元気な組合




新しいまちを創造
ひゅうが十街区協同組合が整備した集団店舗は旧い町並みの商店街の中で異彩を放っている。中庭と駐車場を取り囲むように配置された店舗は壁や屋根の色を統一、天然石を使った石畳とも相まって「東京の自由ケ丘のような」(日高修一郎理事長=玉屋家具会長)雰囲気を醸し出している。
 日向市は1997年にJR日豊本線日向市駅高架事業計画に合わせて、駅周辺24ヘクタールを対象とした市街地再開発事業に着手した。これに対応して日向商工会議所は2000年3月に商業タウンマネジメント構想を策定し、商業集積と活性化策を打ち出した。
 店舗集団化事業(パティオ事業)をメーンに、同協同組合が本格的に立ち上げられたのは2000年6月。これはパティオ(中庭)を取り囲むように複数の店舗を集積させる事業。組合員が5人以上でよいことや、地権者と事業者の同一性が高いなどの取り組み易さに加え、融資や補助金など助成制度を活用できることから事業推進を決めた。協同組合の名称は区画整理の当地区番「10」をそのまま採用した。
若い顧客を呼ぶ
4回のレイアウト変更など多くの難問を乗り越え、02年9月にようやく開業にこぎ着けた。敷地面積は3411平方メートル。現在、家具、化粧品、美容室、衣料品、ギフトの5店舗が開業している。駐車場は28台分を確保しており、市街地商店街の1区画にしては十分なスペースだ。また店舗の屋根はグリーン、壁面はベージュを基調とした色に統一。石畳に天然石を使うなどイメージ向上も図った。
 開業後「それまで来店しなかった若いカップルの姿もある」(同)と来場者数は確実に増えている。また今年9月に商店街で開催された「日向十五夜祭り」では駐車場とパティオをイベント会場として提供。これまで商店街にこのようなスペースがなかったため、街の人から大変喜ばれたという。
明るいイメージに一新
周辺の整備も進む
周辺の街区も現在工事が進んでおり、区画整理事業最終年度の2014年には商店街全体が全く新しい姿に生まれ変わる。じっくりと時間をかけて「生活価値創造の場」を提供する事業が進められている。













新幹線開業効果も
1980年、八戸駅に近い八戸市河原木にオープンした協同組合八食センターは今、活気にあふれている。2002年末の東北新幹線八戸駅開業に合わせて、02年から03年にかけての、思い切ったリニューアルが功を奏し、県外からの来場者が急増している。この話題が相乗効果となって、県内の顧客を呼び戻すことにも成功しているようだ。03年は前年実績比30%増の、客数300万人を達成する。
 同センターは60店舗(うち鮮魚16店舗)で営業中。「食品小売市場の業態」と「市場らしい食堂群」が核で、一見雑多なセンター内も、スーパーやショッピングセンターとは異なる独特の雰囲気づくり、店づくりをコンセプトにじっくりと戦略を練った産物だ。
飲食部門も増強
 今回のリニューアルは80年11月のオープン以来、大規模なものとしては2回目。いずれも高度化融資制度導入によるもので、これまでの借入累計は28億2400万円。1回目の96年は増築・全面改装と、ホームセンターと大型書店誘致によって商業施設の集積複合化を図った。
 今回の目玉の一つは観光客の来場増を見込んだ、飲食部門の強化。飲食棟「厨(くりや)スタジアム」(2階建て延べ約3150平方メートル、客席数600席)の新設や、既存飲食ゾーン「味横丁」改修などだ。厨スタジアムには200人収容の観光客用食堂や多目的なホール、子どもの来場を予想して遊具を充実させた広場などを設けた。
 また、「好きかって広場・七厘村」ではセンター内で買った魚を昔ながらの七厘の炭火で焼いて食べられる。都会からの観光客にとって好評のスポットとなっている。
 このほか今回のリニューアルを機に始めた新幹線八戸駅と同センターを結ぶ100円バスも、観光客誘致に効果があった。10月6日で利用者10万人を突破した。
 ソフト面でも、集客用のライブ、映画劇場、料理教室などのイベントは人気を集め、すっかり定着した。谷村充生専務理事は「将来的には農園を開設、食の安全性、健全性を売り物に、さらに顧客との交流を深めたい」とする。今や八食センターは八戸の新名所として認知されている。
活気あふれる売り場
鮮魚業者らが郊外に新天地
 同センターは八戸市のむつ湊駅前の市場に入居していた鮮魚、塩干、青果業者などが新天地を求めて集団化。郊外型食品センターとしてスタートした。たしかに新幹線効果もあるが、それを見越してセンター全体が集客戦略を綿密に検討した成果が、花開きつつある。









同店舗の先駆け
 2003年は東金ショッピングセンター「サンピア」がオープンして、25周年の節目の年となった。発端は1968年に、九十九里浜にほど近い東金市の専門店会が共同店舗の研究に入ったことにさかのぼる。71年には協同組合を設立、キーテナントにジャスコを誘致することなどを決め、高度化融資制度などのバックアップを得て、78年11月の開店に至った。共同店舗の協組としては全国的に見ても「はしり」の存在で、各地から視察団が訪れるなど注目を集め続けている。
 かつてJR東金駅の西口にあった既存商店街からの移転も多く、今ではサンピアの建つ東口が同市の商業の中心となっている。現在は物販、飲食、サービス、それにジャスコを加えて78店が、4階建てのショッピングセンター内に軒を並べ、トータルの年商は約110億円。映画館やスポーツクラブなども集客の目玉となっている。
 ハード面では93年に増床、立体駐車場の整備など全館リニューアルを行い、それに伴って売り上げも一気に増大したが、ここ数年は伸び悩みが続いている。消費の冷え込みや、周辺に増えた大型店との商圏の食い合いなどが影響しているようだ。
レイアウトなども見直し
そこで同協組は専門店の個性を前面に打ち出すことで、新たな可能性を探り始めている。各専門店は、その道のベテランが多いが、コンサルタントを迎え入れ、商品構成から店内のレイアウトまで、徹底的に見直す作業に取り組んでいる。
 そうした中から、各店が目玉商品をアピールする「1店逸品(=1品)」運動が起きている。各店の現在一番のおすすめ商品が網羅された「逸品カタログ」を定期的に作成、各店が来客へのセールストークに用いている。店外への無作為の配布などを行わず、来店者とのコミュニケーションツールとして用いていることも特徴で、この活動についても、全国の商店街などからアドバイスを求められる事が多いという。
 さらに、ショッピングセンターの従業員400人前後への、教育にも力を入れている。それぞれの専門店が生き残っていくためには顧客満足度の向上が何より必要で、そのため、新人教育だけでなく、中堅・幹部のレベルアップも図る。
駅前のランドマーク的役割も果たす
専門店の原点に戻る
 東京のベッドタウンとして人口が急増していた時期には、売り上げも右肩上がり。人口増も沈静化した現在は、売り方に工夫が必要になる。それが、専門店の原点に立ち戻って、逸品を強調する姿勢につながっている。




まず話題づくり
鳴子まちづくり株式会社は宮城県鳴子町、中小企業総合事業団、中小企業者などの出資による第3セクターとして1997年2月に設立された。鳴子温泉の観光客の減少と通行客の減少に対応するため、中心商店街の活性化を支援する街づくり会社としてスタートした。
 活性化策としてまず必要と考えたのが話題づくり。それまで共同浴場として利用されていた「早稲田湯」の歴史を掘り起こして光を当てた。「早稲田湯」は1948年、早稲田大学の学生がボーリング実習で掘削に成功したことから命名された温泉。この共同浴場を同事業団の高度化融資制度利用により、コミュニティー施設併設の「早稲田桟敷湯」として整備、旅館・ホテルの観光客が内湯と外湯、商店街を回遊する仕組みづくりを狙った。
来場者増加の効果上がる
 さらに98年のオープンに向けて、当時の学生を44年ぶりに鳴子温泉を招き、その時の模様をさまざまな媒体で紹介して盛り上げた。硫黄をイメージした建物も早稲田大学の石山修武教授が設計した。「こうした話題づくりがなかったらただの共同浴場に終わっていた」(吉田惇一取締役総務部長)というように、完成時にはテレビ、新聞などのマスコミで大きく紹介された。
 「早稲田桟敷湯」は共同浴場のほか、多目的活動室、交流ホール、研修会議室、催事場などコミュニティー施設が併設されている。多目的活動室は通常はお客の休憩室として使われているが、寄席や集会などにも利用されている。同社の収入は入浴料だけで、年間売り上げは約3000万円。入場客は年間約6万人に達しており、同温泉街のもうひとつの共同浴場も「入場者が増えてきた」(同)ことから、観光客は徐々に増加しているとみている。
 また昨年スタートした「街を歩けば下駄(げた)も鳴子」キャンペーンも注目されている。下駄で商店街を歩くとさまざまなサービスが受けられるもので、レンタルの下駄や、下駄に代わって提示すればよい「下駄手形」を用意している。そのほか58件の旅館、浴場の風呂に入れる「湯めぐり手形」、鳴子石を使った特性プランターの設置など多彩な情報発信を続けている。
温泉の新しいイメージ
意識の高まり
街づくり会社設立をきっかけに、温泉街が一体となって活性化を目指そうという、これまでになかったような意識の高まりがみられる。






軒並べる114店舗
 京都市南部の伏見大手筋商店街は、全国有数のにぎわいをみせる商店街として知られる。京阪電鉄伏見桃山駅および近畿日本鉄道桃山御陵前駅から西に向かう総延長約400メートルに114店舗が軒を並べ、1日平均2万〜2万5000人が通行する。
 商店街の店舗で構成する伏見大手筋商店街振興組合(村上好夫理事長)も、このにぎわいを一層盛り上げるよう、活発に事業展開している。例えば、もともと地元にあった祭を復活させたことで、さらに横のつながりが強化された。現在は「年代別に会合が組織され、次代の経営者による新たな取り組みを考えている」(小西良夫専務理事)という。全国の市町村への情報発信など、伏見を知ってもらおうという取り組みが続けられている。
 振興組合で取り組んだハード面の代表的事業は1997年3月に完成したソーラーアーケードの設置。それまでのアーケードが老朽化していたため、新装するにあたり「当時、注目され始めていた環境問題解決に少しでも貢献するものを」(村上理事長)という考えから、太陽電池をアーケード上に設置する案が浮上した。
 ソーラーアーケード設置に伴う総事業費は12億5000万円。21世紀型商業基盤施策整備事業(商業パサージュ整備事業)が適用され、国、京都府、市などから通常のアーケード新装を上回る補助金を得ることができた。
各店が2階部分も活用
   完成したソーラーアーケードの発電能力は1時間当たり最大30キロワット。夜間照明やスポット冷房など商店街で使う電力の一部として利用しているほか、売電も行っている。またアーケードの高さが以前の平均6メートルから同9メートルと高くなったことで、思わぬ効果も生まれた。
 それは、ほとんど店舗の1階部分しか利用されていなかったのが、2階の活用が進むようになったこと。アーケード新設を機に、店舗を建て替え、高層化する動きも相次ぎ、商店街の限られたスペースが拡大した。
 その結果、全国チェーンなど新たな店舗の進出も増え、集客力をさらに増している。各地の商店街で空き店舗問題が深刻になっているのに対し、同商店街ではスペースが空くのを待つ業者が引きをきらない。
にぎわう商店街
ハード、ソフト両面から
 不振が目立つ全国各地の中心市街地商店街の中で、ハード(ソーラーシステム)とソフト(観光事業など)両面の振興策によって、一層のにぎわいを示している例。







工場・倉庫を共同利用
 2002年4月、北九州市若松区・響灘地区にある北九州エコタウンで国内初の「自動車リサイクル団地」が動きだした。ここを拠点とする北九州ELV協同組合は、中心市街内で自動車の車両解体処理や中古部品販売を行っていた7事業者が参加した団体だ。2005年1月にも予定されている「自動車リサイクル法」の施行を前に、同組合の活動に国内外の関係者から熱い視線が注がれている。
 全国に約5000社あるとされる自動車解体、中古部品販売事業者だが、その大半は中小企業。野積みや土壌汚染などの環境問題やスクラップ市況の低迷など、一企業では解決できない課題を一様に抱えている。
 これらの問題に直面していた北九州の事業者が結集したのは1997年、北九州市が国内第1号のエコタウン認定を受けたことがきっかけだった。エコタウン地区に環境産業を集積するため、市内の自動車解体業者にも移転が呼びかけられ、これに呼応したのが同組合のメンバー。2001年には中小企業総合事業団の事業認定を受け、自動車リサイクル団地の建設がスタートした。約2万8000平方メートルの敷地を確保、各社の事務所のほか共同で利用するプレス工場、部品倉庫などを設けた。



廃棄物を出さない
現在同組合が解体・処理する廃自動車は月間平均1500台に達する。また自動車リサイクル法を先取りして、廃棄物を出さない「シュレッダーレス」を目標に掲げ、既に90%近いリサイクル率を実現した。この結果、共同倉庫には常時4万から5万点の中古部品在庫を確保しており、集団化によるスケールメリットを十分に発揮している。
 今年11月からは沖縄県の石垣島など離島からの廃自動車受け入れにも乗り出した。適切な処理システムを持たない九州南部の島々では廃自動車が大量に放置されるなどの問題が深刻化しており、組合にはほかにも複数の市町村から相談が寄せられているという。
4万点以上の部品が並ぶ共同倉庫
生き残りをかけて
同組合の尼岡良夫理事長は、自動車リサイクル法の施行により「事業者の数は3分の1になるだろう」と予測する。厳しい変化の時代を乗り越えるべく、さらなる処理量の拡大とリサイクルの高度化へ挑む日々が続く。





デザインも共有
 協同組合靴下屋共栄会は、全国生産量の4割を占めるとされる奈良県や、大阪府下の、靴下メーカー、卸・小売業の合計7社が集結して、1992年設立された。当初から商品力を高めるための「中央研究所」や、共同配送などの拠点となる「物流センター」などまで、一貫したインフラ整備を進めることを考え、中小企業事業団(当時)の高度化資金などを活用した。
 参加した靴下メーカー、いわゆるニッターは、現在でも大きいところで従業員30人以下の規模。こうしたところは専属デザイナー採用や、独自の物流網構築は難しい。そこで組合の研究所にデザイナーを置き、サイズからデザイン、配色まで、幅広い年齢層の消費者にアピールできる態勢を整えた。「たかが靴下、されど靴下。デザインだけでなく品質面も国産品のレベルは高い」(丸川博雄専務理事)と、ライバル中国を意識して、品質で勝負する。



つま先部分の仕上げを機械化
 また研究所は、きれいな仕上がりでの機械化が難しいとされていた、つま先部分の製造工程(リンキング)の自動化にも力を入れている。組合の中心メンバーでもあるダン(大阪市平野区)が立命館大学と産学連携で開発したリンキング機械を、メンバーのメーカーに04年春以降導入していく考えだ。
 受注から配送、販売まで、物流面で一貫した共同システムを構築したことも、組合の強みだ。具体的にはメーカー、物流センター、小売店いずれもの在庫を圧縮することを目標に、使いやすいシステムを作り上げた。全国の小売店からの売れ筋情報などが、リアルタイムで物流センターに届き、さらにメーカーの生産管理部門と直結する。その結果、在庫圧縮と短納期化を実現している。。
全国配送の拠点となる物流センター
良い商品をタイムリーに提供
リンキングの自動化は、はきやすい靴下など商品開発に大きな威力を発揮するという。商品力、そしてそれをタイムリーに顧客に届けるための物流力の両面を強くしていくために、1社ごとでなく、組合の力を結集している。





県内109社が参加
  福岡県内の醤油(しょうゆ)業者の9割近くが参加する福岡県醤油醸造協同組合は、醤油の生液である「生揚」(きあげ)などの共同生産をメーンに行っている。2003年3月期の組合全体の売上高は12億8400万円。醤油の消費が伸び悩む中、1995年以降右肩上がりの基調にある。総生産量の9割を占める生揚で、その年間生産量は1万2400キロリットルと堅調だ。残り1割を、つゆ・たれなどの加工調味料が占める。各組合員は共同生産した生揚に熱処理などさまざまな独自工程を加え、それぞれのブランドとして出荷する。
 組合は1966年に中小企業等協同組合法に基づき設立、発足時には131社の組合員が参加していた。現在の組合員数は109社。当初の目的は、技術革新や機械化に対処できる組織体をつくり、組合員である醤油製造業者の合理化や近代化を促すことだった。



大手と競争できる体制
 具体的には醤油の製造工程の8割を占める生揚の生産を協業化して、組合員の設備費や人件費を削減し、大手企業と競争できる生産体制を確保するのが狙いだった。組合員は生揚の生産設備を自社で持つ必要もなく、原料の大量仕入れによるスケールメリットも出る。設備拡充も順次行っており、95年には中小企業総合事業団の高度化資金などを活用して、発酵タンクなどを整備した。
 2000年には九州の醤油業界で初めて、品質管理・保証の国際規格であるISO9002の認証を取得。03年10月には食品衛生優良施設として厚生労働大臣から表彰も受けている。
 そんな組合の今後の課題はまず「生揚生産の技術を、さらに向上させる」(三根秀治理事)ことだ。また消費者の健康志向に対応した新たな商品づくりも課題の一つだ。それに加えて、醤油の醸造技術を生かしてバイオインダストリーの世界で花を咲かせることも視野に入れている。
生揚の圧搾工程
食文化の変化に対応
日本の食文化において700年の歴史を持つ醤油(しょうゆ)も、消費者嗜好(しこう)の変化や販売価格の低下などで、厳しい状況が続いている。年間出荷量を全国ベースでみると、10年前には120万キロリットルあったが、現在は100万キロリットルを切った。そうした環境下、三根理事は「業界の中でも頑張っている」と自己分析。独自の商品力、生産技術を持てば十分消費者にアピールできるということだろう。