳月をかけ、03年1月には米国の計量標準をつかさどる米国標準技術研究所(NIST)から、日本企業初の校正試験所認定プログラム「NVLAP」を取得した。同社が行う3次元測定機の精度検証に米国政府がお墨付きを与えたことになる。
 さらに3次元測定機の検証用ゲージ「クオリティーマスター」も商品化している。単なる円筒状の金属塊に見えるが、数個ある穴の間隔は0・1マイクロメートルの精度を持つ。穴と穴の間の長さや、中心から穴までの長さなど34通りを計測すると、3次元測定機の精度を米国政府の保証レベルで確認できる。
 いわばクオリティーマスターは、ものさしの、ものさし。従来は数種類が必要だった検証用ゲージを一体化し、検証時間を約20分に短縮できるのも特徴だ。同製品は米国特許も取得。05年春から米国でも販売する。このためアフターサービス拠点の設置を検討中だ。
 3次元測定機の校正業務とクオリティーマスターの販売を合わせても、売り上げはまだ全事業の1割。しかし精度に大きな自信を持つ同社には、有力メーカーから試作の依頼が後を絶たない。
 「将来は国際標準化機構(ISO)同様、計量標準の認定が欧米への製品輸出には欠かせなくなる」と浅沼社長。このため「日本のモノづくりを守り、さらに強くするために精度の基準を持つべきだ」と、講演会などを通じて啓もう活動にも力を入れている。
 国際標準化を先取り
 品質管理・監査の国際規格「ISO9000」シリーズをはじめとして、製造業が世界市場に製品を供給するためには、数々の国際規格の認証が必要になって久しい。「いずれ欧米では計量標準の国家認定が製品輸出の前提になる」というのが浅沼進社長の読み。計量標準にいち早く着目、それをビジネス化する柔軟さに、同社のしたたかさが感じ取れる。





 オートバイロードサービスで起業
 オートバイのロードサービスからスタートした。ロードサービスといえば、日本自動車連盟(JAF)のシェアが圧倒的。しかしJAFはオートバイのロードサービスは手がけていなかったため、これまでライダーは自力で直さなければならなかった。「オートバイの故障で困っている人を助けて感謝された時に、商売になるのではないかと思った」という榊原暢宏社長。97年の会社設立から会員数は年平均30%増のペースで増え、現在は20万人まで成長した。
 99年には住宅のカギの取り換えサービスを始めた。これは「オートバイのロードサービスをするうちに、オートバイのカギと一緒に自宅のカギもなくす人が多いと分かった」(榊原社長)ためだ。このサービスをきっかけに、家の中で起きるさまざまなトラブルに対処するようになり、徐々にサービス内容が増えていった。
 JR西日本、旭硝子、セコムと次々提携、本社人員は抑制
 現在は生活サポートサービスとして、カギの取り換えやハウスクリーニング、水回りの修理など18種類のサービスを展開している。同社のコールセンターで依頼の電話を受け、全国にある代理店が専用車両「生活救急車」で依頼先に出向き、作業する。会員制だが、非会員でも利用可能。6月にはJR西日本と組んで、駅での店舗展開も始めた。
 同社の強みは、会員制で安定した収益基盤を築いたことにある。オートバイのロードサービスの年会費は平均で4000円。ロードサービスだけでも年間で8億円は確実に手元に入る計算だ。さらに実動部隊を外部に委託し、本体で抱える人員など を少なくしたのも特徴だ。
 現在、本社の人員は管理・営業部門とコールセンターの50人。専用車両や実際に作業する人員はすべて代理店が抱える。ただし、一定レベルの水準を維持するために、「代理店の教育は自社で行う」(同)方針を貫いている。
 現在の課題は、生活サポートサービスの会員をいかに増やすか。このため、ここ数年、他企業との連携を積極的に進めている。旭硝子と共同で住宅用ガラスの補修サービス事業を02年にスタート。業界で初めての24時間サービスだ。また4月にはセコムなどと合弁会社「セコムウィン」を設立。セコムの契約先に対し、センサー付き防犯ガラスの施工やメンテナンス業務を行う事業を始めた。
 今後は不動産業者、保険会社、大学などとの連携を深めていく。「入居や入学などのタイミングをとらえ、会員になってもらう」(同)のが狙いだ。05年春には関東地区の複数の大学と連携する予定。こうした取り組みによって05年9月期は、生活サポートサービスの会員数を現在の10倍に当たる15万人と一挙に拡大、より強固な収益基盤を確立する考えだ。
 規模拡大とサービスレベル維持の両立がカギに
 困りごとを解決して報酬を得る−。きわめてシンプルな商売だが、これを会社としてもうかる仕組みに仕立て上げたのは社長の手腕だ。今後の注目点は生活サポートサービスの動向。水回りやガラス修理などを手がける業者は多いが、「料金や質の面でグレーな業者も多い」(関係者)だけに、規模拡大とサービスレベル維持の両立が成長のカギとなるだろう。